会話 | あすのことはあすが心配します

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人生初の関西生活!日々ちょこちょこ出てくるネタを通して、遠くにいる人たちに近況報告。近くにいる人に、連絡してない間の近況報告!

会話とは、お互いの思いを言葉で伝え合ったり情報交換することだと思うのだけど。




なので、旦那が仕事から帰ってきて、やっと娘を寝かしつけたところにやってきて、開口一番「寝てるの?」とか言われると、「見ればわかるだろこのやろー!(;°皿°)」と、怒鳴りたくなってしまう。




それとか、ちょっと前に私が床掃除してるのを見て、「毎日やってんの?」と聞いてきて、「いや、平日1回週末1回だよ」という会話をしているのに、今日また「毎日やってんの?」とか聞かれると、「前も言っただろーお前の頭はザルかー!(;°皿°) 」と、怒りたくなってしまう。



さっきも書いたように、私にとって会話は伝えたいこと、共有したいことがあるから言葉にして相手に届ける、相手のそれを受け取るということであるから、中身のない会話とか、べつに言わなくてもいってもどっちでもいいし、相手に知っててもらわなくてもどっちでもいいんだけどなんか口から出ちゃったみたいな発言を重ねる会話は理解できない。



しかし、旦那にとっての会話はそうではないらしい。会話の中身なんかどうでもよくて、言葉を交し合うことそのものに意味があると思ってるのだ。



なので、娘が目の前で寝てるのに「寝てるの?」なんて、バカバカしいにも程がある発言だと私は思うのだけど、彼にとってはそれが「やあ、僕いま帰ってきたよ。ただいま」の意味があるのだ。じゃあ素直に「ただいま」って言えよ!と突っ込みたくなるが、それが彼なりのコミュニケーションの方法なのだと思うとばっさり否定はできなくなる。



床掃除を見て「毎日やってんの?」発言も、毎日やってるかどうか知りたいから聞いたんじゃなくて、忙しい朝でも妻と会話がしたかったという願いゆえに出てきた発言なのだ。それならば、「小沢さん出馬だね」とかいう会話の方がよっぽど実があっていいと思うのだが、彼にとっては会話に実などなくてよくて、目に見えることをそのまま口にしてしまう。そして私の怒りを買う。



会話することそれ自体が大切で、だから会話の中身に意味はない会話なんて不毛すぎて私にはできないと思うのだけど、考えているうちに言葉を交し合うことの大切さもわかってくる。会話の中身なんかなくても、言葉を交し合った、そのこと自体に励まされたり元気をもらったりすることは確かにある。そういうことの積み重ねで人との距離が縮まることも、なくはない。



そうやって考えていくと旦那の頭のザル加減にうんざりしていた私のほうがなんだか殺伐として機械のような冷たい人間なのかな・・・?と思えてくる。問題はザル頭ではなく私の考え方なのだ。