隊長と暮らして2年半。彼に限ったことではないと思うが、自分ではない誰かと暮らしていると、イライラすることも、理解できないことも、いろいろある。
例えば。彼は耳が悪いのではないかと思うほど私の言葉を聞き取れない。何度も何度も繰り返して、やっと聞き取れたかと思ったら違う言葉で、思わず伝えたかった言葉(例えば『新聞』なら)、
「しーんーぶーん!!(;°皿°)」
と、大声を出して、嫌な言い方をしてしまったと自己嫌悪に陥ることがしばしばだ。
ちなみに、家族や友だちと話していて聞き返されることなどそうないので、私の発音が悪いとか、声が小さいのではなく、やっぱり問題は彼の耳だろう。会社でもこんなふうに人をいらだたせているのかと心配してしまう。
それからこんなこともあった。
車で出かけるとき、大通りに出るためにどうしても信号がないところから出ないといけない。つまり、メインを走る車に手を上げて、「ちょっとすんません」と入れてもらわなければならないのだ。まあ面倒だが、そんなに難しい場所ではない。近くに交差点があるのでみんな減速気味で入ってくるし、どうせ赤信号で止まらなきゃいけないんだからと、入れてくれる車も多い。
それなのに、だ、隊長はそこで「ちょっとすんません」と手を上げるのが嫌で、びっくりするくらい大回りをしていく。大通りに出るのに「ちょっとすんません」が1分なら、隊長ルートは5分だ。目的地に5分遅く着いたからって誰も何も困らないのだが、効率的に合理的に無駄なくやってきたい私としては許しがたい回り道だ。
また彼は、おとといまで『セダン』を4ドアの車のことだと思っていた。ちょっとした車好きで、仕事だって全く車と縁がない仕事ではないにもかかわらず、だ。
こういうことが起こるたびに、一体どういうつもりで、何を考えてそういうことになってしまうのかと問い詰めるのだが、だいたい納得できず、うちの旦那はやっぱり少しおかしいのだとイラだち、その旦那と結婚を決意したのは私だと思うと、このイラだちも自分の選択の結果なのだと思わされ、行き場のないイラが頭のてっぺんからぷしゅーっと音を立てて噴き出しているのが聞こえてくる。なんとかこの感覚の違いにイライラしないようにする術はないものかと考えていたら、国際結婚した友だちのブログ にヒントがあった。
私も国際結婚したと思えばいいのだ。
私は日本人で彼は・・・何人でもいいのだが、例えばパプアニューギニア人だったとしたら。
私の話をなかなか聞き取ってもらえなかったとしても、けっこうな声で話しかけてるのに聞こえてなかったとしても、間違って日本語を覚えてても、彼は日本に来てまだ2年半のパプアニューギニア人だ。彼に正しい日本語は求められないし、彼にわかるように、わかりやすい、正確な、簡単な日本語で話さなかった私が悪いのだ。そう思えばイライラもしない。
また、恐ろしく非効率な行動をとったとしても、彼は南の島で育った外国人だ。効率だの合理的だの、そんな感覚は彼にしたら息苦しくて仕方ないだろう。むしろ私の方がせかせかして細かいことにぐちゃぐちゃこだわる度量の狭い人間だと、恥ずかしくなる。
いいじゃないか。これで彼も私もノンストレスで暮らせる。
でもあと何年もたっても彼が今と同じようにパプアニューギニア人だったら。
「日本に何年いるのよ!いい加減日本人らしくなりなさいよ(;°皿°)!!」といってキレるのだろうか。だとしたら、結局のところ問題は感覚の違いではなく、違いを受け入れられない私だ。