途上国の子ども達に映画を届ける活動をしています。

 

始めたきっかけの一つには、

恐らく映画好きな母の存在があります。

 

母は地方で生まれ育ち、

唯一の楽しみは町で一館だけある映画館に行くことだったそう。

 

”土井のおばちゃん”という近所のおばちゃんに

映画館に連れて行ってもらって、

当時の映画館は二階が座敷になっていてそこから観てた話とか、

 

学生時代は

学校から「一人で映画館に行ってはいけない」と言われていたけれど、

 

どうしても観たくて、

当時優等生だった母が唯一していた悪いことが

映画館に行くことだったという話とか、

 

その中の一本の映画に出てきた職業に憧れ将来の夢を思い描き、

その夢を叶えた話とか、

 

 

母の映画館に関するエピソードは、

私が活動を続ける上での大きな支えになっています。

 

 

母の影響で、物心ついた時にはいつも映画がそばにあり、

家や映画館で家族で一緒に映画を観る時間は、

私にとってとても幸せな時間でした。

 

 

大きくなってからも、

母と一緒に実家のリビングだったりで映画を観るのですが、

 

映画を観ている母を隣で見ていつも思うのが、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……寝てる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ということです。

 

 

 

 

母、映画観てる時、ほぼほぼ寝てる。

 

まあ一日ノンストップで家事してて、

夜の眠りも浅いので、うとうと寝ちゃうのは仕方ないよなと思います。

 

 

でも解せないのは、確実に寝てるのに、

 

エンドロールくらいで目を覚まして、

 

 

 

「面白かった」

 

 

 

って言うこと。

 

嘘つきになっとる。

 

 

 

 

 

 

 

 

母の嘘つきシリーズで言うと、

 

『シアター・プノンペン』という、

カンボジアの女性監督が作られた映画があるんですけれども、

 

このソト・クォーリカーという監督には

個人的にも団体的にもお世話になったことがあるので思い入れがあるのですが、

 

そのことを除いても、とても面白い映画なのです。

 

カンボジアの首都プノンペンで暮らす女子大生が、

廃墟になった映画館でたまたま観た古い映画の主演女優として出てきたのが

今は病床に伏せる自分の母親で、

 

その映画をきっかけに、主人公はカンボジアの悲劇の歴史を知っていく……

 

 

というお話で、

 

今のカンボジアの若者たちは、

自国の負の歴史を知らない子が多いのですが、

 

それは大人達が話さないからで、

 

そうした状況に一石を投じたいという監督の想いが詰まった名作なのです。

 

 

岩波ホールさんでの上映時に、

カンボジアのご縁でトークショーでも呼んでいただいたりして(自慢)、

 

この映画をもっと広めたいなと、

母にも猛プッシュしたところ、

 

 

母も映画館に観に行ってくれました。

 

 

 

後日母に感想を聞いたら、

 

 

 

 

「すごく良かったよ。あの幽霊の人が……

 

 

って言ってたんですけど、

 

 

 

 

 

幽霊とか全然出てきてない――

 

 

 

 

 

なんだろう。

寝てて観てないシーンを埋めるために

脳内でストーリー作り上げられてるのかなすごい。

 

 

 

 

 

あと最近、遅ればせながら見たドラマの『エルピス』が面白くて、

 

母にも勧めたところ、

1話目を見た母から早速「面白かった」とLINEが来て、

 

「でしょでしょ」と、早く最後まで見てねと言っていて、

 

 

たまたま実家に帰った時、

 

母が最終話を見ているところに遭遇したのですが、

 

 

 

 

音声が小さすぎてセリフきこえてなかったんですね。

 

「え、これセリフきこえてなくない?」

 

「だって、大きくしたらたいちゃん起きちゃうかなって思って」

 

って孫を気遣ってくれてたのはいいんですけど、

 

最終話の、長澤まさみと鈴木亮平の、

あの互いの正義がぶつかり合うあのやり取り、

ここまでのドラマのストーリーがつながってくるようなあのやり取り、

セリフきこえずに見るの意味ある?

 

 

 

って思ったんですけど、

「面白かった」って言ってたからまあええか。

 

 

 

 

 

 

それで昨晩、

ずっと観たかった映画『そして父になる』を夫と観たんですけれども。

 

2013年の映画で、

当時から気になっていたけれど、

 

なんとなく、子どもができてから観たいなと思っていたので、

観たのが昨晩になったんですけれども。

 

 

私これ、最後どうなるかは結構前に母から教えてもらっていて。

 

 

私、夫からは「信じられない」と引かれるのですが、

映画とかドラマのネタバレが平気な人で、

むしろ知ってから見ると安心して観れたりします。

 

特に子どもが可哀想なことになるかもしれない映画が

アンハッピーエンドだと耐えられないので、

 

ハッピーエンドだと知って安心して観たいなというのがあったりして。

 

 

『そして父になる』は、子どもの取り違えの話と聞いていたので、

もう一つの家族と子どもを取りかえることになる話というのは

ぼんやり知っていて、

 

なので最後どうなってしまうのか、母に聞いたところ、

 

 

 

 

「最後は二つの家族で一緒に暮らすことになる」

 

 

って教えてくれてたんですね。

 

なるほどな、と思って。

 

二つの家族で一緒に暮らしたら、

これまで育ててきた血のつながってない子も育てられるし、

血のつながった子の成長もそばで見れるので、

一番いい選択かもしれない。

 

 

親たちや子ども達の気持ちに胸をキューッとさせて観ながら、

いつ頃から一緒に暮らすことになるのかなって思って観ていて、

 

映画終わったんですけど、

 

 

いや全然、一緒に暮らすことになってないよお母さん?



あー、あれか。

この最後のシーンで両家の家族皆で

「まあお茶でも」みたいな感じで家に入っていったシーンをそう受け取ったのか。

 

 

このラストシーンまでお母さん寝てたから、

一緒に暮らすことになったと受け取ったのか。あー、そういうことか。

 

 

 

と、母の脳内に想いを馳せました。

 

 

 

母から聞いてたラストとは違ったのですが、

 

『そして父になる』、このタイミングで観て良かったなと思いました。

 

 

最近はたいちゃんが保育園で病気をもらってきて、

私も風邪を引いて病院通いみたいな日々で疲れて、

 

「なんかもう子ども可愛くないかも」って思ってたんですけど、

 

『そして父になる』を観た翌朝から、

 

たいちゃんといられる幸せを噛み締めて、

たくさん遊んであげようと思って、

 

自分は真木よう子であると思いながら、

愉快で楽しいママをやろうと思うことができました。

 

 

それは恐らく夫も同じで、

今いつもより遊んでくれているので、

恐らく今夫福山雅治気分になってるので、

 

お休みの日でたいちゃんいるけど、

このブログを書くことができました。

 

 

ありがとう映画、ありがとう。

 

 

では、たいちゃんのお世話に戻ります。