詰めが甘い女の末路 | 文章をあれするための、あれ。

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日々気づいたこと、考えること、知りたいこと、など。

私は詰めが甘い。

これまで幾度となくこの欠点にやられてきた。

パッと10個は

詰めの甘いエピソードが浮かぶ。

 

小学校は何かと特別な持ち物を求める。

新学期の際にはぞうきん、

図工に使うペットボトルや牛乳パック。

その他習字セットや裁縫道具など、

イレギュラーな持ち物が1か月に1度程度はあった。

 

こういった持ち物が必要なとき

学校側はプリントや連絡ノートなどで

一週間ほど前には知らせてくれるのだが、

私は大抵そういうことを忘却し、前日に気づく。

 

そして前夜にあれがないこれがないと大騒ぎし、

母親は怒りマックス。

あらゆる叫び声が飛び交う地獄と我が家は化す。

 

これが子供の頃だけならいいものの、

悲しいことに23歳半になった今もそれは変わらない。

 

こないだもフラッと実家に泊まりに行き

翌日が社長との会食だと気づいた私は

「着ていく服がない!」と大騒ぎし

母のお古のカーディガンやスカート、靴をもらい、

インナーは腹巻きで社長とのすき焼きを乗り切った。

 

これだけ周り(主に母)に迷惑をかけ、

自分もヒヤヒヤしているのだから、

少しは成長してもっと詰めたらどうなんだ!

と言いたくなるのが普通だと思う。

 

でも仕方ないのだ。

いつもギリギリのところで助かっているから学ばない。

 

小学校の頃だって、大抵母がなんとかしてくれたし、

腹巻きで行った会食だって、

社長は腹巻きには目もくれず

「なんか顔ちっさくなった?」

と言ってくださった。

 

昨日だって、台風のなか

予約した美容院へ歩く途中、

あまりの強風に生命の危機を感じた私は

泣く泣くキャンセルをしようとメールを確認した。

予約していたのは9/18(月)。

今日だった。

おかげで命を危険にさらしながら美容院まで行かずにすんだ。

 

偉人は失敗は成功のもとだと言う。

失敗のぶんだけ成長するとも言う。

 

私の詰めの甘さはなんだかんだで

失敗とまではならない。

だから成長もしない。

 

なんなら私は、自分の詰めの甘さの原因は

私ではなく座敷わらしの仕業だと

少しまじめに信じている。

 

私になついている座敷わらし(イメージはおかっぱ幼女)は

暇つぶしに私の持ち物をどこかへやったり、

記憶を改ざんしたり色々ないじわるをしかけ、

私がひとしきりヒヤヒヤしたら元に戻す。

 


母よ、許してくれ。

この問題は私一人で解決できるものではない。

座敷わらしと上手に付き合っていくことが大切なのだ。

ハリーとトビーのように。