皆さまこんにちは✨

 

 

 

 

先日「母と絶縁した過去」を

お話ししましたが

 

 

 

 

和解しか経緯を知りたい!

との声を多くいただいたので

お伝えできればと思います

 

 

 

 

「私が生きている間は

 家の敷居をまたぐな」

そんな手紙をもらった私

 

 

 

 

 

その時は驚きすぎて

涙すら出なかった

 

 

 

 

でもね実は

心の中ではホッとしている

私もいました

 

  

 

 

実はわたし

小さい頃から母が嫌いでした

 

 

 

 

「嫌い」というと語弊があるかも

しれません

 

 

 

 

 

何と表現したらいいんだろう・・

「好き」だけど「嫌い」

 

 

 

 

もっと言うと

「好きになってほしい」だから

「嫌い」なんです

 

 

 

 

母は

私の好きな習い事をさせ

何でも欲しいものを

買ってくれました

 

 

 

 

 

でもね

いくら成績が上がっても

ピアノで失敗しても

参観日に来ても

 

 

 

 

「頑張ったね」って

褒められた記憶がないんです

 

 

 

 

「次は上手くいくよ」って

励まされた記憶がないんです

 

 

 

 

「好きだよ」って

抱きしめられたことがないんです

 

 

 

 

 

だから

ずっと寂しかった

 

 

 

 

周りのお母さんが羨ましかった

 

 

 

 

「さおりちゃん久しぶり!

 ピアノ上手になったね〜」

 

 

 

 

そう褒めてくれる友達の母

 

 

 

 

「お母さん私のこと

 褒めてくれないかな」

なんて期待しちゃう私

 

 

 

 

 

でも

口下手で内向的な母

私の友達に会っても会話無し

もちろん私ともあまり会話はない

 

 

 

 

いつもブスッとしていて

ママ友もいなかったと思う

 

 

 

 

実はそんな母が

参観日に来たり

塾の送り迎えをするのが

 

 

 

 

すごく恥ずかしかった

 

 

 

 

「周りのお母さんのように

 もっと社交的になってよ!」

ずっと思ってた

 

 

 

 

 

中でも一番ショックだったのは

置き去りにされたこと

 

 

 

 

今思い出しても

涙が出てくる・・・

 

 

 

 

小学生の時ね

近所の公民館で親子の集まりが

あったんです

 

 

 

 

私の実家は田舎なので

ご近所さんや特に同世代の子を持つ

お母さん同士は仲が良い

 

 

 

 

そこに全く馴染めなかった内気な母

よっぽど居心地が悪かったんでしょう

 

 

 

 

いつの間にか

何も言わず私を置いて

家に帰っていました・・

 

 

 

 

そうと知らない私は

必死で母を探しました

 

 

 

 

「私のお母さん知りませんか?」

「どこ行っちゃたんだろう・・」

「お母さん、どこにいるの」

 

 

 

 

人見知りな私

1人で寂しくて心細かった

 

 

 

 

そして

私は泣きながら1人で家に帰りました

 

 

 

 

祖母が状況を察知して

慰めてくれました

だから今でも私はおばあちゃん子

 

 

 

 

私はこの時の感情を引きずったまま

大人になりました

 

 

 

 

母は大学入学や卒業式には来てくれ

立派な着物を用意してくれるも

「おめでとう」とか

そんな言葉は一切なかった

 

 

 

 

だからね

昔からお金は出すけど 

 

 

 

 

愛情表現しない母親像が

出来上がったんです

 

 

 

 

そして

絶縁騒動

 

 

 

 

最初はショックだけど

だんだん「コレでよかった」

なんて思う私もいました

 

 

 

 

そして起業して

実家へ頻繁に帰るようになり

やはり最初は母との会話はなかった 

 

 

 

 

ギクシャクしてて居心地が悪かった

 

 

 

 

 

でも

敷居を跨いでも何にも言わない

 

 

 

 

「あれ?許してくれてるのかな?」

 

 

 

 

少しそう感じたことから

母との関係を見直し始めました

 

 

 

 

長くなったので

次回へ続きます