リリーッス!サオリリスです。

「アバウトタイム~愛おしい時間について~」という映画を観たんだけどね。(iTunesで観れ〼)
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この一族の男共は代々、タイムスリップが出来るという設定のもとに話は進むんだ。タイムスリップして戻ったりもするわけだけど。

主人公は、タイムスリップしてやり直しのきく日々を送る中で、取り戻せない時間もあって、時間というものは、かけがえないからこそ愛おしい、ということを感じ取っていく。同じくタイムスリップ出来る父親の教訓も踏まえてね。

1分1秒を大事に、なんてタイムスリップものによくあるメッセージではあるのだけど。

「時は金なり」というけど、これから先、「金より時」になる。らしいね。

今までの通貨の存在や価値は見直されて、通貨が揺るがない一定の価値あるものではなくなる。そこで、何が財産になるかというと、時間だって言われてるんだって。

時間をいっぱい持ってる人が、今で言う金持ちみたいなことになる。時持ちとでも言うのかね。

「TIME」て映画は、セレブは時間をたくさん持っていて、貧しい人は時間を持たないという世界を描いていた。持ってる時間を使って、時間を削って、食べ物を買うし、バスに乗る。働けば時間を貰える。時間が底をつけば、死ぬ。時間を銀行に預ける人もいる。

映画でなく現実に、時間が財産になった時、時間をどう交換したり管理したりするのか、私にはわからないし、それがいつかわからないけど、時間というものの価値の共通性は、通貨より金よりダイヤモンドより高いんだね。

今がそうなら私はかなりのセレブなんだけど。

こういう類の映画を観たら必ず、「タイムスリップ出来たらどうする?」という話がしたくなる。

この際、宇宙に行くことで未来へ進むというのはナシ。確かに未来には行けるってことにはなるけど、話としてあまり面白味が無いというか、膨らませようが無くなってしまう。「トップをねらえ!」の話をするなら別だけどね。

なのでテーマは、タイムスリップしてやり直せるなら、がいい。

アバウトタイムでは、自分の人生上にしかタイムスリップ出来ないというルールがあった。なので、ジュラ紀に行くとか、100年後の未来に行くとか、ドラえもんのようなタイムスリップ先は無い。あくまで、自分が過ごした時間限定。

三十路を過ぎて、二十歳の若者をいいなぁと思ったりするけど、戻りたいか?と言われたら私はNO。もちろん、あの時の選択をやり直したい気持ちはある。そうすればもっとマシだったかもと思うこともある。

けど、それは一つの側面からだけ見た景色への感想でしかないんだ。

鳥取県の西部に、大山(だいせん)という山がある。伯耆富士と呼ばれるほど、富士山にそっくりな美しい山で、生まれて鳥取県を離れるまで、毎日眺めていた山だ。

だけど反対側、私が見ていた側の反対側から見たら、岩肌が見えて、ゴツゴツとしている。それはそれで雄々しく立派な山なんだけど、また違う見え方なんだね。

多分、私のあの時の選択は、別の側から見たら、それでよかったかもしれない。あの時ああしたから得られたものは必ずある。

もしやり直したら、今得られたものを失う可能性だってある。そして代わりに何かを得る可能性もあるけどね。ただ、悪いことも良いことも、こうなるという流れに沿うのが一番いい結果なんだ。

大山だって、どちらが良いか悪いかというものではなくて、自然に形作った山が、どちらもどちらでなるべくしてなっていて、自然になったことが、何よりなんだと思う。

とか言いつつ、タイムスリップへの妄想は尽きない。バックトゥーザフューチャー世代の性なのか、人類全体の憧れなのか。ただの夢なのかは、タイムスリップして未来にでも行かないとわからない。

Iさんが、「僕は実はこの時間を過ごすのは5回目なんだ」と言った。Tちゃんがそれに乗った。「もしかして前は別の店に行ってたんじゃない?」私も乗った。

「そうそう。そしたらVくんが食中毒になって死んじゃった。」
「えー!僕が!?」
「それで店を替えたのか。」
「Vくんが死んじゃって、あの店は潰れちゃって。」
「誰も幸せになれなかったんだ。」
「なるほど。」
「これで回避出来たね。」

めでたしめでたし。