思えば父の涙というのは見たことがありません。


いやあるのかな。覚えてないな。


感動する映画で目を潤ませるとかはあった気がするけれど、



ハラハラポロポロと涙をこぼす父を見たら、

忘れっぽい私でもさすがに一大事件として記憶に刻まれているはずなので、


多分父が泣いているところは見たことがないのです。



でもハラハラポロポロとずっと泣き続けていた日々があったことを、最近になって知りました。













数年前、四国八十八ヶ所巡りをしていた父。


最後のお寺、大窪寺でたまたま地元の新聞社から「大窪寺のシャクナゲに一言コメントするお遍路さん」として取材を受けたことがあります。


そして新聞に載った父をたまたま見つけた父の高校時代の親友Tさんが「おったまげた!」と数十年ぶりにメールをくれて以来、



父とTさんの文通のような面白おかしいメールのやり取りは続いており、


文才溢れるTさんのメールが小説のように面白いので、時々父は笑いながら私たちにも見せてくれていました。





メールはやがてLINEのやり取りとなり、

長文を書くのが苦手な父だけど、TさんへのLINEにはせっせと時間をかけて、楽しそうに書いていました。








そんなTさんとのやり取りが数ヶ月途絶え、

久々に父が「よっ。元気?この前行った高野山の動画ができたよん♪」とLINEしてみたところ、




実は数ヶ月前にTさんのお母様が亡くなられ、以来ふさぎ込んでいて今もまだ立ち直れていないとのお返事。



「父が亡くなった時はそれほどじゃなかったのに、母が亡くなったのは辛くて回復できない。マザコンかしら」


と、Tさん。



それに対しての父からの返信。









「・・悲しいね・・・驚きました。



ご冥福をお祈りいたします。



私の記憶のお母さまは喫茶店を切盛りされていたお姿のままです。



当時はいろいろと可愛がっていただいたことを思い出しました、ありがとうございました。




母親を亡くすとかなり精神的にやられます、年齢に関係なく、特に男はボロボロになります。



私53歳のときでしたが、火葬場の順番待ちの五日間、寝不足が続き飛蚊症を発症しました。



その後三か月くらい、なぜか涙があふれ、めそめそしておりました。




周りの同世代の男たちも同じ状況のようで、奥さま方に『いつまでもめそめそするんじゃない!』と叱咤されています。




母親からは本当に無償の愛をもらっていたのだと思います。



死の間際まで、子どもには最後まで『迷惑をかけまい』という母の思いを感じていました。


ご母堂様もきっとそうだったのではないでしょうか。



しばらくの間、めそめそが続くと思いますので、当時先輩が送ってきた、めそめそを強化する曲を添付します。



思いきり浸ってください。


高野山動画は少し時間をとって送りますのでしばらくPCは蓋しておいてください。


ではでは、  合掌」









祖母が亡くなった時、私はもう家を出ていたので、その後父が数ヶ月に渡り泣いていたことを初めて知りました。




葬儀では気丈な姿を見せていた父の記憶しかありません。





当たり前だけれど、

私にとっての優しいおばあちゃんは、父にとっては永遠にお母さんだったのだなと思います。






乳をやり、背におぶい、

我が子を撮った写真は一枚一枚丁寧にアルバムに貼りコメントを添え、


最愛の伴侶が亡くなった後は母一人子一人で

必死に子育てし、


息子が独り立ちした後も

ずっと見守ってきた祖母の、




母としての53年間を思いました。





























追伸

Tさんに添付しためそめそを強化する曲、北島三郎あたりかなと思っていたら、チャイコフスキー『四季』6月舟歌とのことで、なんかお洒落な感じでした。