今日のサークルは妊婦ママが何人もいるので毎回帰ってくると気が重くなるんだなぁ。

そして今日の話題は「羊水検査」の件。

一人のママさんが高齢出産になるので羊水検査をしたという話。

他の妊婦ママ達は興味深々で話を聞いていた。


「血液検査や羊水検査をしないとダウン症ってエコーとかじゃわかんないのかねぇ。」

「そうなんだよ!だからみんなやるんだって!」


とこのような会話が延々と続いていた。


アタシわかっちゃったんだよなぁ、エコーで。


なんだか複雑だったよ(涙

ここで「いやいや、首に浮腫みがあったりなんかして、それがエコーに写ったりして

それでちょっとこれはって人もいるんだよ」

なーんて言ってみたらどうなるんだろうかとか、

なんだかいろいろと考えてしまった。


しかし「頚部浮腫」という言葉は、私だって自分に該当されて初めて知ったわけだけど、

普通ならほとんどの妊婦さんはやっぱりそんな言葉すら知らずに産んでるんだろうなぁ。


できれば知りたくない言葉だったのかもしれないけど、

知ってしまった以上気にならないわけはない。

なんとも複雑ですな。


とても暖かい一日だったのに、夕方から急に寒くなってきた~

こんな気候だから風邪だって引きやすくなるんだよなぁ。


午前中は近所のホームセンターに行ってさおぽんが

一番仲良しの女の子と昼を食べて遊んできた。


なんかすごく何かを「購入したい気分」だった・・

「なんか欲しいぃーーー!!!」と思ったけど、

ここはグっとガマン。

商品はあまり見ないで歩いていた私(笑

 

さて、今日は節分!

正式には今日から新しい年が始まるんですな。

気分一新!今年もがんばるぞーーー!なんて思ったりして。

二人目はもう諦めたし、オットとさおぽんと三人で

楽しい年にしたいものだな。

旅行にも行きたいし、おいしいものも食べたい。

私の趣味も充実したい。なんてねーー!!

4月に幼稚園に入園したら、

「フラダンス」と「英会話」を習ってみたい。

ウヒョ~~~!!なんだかすごい明るい未来が見えてきたような気がする

そうやっていいことだけを考えて生活していけるといいなぁ~~


とりあえず4月までに「ダイエット」せねば。

写真に残るからなぁ。スーツをキレイに着こなせるように

今からがんばろっと!!!


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今日は今お世話になっているサークルが3月で終わりになるので

先生方へのお礼をどうするかと、ママ友で集まって話をした。

とはいえ、お礼の話はサッサと決まり、後は世間話で盛り上がったという

いつもの集まりと同じなんだけどね 


子供達は子供同士で遊んでいるし、ママ達はお話で盛り上がって

一日があっという間に終わってしまった。


それぞれ4月から通う幼稚園が別なので、

他の幼稚園の話を聞くのも楽しい。


ママ友って難しい~~~と悩んだ時期もあったけど、

結局悩んだということは自分とは合わないんだという結論になって・・・

申し訳ないがその方とはフェードアウトさせていただいた。

主婦の情報って怖いんだ。

全く別のルートからもその人の話はモリモリと出てくる。

あぁ早いうちに彼女の前から消えておいてよかったと胸をなでおろしたりして・・・。


距離感がない

親しき仲にも礼儀がない

自分がマイルール

携帯メールの返事がないとすぐ着信あり。

何があっても自分の子供が一番!!!


まぁ人の振り見て我が振りなおせというのは本当ですな。

いい勉強させてもらいました。


この先もいろいろなことがあるんだろうけど、

噂話をせずに、いつもニコニコしていられる女になれれば・・・

と心しております。(#^^#)V


赤ちゃんを諦めるという苦渋の選択をした私は、すぐにドクターに連絡を入れた。

電話したのは確か金曜日。

それでは土日をはさんで月曜日に入院してくださいといわれた。

心のどこかで週末は一緒に過ごせるとうれしかったのを覚えている。


その週末・・・何をしていたのかは覚えてない。

完全に記憶がないんだけど・・・・。

なんとなく、これが最後だねとどこかに行って

きれいな景色を見せてあげたような・・そんな気がする。


月曜日、オットは仕事を休んで一緒に病院に行き入院の手続きをした。

きれいな総合病院でとてもきれいな病室。

先生がこんな時なので個室がいいだろうと個室にした。


看護士さんが来て私についての質問をしていったり、

今の気持ちを聴かれたりもした。

その時は私はかなり冷静というか、受け答えもきちんとできていた。

すると看護士さんは「もっとご自分の感情を私たちにぶつけてくれていいんですよ」

と、冷静に話をする私を逆に心配していた。

それまで毎日のように泣いていたのに、病院では泣くことはあまりなかった。

もう涙が枯れたわけでもないし、悲しかったし、寂しかったし怖かった。

でも泣けなかった。


しばらくして看護師さんが処置をするので来てくださいと呼びにきた。

「ラミナリア」という海草でできたマッチ棒みたいなものを

子宮口に入れていく。その本数を増やして子宮口を広げていくのだ。

私は一人目のさおぽんが逆子だったので帝王切開で産んでいる。

万が一の事があってはいけないので、なるべく子宮口はしっかり広げておかないといけない。

この処置が本当に痛かった。

もう痛くて痛くて汗をかいて震えてしまった。

でも私のお腹の中の赤ちゃんはこんな事よりもっと痛いのかもしれないし、

もっともっと悲しんでいる。

そう思うとなんだって絶えてやると思っていた。

この処置が一日2回。入院から3日目で子宮口が充分に開き

陣痛促進剤の錠剤を子宮の中に入れた。


私は計画的帝王切開だったので、陣痛の痛さを知らない。

部屋に戻って「お腹が痛くなったら呼んでね」と看護士に言われていたので

ベットの中でじっと待っていた。

なんとなくお腹痛いなと思ったけど、まさかあれが陣痛だったとは。

今までのラミナリアの痛みが強烈すぎて、あまりよくわかってなかった。

赤ちゃんはすぐに出てきた。

もちろん産声なんて上げない。

もう自分の体の中も心の中がスッカラカンだった。

赤ちゃんは男の子だった。

ドクターが赤ちゃんを見ますか?と言ったけど、会ってしまうと全てが崩れてしまいそうで会えなかった。


後でドクターが病室に来て、赤ちゃんはやはり浮腫がひどくて

生まれても長くない子だったでしょうと言っていた。

これは誰が悪いわけでもない、運命だったんですよ。と言われ

このような運命を与えられた私は今後どうすればいいのだろうと

これは何かのメッセージだったんだろうかとか・・・

誰も悪くないという言葉に救われた気もしたけど、

悪くないのにどうしてアタシがこんな事になるの?と

神も仏も信じられないと思った。


その後、赤ちゃんの骨は残すかどうか聞かれ

翌日の退院する朝に業者の人が来て赤ちゃんをお願いした。


オットの車で家に戻る時、車の中でかかっていた曲が今でも忘れられない。

車の中でまた涙が止まらなくなった。

でもさおぽんに会うまでになんとか抑えないと。

退院の日は抜けるような青い空の日だった。

最近やっとその時の曲が聞けるようになった。

車を運転している時、フと空を見たら抜けるような青空だった。

赤ちゃんのことを思い出し、その曲が聞きたくなった。

聞きながら空を見たら、なんとなくだけど・・・・いつもあの子が私を見ていてくれてるような

そんな気がして・・・・

いつも一緒だったんだって思った。


早いもんですね。もう二月です。

今日は午前中スーパーに行ったらババちゃんとばったり会ってしまい

そのままさおぽんはばばちゃんに付いて回って家に行ってしまいました。

まぁそのおかげで私は午後の時間をゆっくりできるわけだけど・・・・。


こんなゆっくりした時間がもてると、どうしてもお空に戻ったあの子の事を思い出してしまう。

頚部浮腫という言葉は今まで聞いたこともなく、

ドクターからその言葉を聞かされた時のショックよりも

家に戻ってネットで検索した時のショックの方がはるかに大きかった。

頚部浮腫は自然に消えていくものもあるし、そうでないものもある。

実際浮腫があっても健康な赤ちゃんが生まれてくることだってたくさんある。

そんな事例を読んで少しだけ希望が見えたりするんだけど、

なにせ私の浮腫の厚さは最初は確か6ミリくらいだったと思う。

そして毎週のように病院に行き、その厚さは毎週大きくなっていた。

最終的には1センチを超えており、この時点でドクターは私にどうするかと聞いてきた。

それまでは「羊水検査」という手段もありますし・・・というスタンスだったのだけど。

このような事例はその病院でもあまりなかったらしく、

ドクターは他の病院にも連絡して調べてもくれた。

この厚さの場合は60%以上はダウン症だとも言われた。

そして無事に産まれてこれても合併症等で長くはない命になるということも。

ドクターは万が一諦めるのなら、胎動の感じないうちのほうがいいのではないかと。

病室は空けておくので、一度ご主人とよく話し合って今後どうするか連絡してくれと言った。

諦めきれないし、諦めたくない。

どうしていいのかわからなかった。

夜、オットと話合ったけど、私はあの頃たぶん普通の状態ではなかったと思う。

さおぽんといる時は普通の顔に戻っていたけど、

一人になるといつも泣いていた。

涙がドンドン出てくる状態・・・・。完全に参ってた。

そして私達は諦める結果を出した。


この話、というかこの時の話をよく思い出したことがないので、

断片的な話にしかならなくてアレなんだけど・・・

どうして思い出したことがないかというと、

実はあまり記憶がないのだ。

今こうして少し落ち着いてあの頃のことを振り返り

ブログというところにあの頃の記憶を辿っている・・・という感じ。


あの頃の私をさおぽんはどう見ていたんだろう。

たぶん小さいながらも何かを感じ取っていたんだろうな。