こんにちは、巫女でございます。
日々多種多様なご相談を承っているのですが
ここしばらく、一般的に同業者とされる方々(※1)からの
ご相談も重なっており、またそれ以外にも他人から
「あなたは霊能の道に進むべき」という無責任きわまりない
ことを言われて困惑なさっている方も複数人お話を
お伺いしました。よって一筆書いておかねばと思った次第です。
本日のテーマは「ストップ!霊能志願」。
憧れや闇雲な見よう見まねでこの道に入ろうとなさる方には
ぜひ真摯に受け取って欲しい内容です。


(※1)
霊能者 占い師 ヒーラー リーダー その他。
霊能者以外は厳密に同業とはいえないため
記事との相違点も多いでしょうが
該当する部分を受け取って頂ければ幸いです。

それでは興味のある方は以下をいつもの通り
ご自分の判断と責任においてご覧になり
情報の取捨選択をお願いいたします。

長いのでざっと項目の目次書いておきます。
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《目次》
■その一
①霊能者って志願してなるものなんでしょうか

■その二
②霊能の道の危険について

■その三
③そんなにいいものでもないですよ
④この道の幸い

■その四
⑤こんな人は特に向いてないですよ!
⑥まとめ


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①霊能者って志願してなるものなんでしょうか

私やむらくも、そして先代の稲荷巫覡であった曾祖母、
そして直接存じ上げている信用できるこの道の方
みなそうなのですが誰一人自ら望んで
この道に入った人間がいない為、上記の項目名となりました。
といっても、お役目を嫌々負っているというわけでは
けしてありませんのでその点はどうかご心配なく。

例として、私個人の話をします。
数年前まで私はごく普通の一企業人でした。仕事に誇りを持ち
そして実績を立て自らの職責を上げることを常に目指して
邁進していました。もちろん思うに任せないこと、
己の至らなさに打ちのめされることも多かったのですが、
そこから学び仕事の上で己を磨くことは
当時の私の正に生きがい。心から尊敬する上司にも恵まれ、
また会社も私の技能を伸ばす道を提示してくれました。
順風満帆の喜び多い社会人生活を送っていたのです。
また、現在もそうですが、私は基本不確実なことより
論理性や生産性を優先する性格です。曾祖母のことを疑ったことは
ありませんし、神棚や仏壇に手をあわせる心根は持っておりましたが、
稲荷巫覡のお役目は当時の私にとって遠いものでした。

にも関わらず、「先代の祭祀した神社を継ぐ」お役目は
血縁者の中で私の元に降りようとしたのです。
当初は正直、理不尽だと憤ろしくてたまりませんでした。
自分が心血を注ぎ努力によって勝ち得たものを、すべてふいにしろと
言われたようなものだと思いましたから。
(実際はその過去の経験がなければお役目を負えていないのですが)
しかしその憤りや逡巡をしている最中にも、目まぐるしい勢いで
さまざまな「兆し」が私を追い立てました。
その兆しがつもりつもってどんどんと退路が狭まっていくにつれ
言葉は悪いですが結局は「観念」していったのです。
言い換えると、順序だてて「覚悟」をきめさせられてきた、
ということでしょうか。そして初めて祭神を降ろし交感したその場に
次代の当主(というほどたいそうな家ではありませんが)兄も
居合わさせられ、その後両親を呼ばさせられ、それぞれに
今後私がどうなるか、どんな危険があるか、何を覚悟せねばならないかを
祭神に言い含められました。その上で最終的に
「それでもお前は役目を負うか」と問われ、
その問いを己の責任において肯って現在に至るわけです。
過程はどうあれ、己が肯ったことなら誰に責任を転嫁することもできません。
よって今私は己の意思でお役目を負い、
己の意思でその幸いを享受しているというわけです。

実は先代稲荷巫覡であった曾祖母(当人は「代人」と呼称していました)
も宣旨が降りたその始めは「あたき(私)はそういうのは好かん!」と
たいそう嫌がっていたそうですが、(信心は篤くとも基本
リアリストなばあさんでしたから)先代として勤めあげたからには
上に似たやりとりの末、まず覚悟を決めたのでしょうね。
心ある勤めをなさっている同業の方には、みな似たような
「追い詰められたストーリー」があるのではないのでしょうか。

とはいっても、なにも「自分は選ばれた存在!」などと、
何の役にも立たない驕りで上の話をしたわけではありません。
私が神ごとのお役目を負っていることなど、
世のお母様お父様がみな父母としてのお役目を負っていることと
同じか、むしろそれ以下の意味のものだと思っています。
また、上記の話をもって「私は本物なのだ!」という論拠と
しようとも思っておりません。「追い詰められたストーリー」があれども
その逸話自体の信憑性が疑わしい場合もあるでしょう。また
神仏意識や霊的要因との交感は常に禍神禍物(まがかみ・まがもの※2)
にだまされる危険性をはらんでいます。
精神疾患の病症としての経験を神ごとと謳う方もいらっしゃいます。
つまるところ自分の見ているもの感じているものの真贋は、
誰に認められようともまた認められなくても、
常に己自身に問いかけ己で確認していかねならぬもの。
また己自身の真贋はこれまでの行動のみが証明していくものだと
思っています。

平素私どもは運命論に対し否定的スタンスを取っております
(人の裁量を否定することにもなりかねませんので)。
ただ、この道のお役目を負うにあたっては己の意思を超えた
強力な「縁」は必要不可欠だと思い、今回の記事を記すに至っています。
なぜならそれがなければ、危険の多いこの道は歩めないからです。
その危険については次の項目で記します。


※2
まがかみ お役を見失い節度を失って障りや災いをなす神
まがもの 大小さまざまな障りをなす霊的要因の総称
    →いずれも甘言を弄し、騙しを行う場合があります



担当:巫


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