リリーッス☆あなたのQ太郎・サオリリスです!
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今日は昨日藤子F不二雄ミュージアムで購入したオバケのQ太郎Tシャツでギークな感じに決め決めで

オシャレな若者が集まるファッションショーイベント「FairyTale」におジャ魔女しました!
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素敵なお洋服に身をまとったオシャレな若者が、ミニマルテクノやエレクトロミュージックに合わせてランウェイを歩いたりポーズしたり、
ももクロちゃんの「走れ!」に合わせてオタ芸したりしてました。

そんな中、私のTシャツはQちゃん。

ハイブランド『藤子F不二雄ミュージアム』の超モードなTシャツ。値段は安いけど、普通のお店では買えません。

何故、こんなにハイセンスなTシャツを着てるのかという訳は新宿ロフトプラスワンにありました。

そうです。「石ノ森スピリッツ スタジオゼロ物語」トークライブに行ってきたのです。
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だから何故Qちゃんなのか、分からない非国民達へ告げる‼トキワ荘メンバーが集結し作り上げたアニメーション制作会社"スタジオゼロ"の代表作が「オバケのQ太郎」そういう訳です。

'石ノ森章太郎'の意志を継ぐ山田ゴロ先生が司会をつとめるトークライブには、
ゲストとしてアニメーション界の重鎮・鈴木伸一先生と、敬愛する藤子不二雄A先生が登場し、
藤本先生とのまんが道についてや、鈴木先生と安孫子先生の出会い、
スタジオゼロ創立の経緯、記録・記憶について貴重なお話を聞くことができました。

また、安孫子先生がお話上手で笑かしてくれるし、鈴木先生の優しい雰囲気に和んで、とても幸福な時間を過ごさせてもらいました。

■安孫子先生の作品に『少年時代』があります。

戦時中、東京から富山に疎開した進一少年が、地元の学級生のタケシにいじめられながらも友情を信じようとする、繊細な心模様を描いた、山も谷もないお話です。

安孫子先生のところに連載を頼みに来た編集者に「やりたいものはあるけれど、絶対ヒットはしないよ。」と断りを入れて描き始めた『少年時代』は、
案の定!?読者の反応が無く、ファンレターは一通も来なかったそうです。

それでも'1年は描く'という約束を守り描き続けました。
お話のラストは「終戦し、進一が東京へ帰る汽車に乗ると、タケシが駅にかけつけ、手を振り見送り、友と別れる」シーン。
最終話が雑誌に載ると、今度はたくさんのファンレターが届いたんだそうです。

映画では、そのタイミングで、主題歌「少年時代/井上陽水」が流れ涙腺をドカンと刺激するんですが、
元々井上陽水氏と安孫子先生は呑み仲間で、映画化に当たって自ら手紙と歌詞を書き、主題歌の制作をお願いしたんだそうです。

ところがどっこいいつまでたっても返事が来ず、困っていたところに井上陽水氏から「出来た。」と連絡を受け、
安孫子先生は慌てて井上陽水氏のスタジオへ駆けつけました。
そこであの名曲「少年時代」と出会うわけです。
「"少年時代"の世界観にピッタリの素晴らしい曲」と感動したそうです。

ただ、安孫子先生が作詞した詩は一言も使われてなかった様で、「'夏が過ぎ風あざみ'って訳がわからない(笑)」と笑ってらっしゃいましたw

没になった安孫子先生の詩を、少し紹介してくれはったんですが、そちらもなかなかイケてました。
「君と過ごした時がなんちゃらかんちゃら・・・」みたいな感じでした。


■両国の下宿先の二畳間からトキワ荘14号室の四畳半に移って、漫画家として新人ながらも波に乗り右肩上がりの頃です。
毎日締め切りに負われ眠れない日々が続きました。

安孫子先生「私達は二人だったから、どちらかがうたた寝すると、片方がペンで突っつく。"痛っ‼"と目が覚め、また原稿に向かう。その繰り返しをして、ある時同時にお互いにペンを刺しあったこともあった。(笑)」

出身地である富山県に帰省した際、それぞれ実家で過ごすためペンを刺しあえずw、10本のうち8本の原稿を落としてしまい、2年間仕事をほされた時期がありました。
このエピソードは「まんが道」にも描かれてますが、その時のことを
「編集者から噂を聞いた手塚先生に、'君たち何かやったの?'と聞かれたけど、'ん?なんのことですか?'とトボけたりした。(笑)
トキワ荘の他の人も大して売れてる人がいなかったし、仕事がなくて当たり前のような気がしてた。(笑)」
と冗談のように話される中で、
「あの時は(藤本先生と)二人だったから乗り越えられた。
大変反省し、それ以降1本も原稿を落としたことはない。」
というおっしゃった言葉が、二人でひとりの藤子不二雄という感じがして染みました。
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■鈴木先生は、始めはトキワ荘で漫画を描いていましたが、アニメーションに惹かれトキワ荘を出て行きました。
トキワ荘に入居したきっかけは、編集部の人の紹介でしたが、敷金を払えず、トキワ荘の兄貴分であるテラさん(寺田ヒロオ先生)に借りたんだそうです。
ちなみに藤子不二雄先生方も手塚先生に敷金を立て替えてもらう形で(後に返金する)入居しました。

鈴木先生「当然、みんなお金なんて持ってませんでしたから。」
安孫子先生「家賃の支払い時期、お金がなくてどうしようかと頭を抱えていると、テラさんが部屋に来て'君たち、家賃は大丈夫なの?'と声をかけてくれるんだけど、
悪いし格好もつかないから'大丈夫'と言っておく。だけど、支払い日になって結局テラさんの部屋に行って頭を下げる。'すいません、(家賃)貸してください。'と(笑)」
安孫子先生「鈴木氏、君も借りたの?」
鈴木先生「借りた借りた(笑)」
安孫子先生「(笑)」

テラさんが『まんが道』を読む通りのしっかり者で、みんなに信頼されていたのがわかるエピソードです。

□鈴木先生「トキワ荘へ入居してきた時、何も持たずに来て・・・」
安孫子先生「机も無かったんじゃない?」
鈴木先生「いや、机はあった。。。」

おぼろげな記憶を結び直すようにトークは続き、
"ラーメン大好き小池さん"のモデルでもある鈴木伸一先生のエピソードを話してくださいました。

安孫子先生「鈴木伸一という男は、私生活が、見えない不思議な男でね。今もだけど。」
鈴木先生「え~そんなことないと思うけど・・・(照)」
山田先生「小池さんも私生活が見えないキャラクターですよね。」
安孫子先生「ある冬の日、鈴木氏の部屋を訪ねると、鈴木氏が豆電球に手をかざしていていて、暖房器具なんてありませんから、暖をとってるのかなぁと。
それがよく見たら、手にバターを塗ったパンを持っていて。」
鈴木先生「溶かしてたんだよ。(笑)」
安孫子先生「あんなの、何時間経っても溶けるわけがない!(笑)」
安孫子先生「布団も敷布団しかなくて、寒いから、敷布団を体に巻きつけてのり巻きみたいにしてね。(笑)」

鈴木先生はどうやら天然キャラみたいですw

鈴木先生「お金も無いのに、居候を置いてまして。森安なおやという男なんですが。」
安孫子先生「あの男は本当、ひどい。」
鈴木先生「一銭も持たずにトキワ荘に来て・・・」
安孫子先生「他人の財布を自分の財布のように使う。」
安孫子先生「お腹が空いたがお金がないから何か食わせろとせがんでくる。私だってお金ないのに、弱ったなぁと思いながらもなけなしのお金でご飯をおごった。
そのくせ、自分はみんなより上等な服を着ていて。みんなはみすぼらしい格好をしているのに。」
鈴木先生「私がトキワ荘を出て行くことになった時、実は後でトキワ荘へ戻るつもりだったので、荷物はそのままにしてたんだけど。
結局そのまま出て行くことになったんでトキワ荘へ荷物へ取りに行くと、部屋がすっからんかん。森安が勝手に全部売っちゃって。」
安孫子先生「本当、ひどい奴なんだよ。(笑)」
鈴木先生「結構いい本もあったんだけどなぁ・・・(笑)」
懐かしそうに、あたたかくお話しされるお二人から、トキワ荘で過ごした時が、いかに青春で楽しい日々だったかが伝わってきました。

□"ラーメン大好き小池さん"の初登場は「オバケのQ太郎」第一巻。もじゃもじゃ頭にぐにゃぐにゃ口、ラーメンが大好きな名脇役です。

鈴木先生「あの時はまだ髪の毛がこんな(今みたい)じゃなかったから。(照)」

鈴木先生をモデルに安孫子先生が描きあげた小池さんは一躍人気者となり、作品にかかせないキャラクターとなりました。

『オバケのQ太郎』は、「スタジオゼロ」のメンバーでの合作なので、中に、ちび太やおそ松君、それぞれの作品のキャラクターが登場する楽しい作品になっていました。
みんな自分の連載と掛け持ちだった為長く続かず最終回を迎えるんですが、やめないでという読者の声に応える形で、藤子不二雄先生が引き続き描くことになりました。

安孫子先生「"オバケのQ太郎"という作品は個人的に節目になる思い入れがある作品でね。まぁ、コレなんだけど。(小指を立てて)」

と語ってくださったお話によると、
その頃、安孫子先生は結婚を考える女性がいたそうです。相手はとある社長令嬢。漫画家という肩身の狭い職業柄、なかなか許しをもらえませんでした。
しかし、漫画・テレビアニメ共に『オバケのQ太郎』が大ヒットし、結婚を許されたのでした。

安孫子先生「当時、みんな言っても26・7歳だから、好きな女の話をしたもんだ。(笑)」

■スタジオゼロはトタンのボロ屋敷で、階段は踏むたび軋んで、トイレは外にあるため雨の日は傘をささなければならなかったそうです。

当時はアニメーション作品が希少な時代で、劇場でディズニーをやっているくらいで、アニメーション制作の基盤となるものがなかったため、
スタジオゼロは、手探りで手づくりのアニメーション制作会社でした。

メンバー内での上下関係は作らず、社長もくじ引きで決めました。

手塚先生の会社"虫プロ"がテレビアニメ『鉄腕アトム』の制作を始めた頃、スタジオゼロの所に手伝いの依頼が来ました。

そこで、問題となったのは、スタジオゼロのメンバーがそれぞれ名のある漫画家だということでした。
つまり、みんな描く絵に個性があって、作画がバラバラになってしまうのです。
藤子不二雄先生方と石ノ森先生は手塚先生の影響をもろに受けているのでマシですが、つのだじろう先生なんかが描くアトムは明らかに別もので、一同「これは明らかに違う、大丈夫じゃない。」と思ったそうですwww
当然描き直しとなるわけですが、みんなそれぞれ連載を抱える中での制作作業なので、体力的にもとても大変で、「ダメ出しをくらう度腹が立った。」と安孫子先生はおっしゃっていましたw

その時の貴重なフィルムはどっかなくなっちゃったみたいです。

スタジオゼロはトタンからビルに引っ越し、社員も100人近くに増え、いくつかのアニメーションを作った後に潰れてしまうのですが、黒字もなければ赤字もない、社名の通りゼロの状態になっただけで、楽しい思い出しかないとお二人は話されました。

■時は戻りトキワ荘の頃、テラさんを中心にしたメンバーが集い『新漫画党』という、これから漫画界を盛り上げていこう‼という会がありました。
メンバーは寺田ヒロオ・藤子不二雄・鈴木伸一・森安なおや・つのだじろう・石森章太郎・赤塚不二夫。
高い志を持ち、レベルの高い漫画家というテラさんの中の一定の条件をクリアしなければ認められなかったようです。

週に一回一つの部屋に集まって、会合という名の宴会を開きました。漫画の話は一切せず、みんな好きな映画の話をしながらビール飲んだりチューダー飲んだり楽しく過ごしていました。

すると突然つのだ先生が「高い志を持って'新漫画党'に入ったのに、宴会ばかりしている。私はもう辞める‼」と果たし状をよこしました。
みんなは慌てて、こういうのは藤本氏が上手いからと、藤本先生が手紙を書くことになりました。
「漫画家が漫画について考えるのは自分自身ですべきことで、誰かに相談して決めることではありません。
ああやってお互いに観た映画の話や何気ない話をすることで、情報交換し、自分の漫画に活かすことが大事です。」

間違いではないけど、少し無理矢理言い訳の様な気もしますが、なんとか仲裁したそうですw

安孫子先生「新漫画党は兄弟のような関係だった。同じ目標を持つもの同士が出会うと、誰かが誰かをやっかんだりするものだけど、そんな事は一度もなかった。誰かがヒットすれば、心から喜び、ホッとしたし、自分のやる気に繋がった。」
山田先生「良きライバルだったんですね。」
安孫子先生「いや、ライバルでもない。競争しようなんて思ったことなかったんだから。」

これぞ友情というものなんでしょうか。友達という約束をしているわけでもなく、毎日の何気ない会話ややりとりから、なんとも言えない関係性が生まれて、何だか羨ましいなぁと話を聞いていました。

私の道が"なんの道"なのか、自分でもよくわかってないけど、何十年先にこうやって話をできる誰かがいるんだろうかと考えると、スタンドアローンな世代に生きている私たちには、なかなか難しいんじゃないかなぁと思います。

最近、『シェアハウス』というのが流行っているみたいだけど、ただ同じ家に住むことでは生まれない何かが、トキワ荘にはあった様に感じるし、とても魅力的です。

最後に撮影タイムがありました。時間の関係で、直接お話できる機会はなかったんですが、同じ空間で過ごした時間は、一生の宝物です。
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山田先生「最後に、これからの漫画界を担う若き漫画家たちに、メッセージをお願いします。」
安孫子先生「あ、そうそう。最後になっちゃったんだけど、少し早いけど、鈴木氏もうすぐ誕生日でしょ。
同じ3/10に出す小池さんの本、プレゼント。」
鈴木先生「おお、ありがとう。」

結局、メッセージは無く会場を去った安孫子先生でしたが、そのやりとりやお話から、大事なメッセージをいただいた様な気がします。

■後半ではスタジオゼロの話と、アニメーション史やこれからのアニメーションについてのお話でした。
「彼(安孫子先生)に喋らしたら、楽でいい。うなづくだけでいいんだから。(笑)」と言いながら、聞かせてくれた鈴木先生のお話もとても興味深かったです。

「アニメーションを描く技術は、すでに日本は中国に抜かれてしまったけど、何が違うかと言うと、日本のアニメーションはストーリーがしっかりしている。
深夜にやってるノイタミナのアニメなんて、いっぺんじゃ理解できないけど、何度か観ると分かってきて面白くなってくる。
最近でも『まどかマギカ』や『けいおん』なんて、絵は萌え系だけど、話は大変おもしろい。萌え系も観ないといけないね。」

と、この道何十年、日本にアニメーションがなかった時代から携わる鈴木先生がおっしゃっていることに驚きもしたし、同じ作品を観て、同じ感想を共有できたことに感激しました。

手塚先生が、どんなに大御所となっても初心を忘れず、新人漫画家の作品に刺激を受けていたように、鈴木先生もまた、新しい日本のアニメーション作品を観て刺激を受けてらっしゃる。

時代を作るひと・何かを残すひとには、必ずそういう部分があるんじゃないかと思います。
順応というか、時代の流れを客観的に見て全てを受け入れられる、母親の様な視点を持っている気がします。

先生方も今でこそ、そう話すことができるのかもだし、あくまで私がそう感じてるだけだけれど、そうだといいなぁと思います。

自称だけど、私もその感覚が多少わかってるつもりでいるから、もしかしたら何かできるかもしれないと、厨二的な希望が持てるからです。(自称だし、勘違いしてるかもだし、本当、厨二だけどw)

とまあ、勝手な話で閉めちゃいましたが、以上が新宿ロフトプラスワンで聞いたお話です。
録音してたわけじゃないので、聞いた記憶の中から大体のことしか書けませんでした。間違っていたらすみません。
みんなに読んで欲しいというよりは、私の記憶をできるだけはっきり記しておきたかったので、長くなりましたけど書きました。

大好きな先生に、また会いたいから、私はまだまだ生きたいと思います。いや、死ぬつもりもないんだけどね、心を生かして生きたいなと思うんです。そして、みんなにも長生きして欲しいです!

それじゃ、最後まで読んでくれてありがとうございました。

サオリリス
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