中学生の頃の私 その2 | 痛みを手放すための日記

痛みを手放すための日記

自己分析のためのブログですがどなたかのお役に立てればと思います。

中学生の頃の私と母の関係はどうだったかというと、本当に最悪でした。

私は学校に行けと言われることのない夜に起きてずっと絵を描き、明け方に寝て夕方に起きるという生活をしていました。

今思えば、自律神経が乱れる一番悪い生活習慣ですよね。
たとえ何もコンプレックスのない人でもこんな生活したら鬱になる、というあかんやつです。

母にはなんで学校に行かないのか聞かれたりしましたが、思春期の私には「自分がブサイクすぎて人前にでられない」なんてことは恥ずかしくて、また否定されるのがわかりきっているので言うことができず、かっこつけて「めんどくさいから」と言っていました。

そんな理由で母が許してくれるわけもなく、「近所に恥ずかしい」などという心無い言葉もたくさんかけられたりしたのです。

その頃は鬱により「私は生きてても意味があるのか」とよく考えていました。
「今私が死んだら何人の人がお葬式に来てくれるのだろう」とか。

学校に行きたくなくて仮病を使い、母に病院に連れていかれた時、やはりなんの病気でもなかったのですが何かを察した看護師さんに、「優しすぎるのね」と言われたのです。
それは、私が母から欲しい言葉でした。
ふいに優しい言葉をかけられた私は、感情が溢れて泣いてしまったのです。
泣いたことで、私は母に心に傷があることを気づいて欲しかった。

でも、病院帰りに母からかけられた言葉は「なんで泣いたん?お母さん恥ずかしかったわ」でした。


「私のことをなんで産んだの?」と聞いた時返ってきたのは「将来年取った時に面倒見てもらいたいから」でした。

私は介護ロボットか。

「私の名前はどういう意味でつけたの?」と聞いた時は「将来親を大切にするという意味」と言われました。

絶対違うやろ 笑
私の名前の漢字にそんな意味ないし。
普通、たとえば「美」というか漢字が入ってたら美しくなってほしいとか、子供の幸せを願ってつけるんじゃないの?

この人には人の心がない。
中学時代の私はそう思っていました。

いつしか私の不登校の理由は、「ブサイクな自分は人前に出る資格がない」よりも「親に愛されるまで学校には行かない。私が学校に行くことでこの人の世間体が守られるなら、私は行かない。心から私のことを思ってくれるまで、絶対に行かない」という母との戦いになっていました。

もちろんその理由は母には言いません。

「私は鬱病かもしれない」
母に言ったら、「あんたが鬱病なんてちゃんちゃらおかしいわ。鬱病の人に失礼や」とも言われました。

その頃母も更年期で、一番しんどかったのかもしれません。

だからと言って子供を傷つけていいという理由にはなりません。

虐待をされていたわけではないです。
ご飯も作ってくれていた。
洗濯もしてくれていた。

でも、私は愛されて精神的に満たされたかったんです。