今回は、タイトルの通り雇われることは人生という時間を切り売りしている

状態であるということをお話していきます。

 

どういう意味なのか、考えながら読んでいただくと幸いです。

 

 

まず1日は24時間しかありませんよね?

前提として、ヒトの人生の3分の1は睡眠に占められています。

 

あとの3分の2はどうでしょうか?

 

24時間の3分の1、8時間は睡眠に。

残りは16時間です。

 

そのうち、何時間働いていますか?

法律的には8時間でしょうか(笑)実際にはどうかわかりませんが。

 

身支度をして、会社まで向かい、仕事をして、家に帰って。

 

結局半日以上仕事に関係した時間を送っていないですか?

 

好きなことをする時間、自由な時間はどれだけあるでしょうか。

 

私がパートだったころは、職場との距離が近かったので

出勤するまで1時間から1時間半、出勤から退勤まで12時間。

退勤(タイムカードを切る)から退社(着替えてから会社をでるまで)・帰宅まで1時間くらいでした。

勤務時間、残業代、休日など労働にかかわる法律を無視した会社です。

 

合計すれば、14時間から15時間くらい仕事に関係する時間を

送っていたことになりますね。

 

寝るまでにお風呂に入ったり、テレビを見たり。

なんやかんや寝る時間は夜中の2時、3時・・・。

 

さらに、悩みの多いときは朝明るくなるまで眠れないこともありましたが、

休みは少ないし、私に関係なく朝はやってくるし、仕事からは逃れられません。

 

このように、人生の3分の1は睡眠に、残りの3分の2は仕事ですね。

 

ここで一度、タイトルの「人生を切り売りしていること」に戻りましょう。

 

人生の時間は人それぞれ分からないし、限られている

 

人生の時間は限られています。

大切なのは「時間は有限であり、『今』は二度と戻ってこないこと」

 

いくら日本が長寿の国だといえども、不老不死ではないですよね。

やり直したいからと言って、タイムマシンもありません。

 

生きている限り、タイムリミットは突然やってきます。

明日かもしれないし、来月、来年、何十年後かもしれません。

 

いつ来るのか分からないタイムリミットから目を背け、

「睡眠」と「仕事」に時間を費やし、好きなことを我慢して生活しています。

 

例えば、命が残りわずかになったと分かった時。

定年を迎え、やっと時間が取れたとき。

 

いざ、自由を満喫したり、旅行したりしようと思っても

からだの自由が制限されたり、お金に困ったりして

思ったようにできないことが増えてくると思います。

 

しかし、時間はあまり残されていません。

 

「あの時、あぁすればよかった。」

「諦めなければよかった。」

 

いくら後悔しても、過ぎ去った時間は戻ってきません。

 

今、生活をするために仕事をしていると思いますが

私たち、労働者は「自分の時間と労力」を会社に提供するかわりに、

”対価”として「給料」をもらう契約をします。

 

あなたは、今までそのように考えたことがありますか?

 

ちゃんとそのように扱われていますか?

 

大切な時間の対価だからこそ、法律により基準が設けられていますが

すべてが守られているわけではないのが現状でしょう。

 

例えば、私は北海道の回転寿司店の厨房でしたが、新人の時給は

850円から、私は880円。

当時5年選手の私は、その店舗一の速さで寿司を作っていたにも関わらず

新人と30円しか変わりません。

 

このたった30円の差をつけるためにたくさんの時間を

文字通り「捧げて」来ました。

 

時間外から出勤し、休憩を削り、他の人の何倍もの仕込みをして

退勤後も終わらない業務をサービス残業として、無償でやりきる。

 

これだけ頑張っても、月に20万円届きません。

 

これをあなたは高いと思いますか?安いと思いますか?

 

もし、これだけの時間を捧げる前にアフィリエイトを知って、

行動していれば今頃自由が手に入っていたかもしれません。

 

たくさんの時間、生活を犠牲にしてあげた30円。

結果として、給料は数千円しか変わりませんでした。

もっと早くにこの事態に気づいていれば。

 

こういっている私ですが、かつては疑問を持たずに文句言いながら

たくさんのことを我慢して、働いていました。

 

たまたま、成功をおさめ自由に生きているアフィリエイターの書いた記事を

見て衝撃をうけ、考え方、物事を見る方向が変化したくさんのことに

疑問を持つようになりました。

 

一回そういう思考になると、何でもかんでも疑問に思って周りとは

違う考えの文句ばかりになってしまい、「何を言っているんだ、こいつは」と理解されませんでした。

 

理解されないなら理解されなくてもいい。

 

かのアフィリエイターのように会社に縛られない、

自由な生き方を選択すればいい。

 

世間の常識から。

当たり前の生活から。

他人から。

 

―――1歩抜け出した瞬間でした。

 

このように、世間に、会社に、常識に縛られな生活を選択している人が

増えています。

 

決しておかしいことではありません。

 

我慢して、生活して、仕事で人生が終わるより、理解されなくても

好きなことを好きなだけできる人生のほうがいいに決まっています。

 

少なくとも私はそう思いました。

 

こうやって記事を書いて、ブログを作った私ですが、

実は家族もあまり理解していません。

 

というか、「信じがたい」といったところです。

 

まあ、今はそれでも仕方がありません。

 

なにせ、今を乗り越えた向こう側に自由が待っているのですから。