母がいなくなった後の生活 | 夫はアメリカ海軍!~ミリタリー妻の日々~

夫はアメリカ海軍!~ミリタリー妻の日々~

私(日本人) 専業主婦
夫(アメリカ人)アメリカ海軍
娘:9歳
息子:4歳
アメリカ人の海軍夫と娘と息子4人暮らしの日々の生活を書いてます。

このブログは「母とのお別れ」、「母とのお別れ つづき」のつづきです。


お葬式を終え、その足で帰宅したのは深夜0時頃。
結局全く寝れず気を紛らすために荷ほどき始めて洗い物したりしていたら、いつもは一度寝たら夜中に絶対起きない娘が深夜3時頃起きてリビングにきて、「お母さん帰ってきたんだニコ」と一言だけ言いにきてまた寝ました。

しかも娘、この夜中に起きた事覚えてなかったらしく、また朝も「お母さんいつ帰ってきたの?!」って聞いてきました笑笑


この日の朝、夫は仕事で別の基地に行ってそれからしばらく会えない予定だったので朝に夫を送り出しましたが、ここからが悲劇の始まり。

子供達はいるけど、私のメンタルが思ったよりダメージを食らっていて、夫がいなくなったと同時に私1人で子供達を育てなきゃいけないんだけど…。

とりあえず数日間ほぼ何も食べてなくて寝ていないので体力的にも限界。だけど赤ちゃんがいるので夜も昼もゆっくり寝れない。
娘だけだと夜は寝れるけど…。


そんな状態で、頭もボーッとしているし、疲れの限界で夫はいなくなり、葬儀はバタバタだったけどここに来て1人になり考える時間もあり…。

私ってこんなに涙出るんだ!ってくらい涙が溢れ続け…。しまいには立てなくなるほど。

自分はけっこうメンタル強い方と思ってたけど、最愛の母の死はかなり堪える。。。。


こんな状態でも赤ちゃんはお腹すいて泣くし…。
娘は空気読んでそっとしておいてくれたけど。


…で、母のこと以外は何も考えられず、ボーッとしてしまい。。。。
昔のことを思い出したり、とにかくいろいろ考えていて…。
母の事も知ってる友達から連絡来たので電話したりして友達も私も泣いたりして…。


とにかく心ここにあらずな感じで子供達を全く見ていなくて、娘にはご飯もあげてなくて…。
息子はベッドから転倒。
ベッドから転倒するなんて今まで一度もない。

とりあえず抱っこしたらすぐ泣き止んで機嫌も良くなったし寝たので大丈夫でしょう…と思っていたら三時間後くらいに嘔吐。

うちの息子、赤ちゃんなのにミルクを嘔吐したことが一度もなくて、しかも転倒して三時間後くらいに嘔吐だったのでさすがに怖くなってとりあえず基地内の救急に電話して聞いてみたらそっちに向かうからと言われ、救急隊員到着。

日本人とアメリカ人の集団。

日本だとだいたい二、三人しか来ないけど、なぜか7、8人も来ました…。
しかもみんな防護服着用。


とりあえず容態としては目視する限りは大丈夫そう。(私もそう思う)だけど、一応念のために…ってこともあるのでそのまま救急車に乗って急遽に行き、詳しく調べると言われました。

頭打っても機嫌良くて元気なら通常は心配ないけど、吐いたのが気になるから…と言われ。


結局異常は見られず、びっくりしたら赤ちゃんは吐くこともあるのでおそらくびっくりしたのかもと言われました。

まぁ確かにあの高さから落ちたのは初めてだしね…。娘から私の肩揺さぶられて「お母さん泣いてるよ!」って言われるまで赤ちゃんの泣き声聞こえないくらい私はボーッとしていたし。


とりあえず異常なくてホッとしてタクシーで帰宅したと同時にまた涙が溢れてメンタル崩壊。

ただ、救急隊員達が土足で我が家に入ってきたのと、複数の人に赤ちゃん触られたのが気になり、こんなメンタルで泣きながら赤ちゃんをお風呂に入れ、泣きながら床掃除して…。

潔癖がこの状態だとかなり災いする。


もーなんか全部無理!
もう絶対この状態で2人育てるのは無理!

せめて2、3日でもいいから夫にいてほしい…と思い…夫に連絡するもカウンセリング受けろと言われ、とりあえずこの日はもう夕方だったので翌日電話することに。

この日もほぼ一睡もできないどころか涙がずっと止まらない…。
朝、カウンセリングに電話何回もするけど繋がらない。

カウンセリング自体は空いてるけど、コロナでテレワークになっている為、いつもカウンセリングが行われている建物自体に人がいなくて電話が繋がらないという状況。


もういろいろ無理すぎて友達に相談してみたらみんなオンブズマン(船の相談役みたいな人)に連絡した方がいいとアドバイスをもらい、オンブズマンに電話するもまた繋がらない。


なので、とりあえず今の状況をオンブズマンにメールで送りました。

すぐに返信が来たのですがなぜか救急病院へ行けと言われ…笑笑

はて…? 救急…?
なぜに?

ん〜…意味不明w


メンタルケアは必要だけど、救急に行く意味がよくわからない。冷静じゃない状況ですら救急に行くのは違くね?!と思う私w

ただ私がお願いしてるのはとりあえず今までの状況説明全部して、カウンセラーを紹介してほしいが電話が繋がらないのでどうにかしてほしい、それからこの状態では育児が困難なので夫に帰宅してほしい、私のメンタルレベルは子供達といるからまだ保ててるけど、子供達いなくなったらどうなるかわからないから(良からぬことを考える)子供達とは離れたくないのでベビーシッターとかではなくやはり夫が必要というお願い。



それでなぜか救急…w


おそらく母の死が自死であることなどからむこうが勝手に私も自殺する勢いと考えたのではないだろうか…。

逆に子供達残しては死ねないから私の場合自殺はまずない。まぁ今1人になったらもしかしたら自殺を考えたりするかもしれないけど、でも子供達がいるのでそれはない。


とりあえず救急に行く必要はないと感じたので既読スルーしていたら、同じ建物に住んでいるマスターチーフがうちに来てめちゃくちゃでっかい声で私の名前を叫ばれ…www


いやいや…だから私なんで死ぬ設定なん?w


私はとりあえず飲み食いしてなくて不眠なので、フラフラと玄関に行くと、大丈夫か?!生きてるかどうか見に来た!
何か必要なものあるか?!
今から夫を迎えに行って連れて帰ってくるから何も心配するな!と言われた。


優しい…笑い泣き笑い泣き笑い泣き笑い泣き笑い泣き


だけど、私死にませんから!!!笑

そこからすぐに同じ職場のミリタリーの女性がうちに派遣され、監視されるという謎の構図w

だから、私死なないから!笑笑


娘はひたすらYouTube見て誰が来てもシカト状態だったので笑
とりあえずそのミリタリーの女性に赤ちゃんを見てもらうことに。

ちょうどカウンセラーからも電話が来てしばらく話せました。
カウンセラーの方と話して少し気持ちが楽になりました。

本当カウンセラーって凄い。

だけどカウンセラーは心のケアはできるけど、子供達を見てもらうわけではないのでやはり夫がいるにこしたことはない。

ちなみにコロナで対面は禁止なので電話のみでのカウンセリングになります。
まぁ私は子供達がいるので、そっちの方がありがたいですがね。
次回の予約もして電話終了。


しかし知らないネイビーの女性がうちにいるという気まずすぎる感じ…w

その女性、妊娠中らしく初めての子供なのでうちの息子(6ヶ月)に興味津々でした。
いろいろ話していたらその女性も若い時に母親を亡くしたのだとか。

とっても素敵な方で、連絡先交換しようと言われ、ベビーシッターもしてくれると言ってくれました。


そこからまたカウンセラーの方から電話で「基地内の病院から〇〇さん(私の名前)は大丈夫ですか?という質問があったんですが、秘密厳守なのでどうお答えしたらいいでしょう?」と聞かれました。

何も答えたくないなら本人が何も答えたくないと言っているということもできますと言われました。

「大丈夫」というのは何を「大丈夫?」と聞いているのかが疑問ですが、とりあえずもちろんメンタル的には大丈夫じゃない。
でも自殺とかそういう変なことをしようという考えは全くない…もしかしたら1人になるとそう考えるかもしれないけど…と言うと、カウンセラーの方も「そうですよね」と強く同調。
ではその旨もしお伝えしていいなら伝えますと言われ、伝えてくれました。


そこから夫が間もなく帰宅。
そこから安心して泣きまくりました。


正直言って、1人で頑張って耐えることもできたかもしれないけど、母親がうつ病で苦しんだように私もそういう風になりたくないと早めにみんなの力を借りて自分のケアを優先しようと思ったのです。

いつもだったら夫の職場に迷惑かけたくないから絶対にそんなことオンブズマンに連絡したりとかしないと思うけど、今回は状況が状況だったのでね…。

このまま大丈夫だ!と無理矢理耐え続けて本当に自分の心が崩壊してしまったら子供達の世話どころじゃないし。
だから早めに対処して、一刻も早く立ち直る準備をしたまでです。

皆が全面的にサポートして下さったお陰で夫が帰宅できて安堵感がハンパない。
やはりこの状況を乗り越えるには今は私には夫が必要だ。

職場には本当に迷惑おかけするけど、今だけは夫の力が必要だ。
家事とか何もしなくていい、そばにいてくれるだけで心の支えになる。

やっぱりこういう時は家族で過ごす時間が私には1番癒される。


この日は疲れていたのもあるし、夫がいてホッとしたので久しぶりに夜赤ちゃんの泣き声で起きた以外は寝れました。

翌日も相変わらずご飯はあまり食べられず…。
フルーツとかゼリーとか、野菜だと山芋とかサッパリしたものだと食べれそう。
うどんや素麺でもいい。

しかし基地内ロックダウン中で日本の基地の外のスーパーに行けないのでどうしようもない。
基地内のスーパーにはフルーツはあるけど苺とかはない。
ゼリーもアメリカのゼリー…。

山芋とかはもちろんない。
うどんは日本食コーナーでスープ付きのやつを前に見たけど…。

とりあえずスーパーは現在人数制限されていて並ぶので買いに行く気力もない。


なぜか不思議と温かい緑茶とチョコレートだけは食べれたのでそれをひたすら飲んでました。

これ、めちゃくちゃ不思議なんですが…。

私普段温かい緑茶とかほとんど飲まないんです。
チョコレートもほんとたま〜にしか食べない。
そもそも私はお菓子も辛いものが好きなのでチョコレートとか甘いものはあまり食べない。


母は緑茶を毎日何杯も飲んでいて、チョコレートも好きでした。


なんだろう…?
母が私の体を借りて緑茶を飲み、チョコレートを食べているんだろうか?笑

不思議です…。


母が亡くなった日から食べているものは毎日ほぼ緑茶とチョコレートのみ。


娘にもろくなものを食べさせていない。
インスタントのマカロニチーズやら食パンとかしか与えていない。
ご飯炊いておにぎりを作るという行為すらかなり頑張らなければいけない。


しかし毎日こんなんじゃ娘がかわいそうだからさすがに作らないと…と、夫も帰宅したことだし、買い物を頼もうとしていたらちょうどのタイミングで友達が買い物行くからついでにしてこようか?とメールが来てお願いしました笑い泣き

やはり普段スーパーに行かない夫だと買い物頼んでも全くわからなさそうだし。
本当お友達に感謝です。

その他も何か買ってこようか?とか弁当届けようか?と聞いてくれるお友達もたくさんいて本当に友達にはすごく恵まれている私です笑い泣き

これまで私は友達に何一つしてあげたことはないけど、こうしてみんながすごく協力してくれたり、話いつでも聞くよと言ってくれたりしてありがたい…笑い泣き笑い泣き

こんな素敵な友達が周りにたくさんいるからこそ今頑張って乗り切れる力がある。


しかもこの日郵便局に行って手紙を受け取ってきた夫。
このタイミングで幼稚園からのお手紙で、GWまで休みというお知らせが…。
コロナ関係で大変な人には不謹慎だけど、正直このメンタルで娘の幼稚園送り迎えとかできない感じだったのでかなりありがたい。

娘は次から年長さんで、いつも年中と年長の先生は固定されていたんですが年長の先生が辞めることになり、新しく年長組の先生が来る予定でした。

新しい知らない先生はちょっと不安だな…と思っていたけど、まさかの年中組の先生が年長にそのまま持ち上がることになり、2年目も同じ先生でかなり安心。
その先生はほんとに信用できるので。


私にとってこのタイミングで全てが都合が良い感じになり、こうなるべき運命だったのか…
コロナで外にもいけないし、今はゆっくり休めってことなのか…と解釈しております。


しかもほぼ同じタイミングで不幸があった仲良い友達ともずっと連絡取っていてその友達も今立ち直ろうと頑張っていて行動パターンが一緒だし、なんとなくこの辛い気持ちが私だけじゃないってことで、心強い。
さらにこの友達は私と同じ年齢の時にお母さんを亡くされているのでこの気持ちがよくわかる。

2、3日に1回はメールしながらお互い生存を確認し合っているw


なんか、全てがこのタイミングだったんだなーって感じます。。。。


しかしあんなせっかち極まりない父から母もようやく解放され、自由になり…よかったです。

でも、欲を言えば離れているから顔は見れなくても最後に電話で話したかったな…って思います。

母とのやりとりしたメールは一生消しません。


 
さて、お友達から買い物した商品を届けてもらい…しかし私は今現在見た目もボロボロだし、ほんとは会ってお礼を言いたいけどそういうメンタルでもないので夫にタワー下で引き取ってもらったり。。。。

お友達宅に預かって貰った時に哺乳瓶を忘れてきたのでそれをコンビニに行く夫についでに取りに行ってもらったり…。
そしたら娘に友達がたくさんお菓子くれていて、それ見てまた泣きそうになる私。

ちょっとした優しさで今はすぐに涙が出るw
優しい言葉かけられただけでもう涙腺崩壊。


ほんと普段は涙一つも出ないし、夫に抱きついたりしないのに今は真逆です。
暇さえあれば夫にくっついてます。

お友達にせっかく買い物行ってもらったことだし、頑張って娘の分のご飯だけでも作ることに。

と言ってもおにぎり、卵焼き、ソーセージ焼く、フルーツカットする…が限界でしたが久しぶりの日本食に娘はすっごく喜んでくれてまた涙腺崩壊。

最近私がこんな調子だから娘が急に「もしお母さんが死んだら私も死ぬ」とか言ってきてまた号泣。
私も全く同じことを小さい頃母に言ってました。


母とすっごく仲良かっただけにこの突然の死が辛すぎる。
しかも老衰、病死とかならまだ心の準備ができていたように思える。
少なくともあと10年は生きると思っていたし、20年は生きてもおかしくない。
それが突然…しかも自死。

何か私にできた事があったんじゃなかろうか…。
もし私がそばにいたら絶対亡くなってなかったよね…と、自問自答を繰り返す日々。

今更もう何を思っても仕方ないのだけど。。。



お母さんにはとにかく感謝しかありません。
またいつか生まれ変わっても親子でいたい。


自分の気持ちを整理するためにも小さい写真(遺影)を飾るため、棚を購入して写真立ても購入しました。

仏壇は実家にあるので棚に遺影を飾るだけでも気持ち的にちょっと違うかな…と思いまして。
ネットで注文したのでまだ届いていません。



それから今現在ご家族のどなたかがうつ病で苦しんでいる方がいたら是非大切にしてほしいです。

うつ病患者の周りの家族はすごく大変です。
それは私も経験してるからわかります。

でも、いつが最期になるかわからないのです。
もしかしたら今日が最期かもしれません。
そうやって接してもらいたいです。

人の命は本当に儚いと身をもって感じました。
昨日まで、数秒前まで生きていたのに一瞬で亡くなるなんて。。。。



今はとにかくゆっくり休んで自分の好きなことしたり、自分のケアに集中します。
周りにたくさん助けを求めるかもだけど、こんな時くらいは甘えようと思います。


ここ最近は暗い内容のブログが続きましたが、これが私の今の気持ちなのでお許し下さい。

またちょこちょこブログも書きたいので、今後も見守っていただけると幸いです。


ちなみに父からちょこちょこ連絡があるのですが(いろいろな手続き関係で)、毎日ビッグマックセットにコーラ飲んだり、豚カツ弁当大盛り食べたりしてるそうです。
そして相変わらず親戚をこき使いまくってるそうです。

まぁなんとも立ち直りが早い…www
メンタルまでせっかちな父笑い泣き

ある意味羨ましい。笑

兄夫婦もまじあの人元気やわ…と言っておりました笑笑

お母さんも笑ってることでしょう。


ただ一つ、私は結婚式をあげていなくていずれ結婚式をあげるか、ウエディングドレス着て写真だけは撮りたいと思っていたのでそれを見せられなくて残念です。

まぁこうして母に見せたかったこと、やりたかったこととか考えるとキリがないし、考えても仕方ない事だとわかってるんですがね…。

でもやっぱり考えてしまいます。
きっとお母さんは人生に悔いはなかったと思うけど、私はまだまだお母さんと一緒にやりたかったこと、連れて行きたかったところ…たくさんありました。

離れていて普段会えなくても母が実家にいるということだけで私は安心だったのに…。
毎年クリスマスに娘や私達に何か送ってくれたり、お土産送ってくれたりした母。

ほんとにもう会えないなんて信じられない。

いつかこの死を受け入れることができるんだろうか…。


以上、最近の近況でした。