ワールドシアタープロジェクトというNPOの代表を

出来損ないながら務めています。

 

カンボジア農村部などの子ども達に

移動映画館で映画を上映する活動なのですが、

現在コロナ禍で、現地の活動は一時停止をしています。

 

ご寄付で成り立つ活動なのに、

移動映画館が動いていない中ご寄付をいただくのも申し訳なく、

不要不急の活動の団体であることへの罪悪感もでてきたりして、

後ろ向きな気持ちで落ち込んだり悩んだりしていたのですが、

 

前向きに引っ張っていってくれるメンバーや、

続けて欲しいという現地の映画配達人、

応援の声をくださるご支援者の皆さまのおかげで、

 

現在今年9月の再開を目指して、

団体メンバーとミーティングを重ねている最中です。

 

上映するための新しい映画作品を見つけて契約するチームや

映画上映の前後のワークショップを改善して

映画配達の質を高めるチームなど

いくつかのチームに分かれまして、

 

よし、これからはチームの進捗だけ見て

あーだこーだ言う感じの代表になろうと思っていたら

私と副代表の菊地は、

流れ的に全チームのミーティングに出ることになってしまいました。

 

うぅぅ…つらい…

子ども寝かしつけて運動会やり遂げた後みたいな夜に

ミーティング2時間つらい……

 

と代表のくせに弱音をすぐ吐くんですけれども、

私よりメンバーの方が大変なんですよね。

 

弊団体は恥ずかしながら私の能力のなさゆえに、

活動開始から9年経っても火の車の団体です。

(と、毎年この悩みを解決できていない自分が恥ずかしい…)

(もちろん自腹でやっていた活動初期に比べたら、

ご支援くださる皆さまのおかげで成り立つようになり有り難い限りです…!)

 

なので日本のメンバーは私含め全員無給のボランティアなんですけれども、

私以外は本業でも仕事ができる優秀な人たちなので、

仕事ができる人のもとには仕事が集まってきてしまうので、

本業もとても忙しいんです。

 

その上それぞれ介護だったり育児だったり、

いろんな事情を抱えたりしているであろう中、

一銭にもならない活動に時間と労力を費やしてくれています。

(一銭にもならないどころか、会費を払っているのでマイナスでした)

 

ミーティングだけでなく、

問合せ対応や調査とか資料作りとかにも時間を割かれているわけで。

 

何のために?みんな何のために?

 

と思うのです。

 

お金も得られない。資料作りきっと楽しくない。

ミーティングで恋が生まれるわけでもない。

 

聞いてみると、

 

映画の力を信じているとか、

この活動で世界が変わるところを見たいとか、

「生まれ育った環境に関係なく、子ども達が夢を描き、人生を切り拓ける世界をつくる」

というビジョンのためとか、

そんな答えが返ってくるんです。

 

そういうことをまったく胡散臭くなく、本気で言えてしまう人たちなんです。

 

私はそんなメンバーをとんでもなく尊敬していますし(そして好き)、

彼らやご支援くださっている皆さまなしでは、団体は生きられないなと思っています。

 

 

と、いろいろミーティングを行っている中で、

先日行われたカンボジア人スタッフとのミーティングで、

感動した話があったので綴らせてください。

 

 

やまけんさん率いる、映画配達の質を高めるチームのミーティングにて。

普段のミーティングはzoomで行いますが、

カンボジア人スタッフとはFacebookの方がやりやすいのでFBで。

 

 

こちらがやまけんさんです。

 

この写真だと冷徹な棋士みたいな感じですけれども、

関西出身でとても明るく面白い方です。

 

仕事柄もあって、ファシリテーションの能力が神がかっています。

私がどんなに話を脱線させても、

鮮やかに気持ちよく本筋に戻してくださる。

 

コロナ禍の中、

メンバーの心を一つにまとめて、目指すものを再確認させてくれました。

 

 

ミーティングの中で、

カンボジアで現地マネージャーをしてくれているサムナンが、

人生について話す機会がありました。

 

たまに途上国で、

任せていた現地スタッフがお金を盗んで逃げたみたいな話を聞きますが、

サムナンに限っては絶対にそんなことはありません。

 

弊団体だけでなく、色々な日本のNPOさんでも重要な役割を担っていて、

信頼と実績の愛されるサムナンなのです。

 

日本語ペラペラで、今では通訳だけでなく、

ゲストハウスや家具工房などを経営する起業家なのです。

 

そのサムナンの、小さい頃の夢は医者だったそうです。

そこからこんな話をしてくれました。

 

「……でも、家が裕福ではなかったので、

医者にはなれないと思いました。

 

お父さんとお母さんが大変そうなのを見て、

家族を楽させてあげたいと思い、

食費や弟たちの学費を稼ぐために、

中学1年生からバイクタクシーの仕事を始めました。

 

長男は父親の次の大黒柱です。

弟たちには苦労させたくありませんでした。

 

それで弟たちはみんな大学を卒業することができました。ホッとしました。

 

12年前、日本人に人気のゲストハウスで働いていた時に出会いがあって、

学校建設を手伝うことになりました。

 

その時に農村の子どもの様子を見て、

町にいる子ども達は当たり前に学校にいっているけど、

村では学校にも行っていない子ども達がいることがわかりました。

 

学校建設をしてる最中も、

子どもたちが現場に来ていて、子どもの姿を見て、

いい学校ができて通えるようになったらいいなと思いました。

 

自分が学校を卒業できなかったので、

村の子ども達には卒業して欲しいと思いました」

 

 

 

……全米が泣いてしまうよ。

 

いろいろ言葉を選びながら、

真摯に話してくれるサムナンに泣きそうになりました。

 

サムナンに、子ども達がサムナンのように人生を切り拓けるようになるには

どうしたらいいか聞いてみたら、

子育てについて考えさせられる言葉が返ってきました。

 

「自分の人生を歩くのはそんなに簡単ではありません。

 

観光地の滝に行ったとき、印象的なことがありました。

 

外国人の親子がいて、子どもが危ないところにのぼっていました。

でもお父さんは、子どもを止めることなく遠くから見守っていました。

あそこに登れて降りたら、気持ちが強くなります。

 

カンボジアの親なら、『危ないからやめなさい』と止めてしまいます。

 

子どもは絶対いろんなことをします。

親は心配で止めたくなるかもしれませんが、

子どもは経験しないと、自分ができるかどうか、

自分の能力を判断できません。

 

失敗してもそれが勉強になります。

 

その積み重ねが大切なのだと思います」

 

 

改めてサムナンを尊敬しました。

 

 

 

その次のミーティングでは、サロンが自分の話をしてくれました。

イヤホンがマカロンみたいで可愛いサロンは、

普段はトゥクトゥク(三輪タクシー)のドライバーをしています。

 

 

「私は小さい頃ポリオにかかって体に障害があります。

その障害のせいで差別されてきました。

 

最初の仕事はクラブのトイレを掃除する仕事でした。

汚いし臭いしとても嫌でした。

 

でもトイレに来たお客さんがチップをくれるのが嬉しかったし、

この場所で一生懸命働こうと思いました。

 

クラブは潰れましたが、貯めていたお金でバイクを買って、

バイクタクシーの仕事を始めました。

 

他のバイクタクシーの人たちはライバルです。

あいつは障害があるから乗ってはいけないとお客さんに吹聴されたりしました。

 

体が見えない夜にだけバイクタクシーの仕事をしていたら、

強盗に三回襲われました。

 

自殺を考えたこともあります。

タイに行って物乞いなったら稼げると言われたこともあります。

 

でもその時、私のことを好きだと言ってくれる女性の存在に励まされました。

 

英語力を生かしてトゥトゥクのドライバーになりました」

 

 

 

……知ってる。

その話は何回か聞いたからだいたい知ってるよサロン。

 

まだサロンが映画配達人になる前、

トゥクトゥクのドライバーだったときに

お客さんだった私に確かその話をしてくれて、

 

あまりに流暢に話すのと、

 

トゥクトゥクの料金を聞いたら

「君に任せるよ」と返ってきたので、

「お涙ちょうだい話で客に思わず高い金を払わせる戦略なのでは」と疑ったほどだよ。

 

しかしながら逞しく生き抜くサロンからは、

学ぶべきところがたくさんあって、やはり尊敬できるのです。

 

そして映画を上映する仕事が好きだと言ってくれるサロンが私も好きです。

 

 

サロンが誇らし気にドヤ顔で映画を上映する姿を、

早くまた見たいなと思いました。