豊中さんってどんな人???
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障害児保育の中に合理的配慮というのがあります。

 

 

今回、危険がわからない自閉症の子が

公園の遊具のてっぺんで手を離し

地面に落下したのを保育士が地面スレスレのところで

受け止めることがありました。

 

保育士も園児も怪我はなし。

本当によかった。

 

 

そのちょっと前も木登りで危険がわからないので細い枝も登ってしまう。

また木の間に足がハマり、パニックになり取れないなんてこともありました。

 

多動でずっと走るので大人も1時間つきっきりだと息が上がります。

 

危険認識がないので公園に連れていくことが今の段階では難しい。

なので、公園にはいかず園庭で過ごすことにしました。

 

この行動ですが、これは本人の成長のひとつなのだと思います。

前まではなかった姿です。

 

今は大人と園庭で遊び、じっくりと1つの遊びをする時間を設ける。

止まって遊べる時間を過ごし、

その子が成長していったらまた公園に行く。

私はそんな見通しで動いていました。

 

保護者とも今回のことで面談して

保護者も前向きにとらえて、今をどうするか?を考えて

一緒に動いてると思ってました

 

しかし、担任が‥

「公園に連れて行けないのは可哀想だ」

と言い始めた。

「私たちが止められてたら公園に行けないいことにはならなかったのでは」

と言い出す。

 

いやいや、大怪我にならなかったのは

担任がキャッチしたからだし

 

「何より“可哀想”ってなに?!

じゃぁ、可哀想って思いながら、保育してるなら

保育されてる子どもが可哀想。

私はその考え方、おかしいよ。」

と言ったけど、納得いかない。

 

更に上司に泣きつき

上司が私に話をしてきて

私が悪い風に‥

 

えー!!

確かになにか出来たかな?は思うのは分かるけど

親が前に進もうとしてるのに

担任が足引っ張ってどうするのよ。

 

同僚の私から言われても関係性が悪くなるだけだし

今度来園する発達支援の臨床心理士さんから提言してもらうようにした。

 

昨日、臨床心理士さんに電話して

「わかった~。

合理的配慮を可哀想と思ってたら

障害児保育なんてやってられないな。」

と言われる。

 

 

そう。

確かに振り返って悩むことはあるけど

我が家のADHDの息子も可哀想とは思ったことはない。

可哀想な子として、私は育ててない。

 

何よりアクシデントは起きたけれど

それは成長の一つであるととらえて

前を向いて、目の前のいる子に何ができるか?

それを考えていくことが大事。

 

その子についているパートさんに話しかけたら

「なんか可哀そうで。」

というので、この説明をしたら

「そっか~、園庭がよくて公園に行かないとなったらどうしようと思っていた。」

と話していました。

「園庭で遊べるなら公園でも遊べるよ。」

と言ったら、

「確かに~」

と言っていた。

 

散歩に行けないことをその子はどう思っているのかはわからないけど

連日、園庭でバケツに水をためて、水を流して楽しんでいるよう。

 

今ある環境の中で、その子が楽しめるようにしていく。

その環境を整えるのは大人の役割だと私は思う。

 

 

 

 

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