赤ちゃんを諦めるという苦渋の選択をした私は、すぐにドクターに連絡を入れた。

電話したのは確か金曜日。

それでは土日をはさんで月曜日に入院してくださいといわれた。

心のどこかで週末は一緒に過ごせるとうれしかったのを覚えている。


その週末・・・何をしていたのかは覚えてない。

完全に記憶がないんだけど・・・・。

なんとなく、これが最後だねとどこかに行って

きれいな景色を見せてあげたような・・そんな気がする。


月曜日、オットは仕事を休んで一緒に病院に行き入院の手続きをした。

きれいな総合病院でとてもきれいな病室。

先生がこんな時なので個室がいいだろうと個室にした。


看護士さんが来て私についての質問をしていったり、

今の気持ちを聴かれたりもした。

その時は私はかなり冷静というか、受け答えもきちんとできていた。

すると看護士さんは「もっとご自分の感情を私たちにぶつけてくれていいんですよ」

と、冷静に話をする私を逆に心配していた。

それまで毎日のように泣いていたのに、病院では泣くことはあまりなかった。

もう涙が枯れたわけでもないし、悲しかったし、寂しかったし怖かった。

でも泣けなかった。


しばらくして看護師さんが処置をするので来てくださいと呼びにきた。

「ラミナリア」という海草でできたマッチ棒みたいなものを

子宮口に入れていく。その本数を増やして子宮口を広げていくのだ。

私は一人目のさおぽんが逆子だったので帝王切開で産んでいる。

万が一の事があってはいけないので、なるべく子宮口はしっかり広げておかないといけない。

この処置が本当に痛かった。

もう痛くて痛くて汗をかいて震えてしまった。

でも私のお腹の中の赤ちゃんはこんな事よりもっと痛いのかもしれないし、

もっともっと悲しんでいる。

そう思うとなんだって絶えてやると思っていた。

この処置が一日2回。入院から3日目で子宮口が充分に開き

陣痛促進剤の錠剤を子宮の中に入れた。


私は計画的帝王切開だったので、陣痛の痛さを知らない。

部屋に戻って「お腹が痛くなったら呼んでね」と看護士に言われていたので

ベットの中でじっと待っていた。

なんとなくお腹痛いなと思ったけど、まさかあれが陣痛だったとは。

今までのラミナリアの痛みが強烈すぎて、あまりよくわかってなかった。

赤ちゃんはすぐに出てきた。

もちろん産声なんて上げない。

もう自分の体の中も心の中がスッカラカンだった。

赤ちゃんは男の子だった。

ドクターが赤ちゃんを見ますか?と言ったけど、会ってしまうと全てが崩れてしまいそうで会えなかった。


後でドクターが病室に来て、赤ちゃんはやはり浮腫がひどくて

生まれても長くない子だったでしょうと言っていた。

これは誰が悪いわけでもない、運命だったんですよ。と言われ

このような運命を与えられた私は今後どうすればいいのだろうと

これは何かのメッセージだったんだろうかとか・・・

誰も悪くないという言葉に救われた気もしたけど、

悪くないのにどうしてアタシがこんな事になるの?と

神も仏も信じられないと思った。


その後、赤ちゃんの骨は残すかどうか聞かれ

翌日の退院する朝に業者の人が来て赤ちゃんをお願いした。


オットの車で家に戻る時、車の中でかかっていた曲が今でも忘れられない。

車の中でまた涙が止まらなくなった。

でもさおぽんに会うまでになんとか抑えないと。

退院の日は抜けるような青い空の日だった。

最近やっとその時の曲が聞けるようになった。

車を運転している時、フと空を見たら抜けるような青空だった。

赤ちゃんのことを思い出し、その曲が聞きたくなった。

聞きながら空を見たら、なんとなくだけど・・・・いつもあの子が私を見ていてくれてるような

そんな気がして・・・・

いつも一緒だったんだって思った。