こんにちは!松田さおりですドキドキ

これから始める仕事のために、まずは自分史ブログ書いてます音譜

 


前回のブログはこちら

自分史⑤ 手品のおっちゃんたちが教えてくれたこと


 

前回、だいぶ内容が重く、また長々となってしまったので、(最後まで読んでくださった方は神様です~笑い泣き

今回は少しライトな出来事を書こうと思います。

 

小学校2年生の時、学校の休み時間の終わりを告げるチャイムとともに、骨折をしました。ドクロ

 

身体が小さく身軽だった私は、木登りとか大きな滑り台とか、とにかく高いところに登ることが大好きでした。(煙となんとかは高いところが好きって…あれですね!笑)

 

 

 

 

ジャングルジム鬼ごっこは特に好きで、普通は落ちるのが怖くてみんな動きが遅くなるのですが、高いところが怖くない私は、とにかくすばしっこくて捕まらないので、みんなから『おちゃる(お猿)』と呼ばれていたほどした。

 

 

なので、学校の遊具でも、普通の遊び方をせず、高いところに登っては飛び降りる、というやんちゃな遊びを繰り返していました。

 

そんなある日…。(実は覚えてます。10月28日)

遊具の上によじ登って飛び降りた瞬間、バランスを崩し、変な姿勢のまま思い切り地面に墜落してしまいました叫び

 

「痛ぁ~っっ!!」

 

何が起こったかわからないけれど、とにかく痛くて立ち上がれませんでした。

 

その時、たまたま姉がそばを通りかかり、おんぶして保健室に連れてってくれました。

 

後で聞いた話によると、右腕の肘から下がぶらんぶらんだったとか、

あり得ない方向に曲がってたとか…あせる

 

そこから大事になってしまいました。

保健室の先生をはじめ、先生たちが私の母親に電話を掛けたり、救急車を呼んだり…。

場の空気が騒然としていて、子供ながらにただ事でない、ということがわかりました。

 

そうなるといっそう不安で、痛いのと大変なことをしてしまった、という気持ちから、より一層泣けてきましたえーん

 

その頃、まさか私がそんなことになっているとは思っていない2人の姉妹は、

学校に入ってくる救急車を窓から眺め、『校長が倒れた~!!』と、みんなと一緒になって騒いでいたそうです。笑

(校長先生すみません。子供たちの頭では、学校で倒れるとしたら一番年上の人に違いない、という単純な推測だったのです…)

 

小さい小学校だったので、おそらく全校生徒が釘付けになりました。

 

帰宅してみたら、まさかの自分の妹がやらかした、と…。

めっちゃ恥ずかしかった、と後日姉たちから怒られましたあせる

 

 

 

 

診断は右腕の複雑骨折。

手術をし、約2か月ほど入院していたように思います。

その当時の病院食はあまりにもおいしくないし、お風呂もずっと入れなし、することがなくて暇だし、夜中のトイレは怖いし…。

 

いろんな不満はありましたが、すべては自業自得だと思えば、弱音もあまり言えず…汗

 

それでも、そんな馬鹿な私のために、

毎晩、寝心地の悪い病室の簡易ベッドで付き添って寝てくれた母や、

少しでも美味しいものを…と、ジャーにお味噌汁やホカホカご飯を持ってきてくれた祖母には、本当に感謝しかありません。

 

結局、退院後も正常に腕が曲がるようになるまで、1年くらいかかりました。

 

今でも右腕の肘のところに、合計12針のムカデのような大きな手術痕があり、私を戒めてくれています!!

 

その後もやんちゃは相変わらずでしたが、否応なく、そんな遊びはできなくなりました。

 

お引越しです。

環境は大きく変わりました。

 

さてこれからどうなるか…。

続きはまた後日、お話いたします。

 

 

続く。

 


 

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自分史7 お引越し