鳥山明先生が亡くなった――

 

 

そのニュースを見た時、自分でも驚くくらい動揺し、

著明な方たちの鳥山明先生への追悼文を読むたび胸がいっぱいになり、

 

悲しみを共有したくて同世代の友人に連絡するも、

 

「すごいね。そこまでの感情になれるの。

原作者愛みたいなのないんだよね」

 

と返され絶望し、

 

思えば私は私の周りで、

私ほどドラゴンボールを好きな人を知らないのだと、

なんだか一気に孤独になった。

 

どうしよう。

この悲しみ、誰とも同じレベルで分かち合えないのかもしれない。

と思った。

 

今まで有名人が亡くなった時、寂しいな、残念だなとは思うけれど、

ここまで悲しかったことはなかった。

 

鳥山明先生の訃報に接した後は何もやる気が起きなくて、

眠れなくて、

あれ。私これやばいかもと思った。

 

 

今日のお昼は夫がすき家で牛丼を買ってきてくれたのだけど、

 

牛丼を食べながらアレクサで『サンサーラ』を流して、

 

自分でもびっくりするくらい泣いていた。

鳥山明先生を思って泣いていた。

 

 

ボロボロ泣きながらティッシュで鼻をかむ私を見て

夫(ドラゴンボールは普通程度に好き)は

「え?! マジで泣いてるの? 気持ち悪いんだけど」と言い、

息子のたいちゃん(3才)は「よしよししてあげる。よしよし」と頭をなでてくれた。

(その手にはよだれとすき家の肉がついていた)

 

 

 

もちろん鳥山明先生には一度も会ったことはないし、

なんなら顔だってよく知らない。

 

 

なのに何でこんなに悲しいんだろう。

 

 

ドラゴンクエストの攻略本の挿絵、好きだったなとか。

 

鳥山先生のイラストなぞってプラ板作ってたなとか。

 

トランクスが好き過ぎて泣いたことあるなとか。

 

鳥山明先生にまつわるいろんなことを思い出しては、

歯磨きをしていてもとめどなく涙が溢れてくる。

 

 

初めて買った漫画はドラゴンボール1巻だった。

駅前の薄暗い小さな書店で買った。たぶん小学1年生の時だった。

 

ドラゴンボールの新刊の発売はいつも楽しみだった。

カバーの折り返しに載ってる鳥山明先生のコメントも隈なく読んでいた。

 

背表紙に書かれたイラストは、並べると神龍を悟空や登場人物たちが追いかけている一枚の絵になるのだ。

ヤジロベーが間違って二回出てきたのを発見した時は嬉しかった。

 

ドラゴンボールはとにかく面白かった。

暗記できるレベルで何度も読んだ。

 

 

 

鳥山明先生の訃報について、父からメッセージが届いた。

 

「最も多くの人類に影響を与えた日本人ではないでしょうか。

初めて見たアラレちゃん、彼の画力に圧倒されたことを鮮明に覚えています。

合掌」

 

 

鳥山明先生を理解している父のメッセージにまた涙した。

 

 

 

弟からもメッセージが届いた。

 

 

「昨日バタバタしてて完全に乗り遅れたけど、

鳥山先生亡くなったの辛過ぎる。まだ若いのに。。

 

1番好きで1番読み返した漫画はドラゴンボールだし、

ドラクエもRPGの中で1番好きだし、人生のバイブルだったのに。。

新作新キャラ拝めないの辛すぎる。

 

たかが漫画、たかがゲームかもしれないけど、

自分にとって鳥山先生から受けた影響は計り知れない。

 

って人が世界中にたくさんいるんだろうな。偉大な人だな。。」

 

 

もう完全に同意。

 

追悼の意を込めて、LINEのアイコンをドラゴンボールに変えたら、

弟も追悼の意を込めて、

LINEのアイコンをドラゴンボールに変えていた。

 

 

そして気づいた。

 

 

この悲しみを同じレベルで分かち合えるのが、

父と弟であることに。

 

 

 

 

そうだ。

鳥山明作品は、父と弟との共通言語で、

家庭の一部だったんだ。

 

だからとにかく特別なんだ。と思った。

 

 

私が一人で集めていたドラゴンボールの単行本を、

いつしか弟も共に集めるようになっていた。

 

漫画がギッシリ並んだ弟の部屋で、

ひと際輝いていたドラゴンボール。

 

ドラゴン戦士が全員揃っている表紙を

ハサミで切り抜いて宝物箱に入れた時には

弟にブチ切れられたっけ。

 

父と弟とドラゴンボールを読んでたし、

一緒にドラクエしてた。

 

ドラクエⅠは父と二人でファミコンで。

ドラクエⅤは父と弟とスーファミで。

 

悟空みたいに戦闘力を上げたくて、弟と空手を習ってた。

 

私はいつかかめはめ波が出せると本気で信じてた、

ちょっとやばい高校生だった。

 

 

子ども時代のワクワクをたくさんくれた鳥山先生。

 

家族の絆を作ってくれた鳥山先生。

 

 

偉大です。永遠です。


子どもだった私たちは42歳のおばさんと、35歳のおじさんになり、父は72歳のお爺さんになりました。どんなに時が経っても、鳥山先生の作品とその思い出は色あせることがありません。


本当に本当にありがとうございました。

 

 

 

 

今、父と弟に会いたくてたまらない。

 

父は雰囲気が亀仙人に似ている。

間の取り方がなんとなく、鳥山作品に通ずるものがある。

 

今回の自分の落ち込みようで、

いつか父が亡くなったら確実に鬱になることを予感したので、

今のうちからメンタルを鍛えねばと思ったのでした。

 

 

 




 

写真は生後9ヶ月の私。アラレちゃんに出てくるガッちゃんの人形と。