こんにちは松田さおりです
これから初めて販売にチャレンジする方や、
今よりもっとスムーズに営業したい、という方に向けて、
『それって、今買えますか?』と言われて売れるハッピーセールスの
コーチングをしていくために、まずは自分史ブログ書いてます
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引っ越しした先。
それは、同じ神戸市内ではあったものの、畑や田んぼいっぱいの新興住宅地でした。
どのおうちも当然、門扉があり、庭があり、ちゃんとした鍵のついた立派な玄関の扉がありました。
おうちを訪問するにはインターホンを鳴らして呼び出さないといけません。
人にとっては当たり前のことも、私にとっては何もかもが以前とは違い、驚きの連続でした
しかし何はともあれ、新しい家
嬉しくないことはありません。
初めて親とは別の、子供部屋というものを与えられ、ウキウキしたのを覚えています
夏休み明け、新たな学校で転校生としてのあいさつ。
保育園の時の記憶がふとよみがえってきて、多少の不安はありましたが、そこは新興住宅地
私以外にも何人か転校生がおり、縄張り意識もそこそこに、むしろ田舎の素朴な子供たちは興味をもって寄ってきてくれました
どうやって溶け込んでいったのかはよく覚えていませんが、割とスムーズにお友達もでき、平和に学校生活がスタートしたように思います。
ただ、公園が小さくて遊具の数も少なく…。放課後を持て余しました。
何か面白いことできないかな~と、そこら辺の空き地の石垣をよじ登ったり(骨折しても学習しないヤツ)、ゴム高跳びや、その時すごく流行ったゴム飛び(1,3,5,10です懐かしい)なんかをしてしのぎました。
ただ、少しずつおうちでの遊びもするようになりました。
我が家は両親が共働きだったので、家に帰るといつも祖父母がいました。
なので、お手玉もお裁縫も編み物も、全部おばあちゃんに教えてもらいました。
なんでもこなせて、分かりやすく教えてくれて、いつも人のことを優先して行動できるおばあちゃん。
私はおばあちゃんが大好きでした。
おばあちゃんみたいになりたくて、教えてもらった足踏みミシンを使って、端切れでいろいろ作ったりもしました。
おばあちゃんが型紙を作ってくれて、バービー人形の浴衣が完成した時はすごく嬉しかったのを覚えています
あと、おばあちゃんが入れてくれるミルクティーがすごく美味しくて(普通のリプトンのティーバックだったのですが)、
自分で作れるようになりたいな、と思ったことからお料理にも興味が湧いてきました
これからもずっと側で、いろんなことをおばあちゃんから教われるものと思っていました。
でも…。
子供にはわからない問題が、家族の水面下で起こっていたのです。
環境が変わって、変わったのは私の遊び方だけではありませんでした。
祖父母と両親の関係も、また父と母の関係も。
環境が変わったことで、今までになかったいろんな問題が浮上してきていたのでした…。
そんなある日、母から告げられた、祖父母との別居…。
11歳になった私。人生初の大きな動揺でした。
続く。
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