クリスチャンの人々は、物理的・スピリチュアル的・メタフィジカル的、仮にどの様な形であれ、神と出会う事を「Encounterr(神と出会う)」と言う。
自分が聞いたその声の主を見た訳では無いし、物理的な世界で私の前に現れた訳じゃない。
なので、その声がイエス・キリストの声だったのか、それとも、その父である神の声だったのか、今でも良く分からない。
ただ、聖書を読めば読むほど、夢の中で見た通り、天国への扉を開けてくれたのがイエス・キリストで、声の主であった神がいる世界「キングダム・オブ・ヘブン(天国)」へ私を導いてくれたのだろうと思った。
旧約聖書の時には、実際にモーセやイスラエルの王の前に神の御顔を見せていた。
ところが、次第に人類が荒廃して行くにつれて、神は御顔を伏せられたという記載がある。
それでも、まだ神は、その一人子(イエス・キリスト)を救い主としてこの地球上に送られ程に私達を愛していた…と書かれている。
私が夢を見た時は、聖書に書かれている事さえ、当たり前だが知らなかった
聖書を読んで初めて、本当に、イエス・キリストを通じてしか、神の世界に辿り着く事が出来ない事を、この夢なのかビジョンは既に示唆していたのだと思った。
18年間、キリスト教(プロテスタント系)の学校に通っていたのに、本当に私は何も知らなかった
プロテスタント系なので、毎日の礼拝で引用される聖書の箇所は、新約が殆どで、時々、創世記とか詩編が題材になった事はあったけれども、未だに覚えているのは、少しの讃美歌のメロディーと、有名な聖書の箇所と、主の祈り位…
それだって、勝手な解釈をしていただけで、本当の意味など全く理解していなかった。
聖書を表紙から最後まで読んだ事など一度も無かったし、読もうと思った事も無かった。
神の声を聴いた前後から聖書を読み始めたけれども、今回は、とりあえず、最初から最後まで一度ぶっ通しで読んでみようと思った。
自分に取っては、新約の方が旧約に比べるとまだなじみがあったので、新約から始め、その後、旧約という流れで読んだ。
神の声を聴いて直ぐの頃は、まだ、新約を読み始めたばかりで、書かれている事を本当に理解しながら読んだのか?と言われると…。
?なのだけれども。それでも、神の法や掟に、自分が生きて来た人生を当てはめて振り返ってみるとと、いかに自分が神の保護の傘から外れたまま、魔物の呪いの世界を生きて来たのか?という事が良く分かる。
ただ、頭で理解するのと、身体なのか、魂なのか、スピリチュアル的に真の意味で理解するのでは全く違うのだと思う。
当時の私(まだ、数か月前なのだけれども)は、ニューエイジとか、他の宗教が何故それほどダメなのか?とか。
人は生まれながらに罪人であるとか。
本当に天国や地獄があるのか?とか。
イエス・キリストが十字架に貼り付けにされて死に、そして3日後に復活し、神のいる国に帰って行ったとか。
分からない事だらけだった。
自分が聞いた声が神の声ならば、神を知りたい。
どうして、神が私を(私だけじゃない、全ての人を)愛しているのか。
愛しているなら、何故、未だに人は憎しみあったり、奪いあったりするのか。
神を知れば、自分の人生生きやすくなるのか。
神の為に生きるとはどういうことなのか。
この時の自分は、まだまだ、「Encounter(神と出会う)」を果たしただけで、「Salvation(救い)」までは到達していなかったのだけれども、少しずつ、聖霊(Holly Spirit)が、これは、こういう事なんだよ…とガイドというか、教えてくれる様になったのもこの時期だったと思う。
一番初めに私がした事は、家にあった「クリスタル」やら、「パワーストーン」と呼ばれるものを全部捨てた事だった。
魔術や占いの儀式に使用される、セージとか、パロサント(燃やすと煙が出る木片)も捨てた。
パワーストーン大好きという訳では無いけれども、電磁波対策だの、この石を持っていると、恋愛運や金運が向上するとか。
宇宙から与えられた叡智が宿る石(チンタマニ・ストーン)なんて、多分総額で数万どころか、数十万位で買った様な石があった。
ただ、聖書にそう書かれているから。
ただ、聖霊がそういう風に言うから。
なんとなく、もし、悪魔の狙いが人々を本当の神に近付けない事だとしたら?
何か似たようなものを造りだし、それを崇めさせたり。
偽物のスピリチュアルパワーを神のパワーと見せかける事で、その物質を媒介やらポータルとして侵入して来るだろうな…と思った。
一瞬でも、「コレ、そんなにいけない事?」「そんなにダメなの?たかが石だよ?」とか。
「そんなダメなら、神はなんでそんなもの作ったの?」とか。
「これ、総額xxだよ」と、頭をよぎらなかったか?と言われれば、もちろん、よぎりましたよw
なので、ぶっちゃけ、一気に全てを捨てるというよりは、何回かに分けて捨てたと思う
大して金額が張らなかった石達や、セージやパロ・サントなどのハーブ系のもの。
洋服なんかでも、安いペラペラのものや、着た時に良い思い出が無いもの。
そんなものを一番初めに捨てた。
それだけでも、家の中の空気が全然違う事にすぐに気が付いた
そして、「お金がー」とか「そんなにいけないこと?」なんて理由を付けて捨てられなかったモノたちが、家の中で、明らかにどす黒い何かを発し始めている様な気がした
もともと、どす黒い何かを発していたのに、それが当たり前になっていたのか?
それとも、私の意識が覚醒し始めて、神に近付き始めちゃった事で、悪魔達が悪さをし始めたのか?
多分、前者なんじゃないかな?と思う。
ただ、悪魔の視点から見れば、私が騙され続けている方が良い訳でw
「そんなに、悪い事じゃないよ。」とか。
「これを持っているから守られるんだよ。」とか。
「これが、あるから成功出来るんだよ。」とか。
そういうマインドコントロールに拍車を掛けようとするのだろうな?とも思った。
私、Timewaverを持っていたのだけれども
買った時は、300万近くしたと思う。
ナポレオン・ヒルの成功法則やら、引き寄せの法則だの、スピリチュアル系の本。ニューエイジに該当する本。
全てを家の中から排除するまで、1か月位は掛かったんじゃないかなーと思う。
今までは、それらのものが、自分を守ってくれていると思っていた。
金運を良くしてくれたり。
自分の霊性アップを促してくれたり。
ネガティブなエネルギーをクリアにしてくれているのだと思っていた。
ところが、全てそれは、悪魔のDeception(ウソ)だった。
それらのものを捨てて、自分の人生の流れが悪くなるどころか、
それらのものが、自分をいつまでも、悪魔の呪いの世界に引き留めていたのだと気づいた時。
自分は余りにも、霊的に無知だったし。
そして、そんな悪魔の試みに生まれながらに騙されたまま生きているのにも関わらず、
それに気づけないまま、抜け出る方法が分からないまま、人生という時間を終えてしまう人が大半なんだな…と思った。
それは、余りに哀しい事実なのだけれども…。
求めよ、そうすればあたえられるであろう。
探せ、そうすれば見つかるであろう。
門を叩け、そうすれば開けて貰えるであろう。(マタイ 7:7)
救いを求めない限り、与えられない。
探さない限り、見つからない。
門を叩かない限り、開けて貰えない。
そして、そこに辿りつく道は狭い…。
そんな風に思った。