こんにちは松田さおりです
これから初めて販売にチャレンジする方や、今よりもっとスムーズに営業したいという方に向けて、
『それって、今買えますか?』と言われて売れるハッピーセールスをお伝えしていくために、まずは自分史ブログ書いてます
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時は流れ、10月…。
相変わらず職場では毎日同じ時間に同じ仕事をして、14時から17時はお局先輩OLの吐くマイナスをバックミュージックのように聴かされながら、暇を持て余す日々…。
そんな中でも、仲良くしてくださる2人の先輩ができました
15時から15分だけ、給湯室(めちゃ狭い)でお茶休憩ができるのですが、その時にいつも一緒になる先輩。
お局OL2人の、(といっても実は29歳くらいだったのですが…悪口の凄さと態度のデカさに、営業の男性社員さん達もタジタジでした)隣の席の私を心配して、ある時、声をかけてくれたのでした。
『あの2人強烈やんね、松田さん…大丈夫』
気持ちをわかってくれる人ができたというだけで、すごく嬉しかったのを覚えています
それからというもの、あまりにしんどい時は、休憩中に愚痴を聞いてもらっていました。
とはいえ、お2人は席も遠く業務も違うので、営業や製造の方など、いろんな方と関わっての仕事があり、私よりは仕事がありそう…。
ますます、他人の芝生が青く見えるばかり…
ただ、その頃になると心のどこかで少し諦めのような…。
社会人ってみんなこんなものなのかな~、なんて。
やりがいとか楽しさとか、そんなものを求めるのは贅沢な話で、みんなお金のために自分の気持ちにフタをして働いてるのかな…。
もしそうだとしたら、私のモヤモヤもただのわがまま…
しかも、言われた仕事さえしてたらお給料をもらえるなんて、楽と言えば楽だし、悪くはないのかも…。(実際、初任給にしたらまあまあな高額をいただいてました)
両親からは、
『女は結婚したら家庭に入るモノ』
と言われてるし、結婚までの腰掛的に居るならありかもしれないなあ…。
でも…
私が幼い頃から思ってきた正直な気持ちは、
『一生バリバリ働きたい自分の力で生きていきたい』
ということ…
どうしたら良いものか…
そんな風に悩める日々を送っていました。
毎日、仕事を終えて帰っても、まだ17時半。晩御飯にはまだ早い…。
『なんかお腹空いたな~。』
おもむろに家にあるスナック菓子やら甘いものやらを探し出し、暇にまかせてたらふく食べ、(なんとポテチは毎日一袋)、19時からは晩御飯をこれまで通り満腹食べる生活になっていました
( そりゃニキビもひどくなるわ…)
とにかく、体質的に太りはしなかったものの、明らかに過食になっていました
そんなある日…。
『イテテ…』
人生初、胃がキリキリと痛むようになりました。
最初はたまにだったのですが、日毎に痛むようになり… 膨満感も…
さすがに食欲もなくなり、食べるのもしんどくなってきました。
あまりに続くので、半休をいただいて、胃カメラで検査をすることに…
その結果…神経性胃炎ということでした
当然ながら原因は『ストレス』
今まで、どんなことがあっても負けじと頑張ってきた自分が、ストレスで胃をやられるなんて…
お医者さんは、お薬を出しながら、笑顔で、 『なるべくストレス溜めないようにね~』と…。
たしかにそれしか言えることはないですよね
ただ、現状を変えない限り、このストレスは消えることはない…。
同じ環境でも、『心の持ちよう』とか言うから、なんとか自分の気持ちを変えようとこの半年頑張ってきた
アフター5で気持ちを切り替えようともしたし、先輩の良いところを見て好きになろうともした
それでもやっぱり、仕事にやりがいがないことと、毎日人の悪口を聞かされる環境というのは、自分にとって堪えがたいことでした
本心から突き上げてくる言葉。それは…
『私は自己成長を感じられる仕事がしたい』
『一日の大半を過ごす仕事にやりがいを感じられなければ、何をしても楽しくない』
ということでした。
そしてそれは、就職をして、初めて分かった自分の気持ちでもありました。
就活の時、自分は何をしたいのか、この先どんな生き方をしたいのかなんて、全くわかりませんでした
でも、仕事に就いてみて、初めて自分の意志というものを、明確に知ったのでした
でも…3年も経たないうちに仕事をやめるなんて…絶対親に怒られる
しかもまたあのしんどかった就活をするの…
転職できなかったらどうしよう
『ああ…、就活前にこの気持ちが分かっていれば…』
ちゃんと考えず、早く楽になりたい一心でテキトーに就職した自分の愚かさを悔やみながら、浮かんでくるのは不安ばかり…
そんな時、知人から半ば強制的に(おそらく動員人数不足で)誘われたセミナーに参加しました。
しかし、そこで耳にした話が、私に決断の勇気をくれる大きなキッカケに…
それは、『乗り越えられないかべは来ない』 という話。
そのフレーズを聞いた瞬間、斜に構えていた私は、
『来た来た来た~キレイごと』
と思いました。
かと言って出て行くわけにもいかず、仕方なしに話を聞いてみると…。
壁に”乗り越えられる壁”と”乗り越えられない壁”という種類はありません。
壁に種類があるのでなく、人に2種類あります。
どんな壁が来ても、”乗り越えられる人”と”乗り越えられない人”がいるのですが…
乗り越えられない人は、”乗り越えられない壁がある”と思っていて、その壁を乗り越えられません
じゃあなぜ乗り越えられないんでしょうか??
乗り越えられない人は、『壁』ばかり見てるんです。
何か事を動かそうとしたときに、目の前に立ちはだかる壁。
周りからの反対とか、
失敗したらどうしようとか、
そもそも自分には能力がないという不安、とか…
まだ起こってもいないマイナスばかり考えて、結局行動に移せないんです。
かたや、乗り越えられる人とは
すでにその壁を乗り越えた先、希望に満ちた未来を見てるんです
こうなったらすごいなとか、
こんなこともできるんじゃないかとか…
そのワクワクした気持ちをパワーに変えて、マイナスの壁すら『あらよっ』と乗り越えていくことができるんです
じゃあその壁の向こうにあるキラキラしたものって何
分かりやすく言うと、それが『目標』なんですよ
と…。
…衝撃でした。
目から鱗でした…
私は…私は…『壁を乗り越えられない人』だった…
チャレンジしないことを、ずっと周りや環境のせいにしてきました。
親が厳しいから…家族が反対するから…お金がないから…自分に能力なんてないから…
失望することや傷つくことを恐れて、何に対しても熱くならない、期待しない、無理なくできる範囲のことでそれなりに生きていければいい。
だから、夢とか目標とか言って必死で頑張っている人がバカっぽく見えていました。
なんてハスに構えてた自分…
チャレンジも努力もせずに成長なんて…。何かを得ようとしてたなんて…
自分はなんてバカだったんだろう
それまで、『目標』=『決めたらやらないといけないこと』みたいな、”立てたがゆえにやらなきゃならないしんどいこと”だと思っていました
でも違った
『目標』はあるから頑張れるもう一歩頑張ってみよう、という原動力になるもの
私には、明確な『目標』がなかったから頑張れなかったんだ
本当に、脳天から雷を受けたような衝撃でした
人生変えたい
そう本気で思いました。
人生一度きり。 とくに若い時はやり直しだってきく
失敗して失うものってなんかある…
地位、財産、家族、プライド…、今なら何もない
チャレンジして生きなきゃもったいない、
せめて、目の前の壁を『乗り越えられない人』じゃなく、『乗り越えられる人』になりたい
そう、強く決意したのでした
そこからの行動はとても速かったです。
まず、自分のやりたい仕事をすると決めました
じゃあやりたいことって何
それを明確にするために、今の仕事の何が嫌なのかということから考えました。
誰でもできる仕事しかしておらず、暇で、やりがいがない。
自分の必要性を感じない。
スキルアップできるとは思えず、一生働ける仕事ではない。
紙やパソコン相手の仕事なので、誰にも喜んでもらえない。
そこから導き出された『自分がやりたい仕事』とは、
自分にしかできない仕事。「松田さんにお願いしたい」と言われるような仕事。
専門的で手に職がつき、女性が一生働ける仕事。
人から「ありがとう」と言われるような、喜んでもらえる仕事。
でした
そして、12月に入ったある日、思い切って総務部長に退職の意志を伝えました
総務部長(唯一仕事ができる人だなあと感じていた部長)は初めびっくりされていたものの、私のことをある程度分かってくれていたのでしょう。
『まあ…君には合ってなかった仕事かもね…。もっと動ける仕事が良いと思うよ』と言って、受理して下さいました。
親に相談すると絶対に反対されると思ったので、あとで怒られる覚悟で独断で決行
退職が決定してから親に事後報告すると…
何の予想外もなく、それはそれはこっぴどく叱られました
でも、私の人生は誰のものでもない自分で決める
そう思って踏み出した一歩。
入社わずか9か月。12月末に晴れて退職をしたのでした
そこからは、これまた初めての転職活動
果たして、『目標』には近づけるのでしょうか…。
続く。
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自分史42 思いがけない転職劇