北風と太陽みたいに

無理やり心を開かせようとしてもらったって

ちっとも心なんて開かない。


「ちっとも距離が縮まらない」

「心を開いてくれないんです」


飲み会のラフな場とはいえ

そんなことを言われても、私はどうしたらいいのかわからない。


立場上、教育してもらうことはとてもありがたいと思っているし

感謝はしているし

看護師としてカッコイイな、とは思うけれど


それと、心を開く、なんでも話す、とは別の話。


「真面目すぎる」

「自分を大切にできない人は人も大切になんかできない」


そんなこと百も承知だし

一生懸命自分を大切にするために

一生懸命自分を保っている。

家では。


仕事上、要領が悪くてヘマするのが怖くて慎重になって仕事が遅くて

だからって、自分を大切にしてなくなんかないし

そんなことをいわれると

「ああ、この人には私のことなんてわからない」と心の底から思ってしまう。


別にわかってほしくもないけど。


ただ、あなたに死ぬほど気を遣ってしまうのも

自分では意識していないけれどきっと防衛本能だし

あなたのプライドを傷つけたら私の居場所はなくなると承知しているからこその

気を遣いまくっている今の私。


ただ、気乗りしない送別会に立場上断れなくて参加して

ものすごくカッコイイ生き方をしている先輩方の話を聞いて

ああ、私もがんばらなくちゃ、と溢れ出るような気持ちが出てきたのも事実。


感情て、そういうものだと思う。


こうしなければいけないから、こうする。

心を開くべきだから、開く、

ではない。断じて。


それこそ心が震えて、溢れてきて、それが自分の原動力となる。


立場上、というのも社会。

学生とはまた違う。


こうして自分を保つために

必死で自分の均衡を保っている。

疲れるなあ。

でも、これが働くということ。


むしゃくしゃをスッキリさせたくて

コンビニで物色してみても、コレといったものはコンビニなんかじゃみつからなくて

こんな時間に食べるのはあまりよくない

エクレアなんぞ買ってみて

身体によくないと思いながら悪いことをしたくて食べてみる。

こんな小さな抵抗も自分を保つためのもがき。


こんなもがきを繰り返して、成長していくんだ。


とりあえず、今日は寝よう。


その前に、糸井重里の本をちょっと読もう。

自分を保つために。

「ひよった」


この間、久しぶりに友達がこのことばを使っていて
なんだかずっと頭に残っていた。

ひよるってどういう字かくのかしら。
... ひ弱のひよからきた造語かな~なんて思って
辞書を引いてみたところ。

「日和る」が正解!
日和見と同じ意味で
事の成行きをみて有利な方につこうと形勢をうかがうこと。
例)日和った発言

驚きー。
絶対に口語で新語で造語だと思っていたのに
広辞苑にばっちり載っていた。
しかも意味も、「びびる」みたいな意味合いかと思っていたが
若干相違が。


ランデブーにしかり。


いかんせん、響きがかわいい。
俄然使おうと思います。

先日、

ものすごく大変な部署に配属された同期の話を聞いていて驚いた。


私よりもずっと早く家を出て

私よりもずっと遅くに帰ってきている。


「もうホントやばいよ~」

と言いながら、その顔は結構キラキラしていて

なんだかめちゃくちゃかっこよかった。

ものすごく成長しているんだろうな。


ここで、

どこかがズキンと痛む。


あれ、私はサボっている?


私の部署はその子の部署ほど忙しくはないし

人もとってもやさしい。

家にも、そこまで遅くならないうちに帰してもらえるし

家で、自分で自分を高める余力はその子よりよっぽどあるはずなのに。

そこまで追い込んでいない自分が

とっても恥ずかしくなった。


でも、なんだか疲れてしまって

私には今の生活でいっぱいいっぱいなのも事実。


うーん、うーん。

なんだかもやもや考えていたが。



「多忙は怠惰の隠れ蓑」


このことばに出会って、

すこしだけ合点がいった。


忙しすぎる環境に身を置くと

常に頑張っている状況で

それはある意味それで正解。


忙しいラインに乗って

そこで我武者羅に頑張っていれば

気づけば成長していられる。


部活とかは結構そういう状況に近かったと思う。


でも、今の私にとって

その我武者羅さだけで突っ走るのは

結構しんどいんだ。

100%つぶれる気がする。


余力が多少ある中で、

私にとって大切な、「私の生活をする」という部分も大事にする。

頭の中をクリアにする時間も作ること。

そのうえで、足りないことは自分できちんと補って

自分のペースで勉強していこう。


こう思ったら、変な焦りは少し消えて

現実逃避ばかりしていた自分も省みて

少し前向きになれた。



明日からまた頑張ろう。



――――――――――――――――


多忙なときっていうのは、現実的な問題がいっぱいあって、

それを現実的に解決したり、解決しかかっていたりしている状態だ。

そういうときっていうのは達成感もあるし幸福感もある。

ちっぽけなヒロイズムも満足させてくれるかもしれない。


だが、そういうときに欠けていきやすいものがある。


「なぜ」という疑問とか、

大きな視野とか、

人間の感情とか、

すぐには役立たないようでいて大事なことだ。


(糸井重里)


wonder collecter

DIALOG IN THE DARK



「目以外の何かで、ものをみようとしたこ
とがありますか?」


まっ暗闇になかで、視覚障害者のアテンダントに連れられて
全く知らない人々と協力しながら
色々なことを経験するソーシャルエンターテイメント。


視覚という感覚を遮断され、他の感覚を研ぎ澄ませて
"感じる"。


今回、視覚からの情報の絶大なる多さを改めて思い知った。


私が暗闇の中に入って感じたことは
やっぱり「恐怖」だった。

いくら目を凝らしてもいつまでたっても何も見えてこない。
それでもいつまでも目を凝らしてしまう自分がいたし
一緒に行った友だちの手をずっと握って
それだけが自分にとって信じられるものだった。

聞こえた音から、感じた感触から、嗅いだ匂いから
目に見えない何かをまぶたの裏で "見る" 。
結局くらやみの中でも、最終的には視覚に頼ってしまう自分がいた


英語を学ぶときに、英語を一度日本語に直して訳すのではなく
英語をそのまま理解しなさいと言うけれど
やっぱり日本語に変換してしまうあの感覚に少し似ている気がする。


あと、やっぱり人は見た目が9割だということ。

その人の服装や見た目、仕草を全く考慮せずに
その人を見る機会なんて、私たちにとって滅多にない。
でも、くらやみではそれが実現可能だ。
一緒にやみを歩いたメンバーの人々を
話す声、声色、話す内容、しゃべり方だけで
なんとなく想像する。

きっとこんな人だろう。
語気の強い人みたいだから、見た目もきっと派手なんだろう。

ふたをあけて明るみに出てみると
全然思っていた風貌と違っている。
つまり、私たちにとって見た目の印象が
かなりの部分で人を判断する材料になっているのだと改めて思った


本当にもっとくらやみを感じるならば
五感を研ぎ澄ませるには
きっとひとりで行くのがいいのだろう。

くらやみに一人で飛び込む勇気があれば
そこで感じるあれこれは
より大きくなることでしょう。
心細いからこそ、人のあったかさをより感じることでしょう。

でも、くらやみに一人で飛び込むこと。

それってすごくこわい。

こわい?

うん、やっぱりこわい。

くらやみも、知ってしまえばこわくないでしょう?ていうのが

このイベントの趣旨なのだが

やっぱり私にはこわかった。


くらやみに入った途端

視覚障害の方と私たちの立場が逆転するというのは

すごく新鮮でおもしろかった。


非日常の世界を通して、自分を見つめなおす良い機会。


また行ってみたいと思います。


あんなにアンチだったフェイスブックを訳あって始めてみた。


これが、薄々知ってはいたが結構おもしろい。

何がって、人との垣根がものすごく低いところ。


わざわざ自分からはなかなか連絡取らなかったけど

今どうしているのかな、とひっそり思っていた人と

ボタンひとつで時をこえて再会できてしまう。

そして、その人の「今」が垣間見える。


興味があったらその人にメッセージを送るのも簡単。

今まで途絶えていた時間が、あっという間に埋まる。

それがたとえ海外にいようと例外ではない。


これはすごい!


でも、私はまだいまいちフェイスブックさんとの距離感がつかみきれない。


だって、久しぶりすぎてしかもそんなにしゃべったこともない人から

メッセージもなしで友だち申請が来たら

人違いなんじゃないかしら、と思ってしまう。


あと、みんなが教えてくれる近況は

どこに行った、何をした、何を食べた。


「それで、何を思ったの?」

私はそこが結構一番興味あるのだけど

それを書いている人はあんまりいない。


きっと、フェイスブックは

私が考えているよりももっとポップで

感覚的な感じのものなのだと思うけど

なんだかそこに自分をさらけ出すことは私にはとてもできないな。


と、改めて自分の性格を知ることとなりました。



「人生は、考える人にとっては悲劇、感じる人にとっては喜劇」


うーむ、言い得て妙。


考えてばかりいる私にとって

世の中の勢いについていくのは結構疲れる。


ただ、こうして社交の場にヨイショと足を踏み出したからこそ

途切れていた時間が蘇ったのも事実。


ポップな自分ももちろんいるし、

なんだかんだそんな世界もちょっと好きなのも事実。


自分なりの距離感を保ってお付き合いしていこうと思う次第でございます。


昨日、急に

上半身にたくさんじんましんが出て

気持ち悪いほどの発疹で

ものすごくかゆくてかゆくて

抗ヒスタミン薬を点滴をしてもらったら

1時間ほどでスッとなくなった。


そんなことがあった自分の腕を眺めてみる。


それはもう、何事もなかったかのようないつもの私の腕で首で肩なわけで。


昨日あんなに私を変容させたなんてことは

まったく感じさせないような

なんてことないいつもの私。

あれは一体なんだったのだろう。


先生にも原因は特定できないと言われた。


跡もなにものこらず消えた

いつもの自分の身体を眺めながら思う。


あれは、きっと私の中にたまった小さなひずみ。

目には見えないけれど

きっとなにかのきっかけで表に現れて

何かを伝えようとしたに違いない。


そして今は見えないけれど

それは今も、きっとそこにあるもの。

なんだか、そう確信する。


そこに想いを馳せて

自分の身体を、こころを、もう少し思いやることにしようと思った。


見えぬけれどもあるんだよ。

見えぬものでもあるんだよ。


金子みすゞさんのことばが今すごくこころに響く。


よくわからないけれど

一呼吸おくきっかけになったなんだか少し尊い出来事。


人との距離のとり方ってとても難しい。


職場では

人間関係はかなり自分の立場を左右する。

特に、女だらけの職場は、おそろしい。


女子が集まると、噂話と悪口が飛び交うものだから。

何も見ざる、聞かざる、言わざるに限る。


こわいものがなかった昔と違って

なんだか今はこわいものだらけ。


下手なことはしないように

目立たないように。


こうして内に内にこもっていくと

どんどん小さくなっていって

いずれはパチンと消えてしまいそうだ。


毎日をただ必死に過ごして

ON/OFF切り替えるような日々。

家に帰ってきたときの安心感ははんぱない。


とかなんとかいいながら

結構たのしくはあるのだけど。


もう少し余裕がでてきたらまた少し違うのかな。


勉強せえ、勉強せえ。

明日もがんばろ!

「聞くことはしゃべることより大事」

だって。


耳が痛い。

私はしゃべってばっかりだ。


自分はこう思う、は少し置いておいて

もう少し、人の話に耳を傾けてみたらいいのかな。


胃が痛い。


沢山思うことがあったのに

浮かんでは消えかけ、流れていってしまった。


消えてしまう前に、

ここ一番で感じたことを書いておこう。




感情を表にだすことについて。




泣く、ということ。

感動して泣く、これはとても良い涙だし

見ている方ももらい泣きしてしまうくらいの感動的な場面だと思う。



自分だったら絶対に泣いてしまうだろう場面で

凛として、背筋をピンとのばしている女性に

続けざまに会った。



見ている方としては

お涙ちょうだいを多少期待するというか

第一印象は「あれ、泣かないんだ」という意外性。

そしてその後に、どうしてこの人泣かないんだろう、という不思議な気持ち。

そして最後に、この人ものすごくカッコイイな、と思った。


感情を表に出すということは

決して悪いことではない。

でも、時と場合に応じて、人を選んで出せばよいのかもしれない。


自分が今立っている場面をきちんと客観的に見て

人前でそう簡単に涙は見せない。

気丈な凛とした女性像に、私はすごく感動した。

カッコイイ大人の女、だと思った。



私は結構すぐに感情を表に出してしまうし

昔はむしろ、感情的でこそ人間らしい、という考え方を持っていた。

あまり感情を出さない人を冷酷とさえ思っていた気がする。

だって、あまりに自分と違うから理解不能だったから。


でも、きっと表に見えずとも

その人にはその人なりの感情を持っていて

それをどのように自己処理して、

表に見える部分で表出しているのか、を考えると

とても興味深いし、尊敬さえする。


相手のことをよく考えているからこそ、

自分の中での自己処理の部分が高くなるのかもしれない。


そう考えると、今まで出会った理解不明だった出来事や人々のことも

少しは理解できるような気がしてきた。



それも含めて、

改めて、人間いろんな人がいるんだなあ。

おもしろい、おもしろい。



いろんな価値観や考え方を受け入れる。


白と黒のその間の

グレイの部分を

少しずつでも広げていきたい。


そんな糸口となる、小さな大発見。



wonder collecter



最近、ちょっと忙しい。


でもこれは、あと少しで終わってしまう土日休みを

いかに有効に過ごすべきか思案して選んだ過ごし方。


つまり、最高に満足な過ごし方。


そして、誰かのために時間を過ごすことは

なんともいいがたいあったかい気持ちになる。


しかし、なんだか色々追いつかない。


流れていく日々の中で

長谷部のいう「心を整える」時間があまりなく、

夜は疲れてぐったり

そして、追われるように、朝。

エンドレス。


期間限定のものだから

今がんばらないと。


でも、

これが一段落したら、

一度リセットして

自分の時間、生活を整える、ということに

もう一度向き直りたいと思う。


時間の使い方って、難しいな。


みんなと、自分の間。

充実と、せわしなさの間。

楽しさと、穏やかさの間。


自分の均衡を保つため

最高に良いバランスを

これから時間をかけて

自分自身で見つけていく。

そういう過程にあるのですね。




「なにかがガラッと変わるときというのは、

 いろんな関係なさそうな要素が、複雑にからみあって、

 ちょっぴりずつ流れをつくっていくものなんだと、ぼくは思っている。


 山奥の小さな湧き水が、いろんな場所からちょろちょろと流れ出して

 小川になり、

 曲がりくねったり止まったりしながら、

 それは集まっていって大きな川になっていくように。


 ひとつひとつの、

 湧き水や、小川を無視すると、

 大河のようなものが、ある場所に急に出現したことになってしまう。」


糸井重里