いつもの事だけど、

出来事の記録を書いていると、

その時の出来事だけでなく、

そこには、幾つかのことが、

絡み合い繋がっていて。

 

 

 

今日は、そういった繋がりの、

書けなかったことを。




では。

 

 

 

前回に書いた、

森の山道を歩いている時。

 

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目の前に広がる景色に、

こんこんと湧き出る、

こんな↑水(泉)のビジョンが、

重なった時のことを、こう書いた。



 

**************

 

そのビジョンと共に、

瞬間的に、私は感じた。

 

この透明な湧き水、

あの時に感じた、わたしだ。

 

「畏れ多い」

 

そう感じてたこの場所、

その「畏れ多い」存在とは、

この「わたし」だった。

 

私は、「わたし」が恐かった。

なるほど・・はぁ、そっか。

 

**************

 

 

 

この透明な湧き水のビジョン、

あの時に感じた「わたし」だって、

森の中で、瞬間的にわかった。

 

 

 

その「あの時」とは、

先月の6月14日のこと。

 

 

 

前日の13日から、

少々、面倒なことに巻き込まれ、

私の本心が炙り出された日が14日。

 

 

 

その日、

すごく精神的にしんどくて、

とうとう、苦しさが極まった時、

フッと、目の前(ビジョン)に、

映ったのが、この湧き水のビジョン。

(時間もはっきりと覚えていて、

16時くらいだったと思う)

 

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写真は、底が見えているけど、

ビジョンの泉は、底なしで、

黒っぽい重厚感漂う暗闇の中、

湧き出る水の反射は、

シルバーメタリック的な、

鋭利な反射を放ちながら、

ただ、こんこんと、

水が湧き揺らいでいる。

 

 

 

その姿(ビジョンの光景)は、

あまりにも無色透明で、

あまりにも何も無さ過ぎて、

あまりにも底なしすぎて、

どこまでも沈んでいくような、

恐ろしいほどの無限を感じ。

 

 

 

あっ!これ、わたしだ・・!!

 

 

 

その静かに湧き出している水は、

私の本来の姿である「わたし」だと、

直観的に分かったと同時に、

すごく、恐怖を覚えた。

 

 

 

何もない、、

こわっ!!!

 

 

 

でも、

この泉のビジョンのお蔭で、

私は、未来が恐いんだなって、

目が覚めた。

 

 

 

春からの混沌の流れで、

私は、偽りの自分ではなく、

正直な自分を生きよう、

そう、答えが決まってきた頃、

この面倒なことが起こった。

 

 

 

真(まこと)の未来の道、

正直な自分を選ぶなら、

この透明な泉は避けられぬ。

覚悟を決めよ!!

 

 

 

ビジョンは、

そう伝えたかったのだろう。

 

 

 

ここ(わたしの泉)に飛びこまなきゃ、

私の未来は開けていかないのに、

飛び込むのが恐い=未来が恐い。

 

 

 

何者でもない、

無色透明な自分(エネルギー)が創造する、

何も見えない未来が恐いんだと。

 

 

 

だから、

面倒な出来事は、

もう、安全牌の容易な道は断て!

本当のお前の未来を拓きたいなら、

何もない無限の恐怖へ飛び込め!!と、

ビジョンが通達してくれた。

 

 

 

私は、

薄暗い暗闇のような、

こんこんと揺らぐ透明な水面へ、

わたしの泉へ飛び込む!!

決意を決め、一つの選択肢を断った。

 

 

 

そして、その時のことを、

記した記事からの抜粋。

 

 

**************

 

己の透明さが、恐かった。

 

 

 

そこは、

色が無く無色透明だから、

掴みようがないというか、

コンコンと静かに湧く泉のようであり、

かつ、無限なる空の世界とも言えて。 

 

 

 

この無色透明なわたしに、

飛び込んでいくと決めた✴︎

 

 

 

何者かもわからない、

わたしの内側の世界、

でも、確かに在る、

「わたし」を生きようと。

 

 

 

そう決めたら、

すでに、でん!!と構え、

ゆったりと蓮の花に、

座っているわたしがいた。

 

 

 

肚を括り覚悟を決めると、

即座に人が変わるひと。

それが、わたし。

 

**************

 

これが、6月14日の事だった。

 

 

 

そして、

お伊勢参り日は、6月20日。

 

 

 

わずか、約1週間後、

14日のビジョンが、

このお参りにリンクしてるなど、

全く、想像しておらず。

 


 

やはりそこは、必然。

然るべきに、現実は動く。

  




私が畏れ多いと感じ、

これまで立ち入ることのなかった、

森の中へ踏み出させてくれた。

 

 

 

まんまと魂の計画通り、

あの泉のビジョンを

再び、この畏れ多い森の中で視て、

あの時の感覚!と感じた時、

まるで、デジャブ感覚だった。

 

 

 

14日に、何もない何者でもない

でも、無限なる透明な「わたし」、

己の透明さが恐いと感じ、

20日に、重厚な威厳漂う、

恐いくらいピンと研ぎ澄まされた、

この森は「わたし」だと感じた。

 

 

 

恐いと感じた透明なわたしと、

畏れ多いって思っている森が、

まさか、一緒だと思ってなくて。

 

 

 

森の正体は、「わたし」。

つまりは、

この森に宿る神も、「わたし」。

(わたしとは全て。)


 

 

だから、これまでずっと、

この森へ立ち入ることを、

しなかったんだと、

するするっと、肚落ちしたし、、

 

 

 

私は「わたし」が恐かった。

 

 

 

ただ、それだけだったんだと、

気付いた時の爽快さ。

 

 

 

森へ入るタイミングも、

この時が超絶ベストで、

それ以前なら、、




整えることは、

ステップアップの準備となり、

日々、土台を育むことの大切さを、

改めて想ったな。

 


 

魂の計画通りの、

14日の覚悟で満を持したのか、

このタイミングで、

この森へ入ることの許可が、

与えられた気がするんだよね。

 

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そして、いつだったか、

ちろっと書いたかもやけど。

 

 

 

私の感じるスピリチュアルって、

神聖で崇高で荘厳かつ威厳ある、

畏れ多いエネルギーを感じていて、

私に相応しくないって、

なんでか、思っていた。

 

 

 

そりゃそうだよね、

そんな神聖なエネルギーが、

まさか、自分だとは思わないから、

無意識とはいえ、

自分でじぶんを拒否ってて。

 

 

 

忘れもしないのが、

スピリチュアル・精神世界から、

一旦、離れようとした日にゃ、

え?私、死ぬかも?と、

手厳しい仕打ちを受けたのも、、

 

 

 

そりゃ、威厳ある、

おっそろしい「わたし」は、

 

 

 

お前、この世に生まれた、

約束がちゃうやないかーい!

しばくぞ、ぼけ!!

 

 

 

やっと、眠りから醒めそうなのに、

再び、眠りにつくことなど、

許すはずもないから、

今となっては、だよねーとなる。

 

 

 

なので、

畏れ多いと感じた祈りの場、

畏れ多いと感じたスピリチュアル、

それらは、「わたし」だったということ。

 

 

 

そして、もちろん、

この世のスピリットは皆、

神聖で崇高な愛の存在。

 

 

 

最後に、

この場所へ縁したのも、

ふと、この場所を案内する、

広告看板と目が合ったから。

 

 

 

確か、2015年に、

その看板と目が合って、

なんか、気になって、

2017年、初めて勇気を出して、

初参りをさせて頂いた。

 

 

 

でも、その翌年の2018年、

確かに貼って看板が、

撤去されていて、あれー?と思い、

それ以来、何度も、

その辺りを探してみるけど、

あの時、目の合った看板はもうない。

 

 

 

これは、恐らく、

導きあるあるの法則で、

久高島へおいでのにゃんこちゃん、

伊勢神宮の神馬さんと、

導きのお役目終了すると、

姿を消すという法則。

 

 

 

私には、

この祈りの場は、

魂の人生には必須の場所。

 

 

 

「わたし」の領域は、

怖いものなど何もなく、

穏やかな安らぎの安寧に包まれ、

透明だけど無限にある世界。

 

 

 

意識だけではなく、

実際、宇宙に浮かぶ、

地球が育む自然の中へ、

この身体をもって融け込み、

一つになれた。

 

 

 

見えない世界へ、

見える世界を融け込み馴染ませる、

その逆も然りで。

 

 

 

宇宙は、

この矛盾する相対的なもの、

シンメトリーの融合の世界、

それが、宇宙の法則なんだと思える。

 

 

 

それを、

自分の心身で体感体験すること。

 

 

 

だから、

導かれたんだなと、

感謝の想いで一杯です。

 

 

 

何者でもないさおりちゃん、

ありがとうございます✵

 

 

 

取り敢えず、

今日はここでお終い。

(え?まだ書くんかい?)

 

 

 

☺︎