心屋認定講師・心屋恋愛カウンセラーの齋藤沙織です、こんにちは。
書いてみたら、想像以上に好評だった前回の記事。
〇沙織さんの生い立ちにめっちゃ興味津々だった!
〇次も楽しみにしてますー!
って言ってくれる方もいて・・・励みになります♡
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幼稚園も年長さんくらいになった頃、念願の妹が生まれました!
今、こんな感じで甘え上手な感じで生きているからか
どっからどう見ても末っ子!と最近では言われがちですが
はい。私は長女です。しかも妹とは6歳差。
中1だった時、小1です。結構離れてますよね。
妹は1300gで生まれた極小未熟児。
妹の5本指全てが、母の指の1関節に収まってしまうほどの小ささ。
生まれてすぐにNICU(新生児集中治療室)に入ったので、
幼かった私はまだそこに入れてもらえず、早く会えないかなぁ!と
とてもとても待ち遠しかったのと寂しかったのを覚えています。
妹は、可愛くて愛おしくて、大事な大事な存在でした。(今も!)
* * * * *
おうちでは父と母の喧嘩が始まると、
今までは自分一人の空気を消していたのが、
今度は赤ちゃんの妹を抱っこして、ふたりで別の部屋に逃げていました。
妹に両親の喧嘩を見せちゃいけない、守ってあげなくちゃ、
まだ幼稚園生だった私ですが、そんな想いで妹のお世話をしていました。
そのうち、父は「大おばあちゃまがご病気だから」と家に帰ってこなくなりました。
同じく、私が年長さんくらい(6歳くらい?)の頃と記憶しています。
その時はわからないようにしてくれていましたが、両親の別居が始まったのでした。
そんな中でも毎晩7時にかかってくる父からの電話が楽しみでした!
それがどれくらい続いたのかは覚えていないのですが
そのうち、その電話はなくなっていき、すごくすごく寂しかったのを覚えています。
今考えれば、別居している家に毎晩何年もかけ続ける方が難しいとは思うし、
むしろすごい愛情だったと思うのですが、当時の私はすごく傷ついていました。
今でも、電話への執着(笑)はちょっと強くて、
好きな人からの電話がないと自分でも不思議なくらいとても悲しくなってしまいます。
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その後、妹はいろいろな検査の結果、脳性麻痺だったことがわかります。
ただ、とても軽い脳性麻痺とのことで症状は足だけ。
かかとを90度以上に曲げることが難しく、足先がピンと伸びてしまう感じ。
なので、子供の頃はずっと装具(ギブスみたいの)をつけていました。
それ以外は、ちょっと走るのが遅いかな?
歩く時に少ーーーし違和感あるかな??くらい。
今では階段降りる時などに少し気をつけた方がいいかな、くらいなイメージ。
と、だいぶ軽症ではありますが『障害』を持っていることにより
私も幼い時からいろいろと考えさせられることが多かったと思います。
これはもう少し大きくなってからのお写真だなー
おばあちゃんちのお庭で妹と。
妹は家族の天使。
母と私は、母子家庭時代を力を合わせて一緒に乗り越えて来た戦友のような関係。笑
そんな中で、妹はとにかく可愛くて、家族を笑わせてくれる天使でした。
母は私に何回も
「私に何かあった時は、この人とこの人に連絡して。この棚に手帳が入ってるからね」
と言われて育ちました。
お嬢で育った母も(笑)、いきなり二人の娘を守って生きていくことになり、
必死だったんですよね。
もちろん母は精一杯、たくさんの愛情を注いでくれて、包み込んでくれていました。
それに応えるかのように
私はママがいつ死んでも大丈夫なように・・・と意識していました。
心配しないでね、大丈夫だよ、って思ってましたし、そう思ってもらいたかった。
そして、やはり漠然とした恐怖が常にあった。怖かった。
今後私はどうなっていくんだろう。何かあったらどうやって生きていくんだろう。。
妹への私の母性は、普通の姉妹よりも大きかったと思います。
ので、私も率先して育児と教育に参加。笑
妹としては、母親がふたりいたみたいですごく嫌だったそうです。
確かにそれはかわいそう。笑 どんまい。笑
***
なんとなくお気付きの方もいらっしゃるかもしれませんが
こんな環境だったので、私は子供らしく甘えるってことよりも
早く大人にならなくちゃ!と生き急いでいましたね。
母を助けなくちゃ!!って想いが強かったと思います。
お父さん役でもあったと思います。
そんな中でも、たっぷり子供らしくも遊ばせてもらってたんだなー^^
母とのお写真^^
次に続きます♡