ツインレイおそるべし・・

ツインレイとの出会い直しは、自分自身の生まれ変わりだった。ツインレイとの出会いは生まれて半世紀以上すぎてからだった。それまでの間に自分の人生というかお決まりのライフスタイルが出来ていた、はず。自分の得て不得手だったり好き嫌い、時間の使い方、生活のペースやパターン、簡単に変わるわけはないと思っていたのだけど不思議なもので、彼と一緒にいるようになってからの自分が、今までやったことのない新しいことを始めたりしていたことに気がついた。


ひとりっ子気質でマイペースな自分が苦手なことのひとつに「決められていること」ということがある。時間の制約や集団行動が好きではない。それなのにここのところの私は、絵のお教室に行く、楽器を習いに行く、zoomで講座を受ける、洋画ばかりだったけれど邦画を見るとか苦手な長編映画を一気に観るとか、きっとまだまだあるかと思う。彼と一緒に過ごしてゆく中でどんどん新しい扉が開いていっている。性質だとか個性だとかって変わってゆくものなんだ?と自分の中の未開拓の部分への興味がわいてきた。時間が制約されていることが嫌いな理由は急いだり慌てることが嫌いだから。時間だといって物事を途中で中断したりするのも好きじゃない。思考の切り替えがすぐには出来ない。ワガママと言われればそれまでだけど、私の中で時間は全部ひとつながりに繋がっていて途切れることはないのだから仕方がない。次から次へとやってくるキラキラとしたヒラメキに心踊らせていたりと自分のワールドが広がっている。一旦途切れてしまうともう一度時間という壮大な波に乗るために最初からやり直すことになる。やり直すって何を?って感じだけど、上手く言葉に出来ない。


「同じことを続ける」ことも苦手なのだが、「決められていること」や「同じことを続ける」ことの中に今までとは違う世界が見え隠れしている。自分は飽きっぽいのかな、それとも時間を上手に使えてないのかな、と考えてみた。子育て中は自分のやりたい事に集中出来る時間がないからやりたい事を諦めていた。子ども達の父親が率先して行動しない限りは全部自分でやった。言わなきゃやらない人はやりたくないんだと思っているし、やってもらえるのを待っている時間があるなら自分でやればいいと思っている。自分の中には「やりたい」とか「やりたくない」という選択肢は無くて「やりたい」「やりたくない」と考える前に終わらせてしまえ!とそこにエネルギーを残さないし注がない。子ども達にも手がかかる時期でもあったから家の中ではずっと動いていた。そのうちにシングルマザーとなってフルタイムで働くようになり土日も含め日々がアッという間に過ぎていった。確かに何かを長く続けるという時間を確保をするのは難しかったのかもしれないが、子ども達も成長し自分に使える時間が出来るようになったのに、それでもいつも何かに急かされている感じがあった。瞬間ごとに変化してゆく流れや次々とやってくる波の中に身を置いている。その流れの速さが心地よいのだけれど、頭も体も三次元の現象もこのスピードについていけてない。この星のこの次元のペースと自分が感じている世界にタイムラグがある。結局いつも目一杯になってしまっている。車に例えるとセカンドで高速を走ろうとしている感じ。まったく地球に生きるのがヘタクソだと自分でも思うけど、まぁなるようになるさと思っている。


そしてスターシードあるある、体験したがり屋の私。物事を起こす時、一応確認はしてみるけれどとりあえずはやってみる、やってみて体感したいタイプ。電化製品とかの取説は読まない、使ってみればわかるでしょ的な。失敗した時のリスクはザックリ考えてもみるけど、ほぼほぼ大丈夫でしょう!ということにして実行、成功するんじゃね?的な感じで上手くいくからいつもコトの展開は早い。ラッキーなことにどんなことでもたいてい上手くいく。自分はホントにラッキーだと思う。あちらに還ったら守護霊さまに厚くお礼を申し上げたい。波瀾万丈な人生は味変みたいなもので飽きないように工夫がされ、ありとあらゆる体験が用意されている。素晴らしいオーダーメイドだ。地球へは観光客なので美味しいとこ取りに出来ているに決まっている。それに味をしめているから同じ調子で次から次へと何かを進める。行動は早い方が成果が上がるし、行動範囲が大きければ大きいほど気づきも多い、結果楽しく早い、一粒で二度美味しいのグリコ状態だ。(単なるヨクバリかもしれない・・)

私の座右の銘は昔から「思い立ったが吉日」、そういえば父親には「いつも事後報告だ」と呆れられていたことを思い出した。

この調子だから長い期間ひとつのことに何かにじっくり取り組む時間なんてあってたまるか、なのだ。そうだ、飽きっぽいわけではないのかもしれない。ただ単に好奇心が旺盛なだけで次から次へ体験をしてゆく。そのひとつの体験の中ではもの凄く集中して終わらせるから、実は飽きるわけではなくて短期間で完結させているのかもしれない。とすると、飽きる飽きないは興味を示している時間や期間の長さで判断出来るものではなくて、集中の度合いによっても違ってくるのかもしれないと思った。


最近の彼と私のテーマは「時間」、フォーカスしている内容次第で時間の感じ方が違う。感じ方どころか本当に伸びたり縮んだりするようだ。空間の密度やエネルギーの周波数でも変わってくるだろう。量質転化という言葉のように変えることが出来るのだ。何でも繰り返す、続けることでクォリティを上げることが出来る。量が増えることが結果的に質の向上に繋がるということだ。体験の回数が増えれば上手になる、上手になることで質が上がる。そこにたくさんフォーカスしてエネルギーを注げば三次元はあっさりと変わるのだ。なんだか面白そうだ。「同じことを続ける」ということが苦手だったけれどチャレンジしてみようかな!という気になってきている。(単純すぎる・・)

フォースとフォーカスを上手に使うのだ。(オッ、言葉が似てるぞ・・)実験実験♪