心屋認定講師・心屋恋愛カウンセラーの齋藤沙織です。
私の過去や経歴を話すと割と驚かれるので、実は結構ネタの宝庫です。笑
改めて、自分を振り返ってみようかなと思いました^^
『今の沙織ができあがるまで』をシリーズ化して書いていきたいと思います^^
* * *
私は東京都文京区の高級マンションに、社長令嬢として生まれました。
父は、自動車教習所を経営する三代目の社長。
父も母も両家共、軽井沢に別荘を持ち
お手伝いさんもいるような裕福な家庭でした。
私は両家にとっても初孫で、たくさん可愛がられて育ちました。
常に大人たちに囲まれ、銀座の歩行者天国を歩いたり
帝国ホテルやオークラなどに連れて行かれたり・・・
“空気を読んでお行儀よくする”が当たり前、の中で育ったような気がします。
幼稚園でもおとなしく、大人の顔色を伺うのが常だったそうです。
ある時、男の子に車のおもちゃで殴られっぱなしの私を見て
父に逆らえずビクビクしている自分を見ているようだと感じた母は反省し、
「殴られたら、その分やり返していい」と私に教えたそうです(笑)。
小さい時には外で走り回るというよりかは
おうちの中でお友達とお姫様ごっこや、魔法使いごっこなどを
よくしていた気がします。
* * *
父と母はよく喧嘩をしていました。
喧嘩が始まる時に、そっと自分の空気を消すことと
喧嘩が終わる時に、泣いている母にティッシュを渡すことが
子供ながらにして得意でした。
「沙織は優しい」と母によく言われてました。
今考えると
母が父に怒られないように緊張していたからか
家の中はなんだか静かなイメージしかありません。
ただ、母はとても愛情深く、子供好きなので
たくさんたくさん遊んでもらったし
たくさんたくさん素敵な経験をさせてもらいました。
お誕生日パーティーには
マンションの共有貸しスペースを借りて
たくさんのお友達を招待して
縁日のようなお祭りを開いてくれました(驚)。
映像で記憶が残っています^^
* * *
ある朝、母が目覚めると私がいない。
幼稚園の制服やお道具も一式ないので
母が猛ダッシュで慌てて幼稚園に行くと
・・・なんと!私、一人で登園していたそうです。笑
母が起きないので自分で支度をし、忘れ物もせず、
いつも通りにきちんと登園していたそうです。笑
そんな子でした。笑
割とおとなしくて恥ずかしがり屋の子だったんですよ〜。
次に続きます♡