先日の麦茶事件(前ブログ)のあと、無事三途の川を渡らず、戻ってきた私だが、何かが足りない、という欲求に駆られている。まだ、腹の中に何か残っている気がするのだ。

 そして私は、この清々しく晴れた秋空を真っ黒な鉄馬に乗って、風を感じるために外へ出る。
 風が、透明感が変わった、そう感じ、ジャケットを一枚羽織ったのだ。昨日までは、まだ長袖のTシャツで鉄馬に乗れた私も、今日からはジャケットのお世話になる事にしたのだ。。簡単に言えば寒くなったな、というだけだが、これは、鉄馬乗りが感じる事の出来る季節感かもしれない。

 私の住む千葉県は海あり、山あり、谷あり、副都心もあり、でっかいねずみの国もある。何処に向かっていくかはその日の気分だが、今日は山のほうに足を伸ばす。
 といっても、鉄馬なら、一時間も走らず、緑豊かな山道に入る事が出来る。常緑樹が多い(杉、ヒバなど)千葉県は、花粉症の方には辛いかもしれない。

 春先のその光景や、杉林から、大量の黄色い粉末が日光に反射しきらきらと飛散していくまるで金粉の中を走って行くような物である。(花粉症の方は、防毒マスクが必要かもしれない)。

 秋のそれは、稲刈りも終わり、天日干しの稲わらの山が点在し、水田の水は抜かれ来年のために掘り返している光景もちらほら見える。
 バイクを降り、少し木々の中を歩くだけで、柿、アケビ、栗、きのこ(これは採らないが)、むかごなど、酒の肴になるものが手に入る。

 今、都会で大騒ぎしているイノシシや猿、鹿は見た事が無い。
 ま、それはタイミングと言えるかもしれないが、夜になればいるのかもしれないが、至ってのどかな農家が立ち並ぶ姿は、とても熊を恐れているようには見えない。
 
 自然を忘れていた私の体が、いつの間にか軽くなっていく(体重が減っているわけではないのは分かっておろうな)気がする。

 家の中に閉じこもり、鬱と闘っていた時の体中の膿が洗い流されるような光景である。

 私のツーリングは気ままだ。そして、非常にゆっくりと言えるだろう。何せ独りで走っているのだ。他車に気を使う事も無く、のんびりと鉄馬の奏でる「ドン・ドン・ドン・」という息吹を心地よく振動と共に味わい、ウォークマン携帯から流れるブルースミュージックを薄く聴きながら、目的も無しで走る爽快感はなんともいえない。

 買ったばかりの頃はあまりの重さに戸惑い、何度も転んだ。
 教習所のバイクはCB750。とても軽く、扱いやすいバイクだった。教習中倒したのも二回くらいだった。

 その後、今の鉄馬を買って(もちろん中古だが、結構なカスタムがされていた)、バイク屋で試乗し、音も、乗り心地も気に入って購入を決めた。
 乗って帰って、自分の駐輪場に停めて、そのままこけた。スタンドが出てこない(出しづらい場所にあった)うちに、軸足がすべり、転倒したのだ。買った初日にピカピカの車体に傷が付いた。
 重量350Kg。起こすのが一苦労。教習所のバイクはすっと起きたのに、なかなか起きてくれない。
 やっと起こした時はへとへとになった。

 あるときは、高速道路の侵入口の坂で転倒、地面に捨ててある、タバコの吸殻の山、(そういう喫煙マナーの守れない奴が一番嫌いなのだ)恐らく、車にたまった灰皿を、その道にぶち撒いたのだろう、それに目がいくと、バイクや自転車という乗り物は、向いた方向に進んでしまう。いまだに不思議だが…。
 そして縁石に乗り上げ完全に私は車体の下敷きに…。動こうとしても動けない。あぁ、350Kgって重いのね、と正直自覚した瞬間であった。じたばたしながら「助けてー」なんて言ってる様はまるでコメディだ。ようやく、通りがかりの車の運転手が気が付き、降りてきて、少しバイクをずらしてくれたお陰で、何とか抜け出した。
 ハンドルは折り曲がり、タンクはベッコリと凹んでしまった。助けてくださった運転手の方には礼をいい、自分の無事を確認したところで、購入したバイク屋に連絡、レッカーで吊って、その車で店まで戻った。
 もちろん打ち所が悪ければ死さえありえる状況だった。自分の悪運を呪い、私の鉄馬は修理へ。20万の痛手だ。

 治ってきた鉄馬にまたがり、痣だらけの私が再びまたがると、嬉しそうに声を上げた。

 その三日後の事である。自宅近所の大きい交差点で左車線を走っていた私に、まるで気付かず、白い車が車線変更、私の前輪に当たり、跳ね飛ばされ、鉄馬は火花を散らしながら滑っていった。私は、道路を転がりながら、後続車の無い事を祈った。

 まぁ、後続車がいなかったから、私はこうしてブログを書いているわけだが、悲しいのはバイクである。
 その道路の事故現場の前の店の店主が110番をしてくれたので思いのほか、早くパトカーと救急車が到着。
 相変わらず、体には多少の打ち身はあるものの、血の一滴もたれていない私の体の丈夫さ。哀しい位である。
 事故の連絡をしてくれた店の店主は張り切って「見ましたよ、私は見ましたよ!」と警察に説明していた。
 私にとっては、うぉ!何だこの車、ウィンカーも出さずに車線変更しやがって、そんな感じだった。
 鉄馬君は、またしてもタンクを損傷、マフラーも傷つき、ハンドルのグリップエンドが悲しく焦げていた。

 おまわりさんは、私を救急車に連れて行ったが、何も無い事を告げると、救急車を返した。
 事故発見者の店主「私は見ましたよ!彼の乗ったバイクが火花を散らしながらあっちへ滑って行って、この人(私)がここにゴロゴロっと転がったのを見ました!」

 肝心の事故の状況は見ていない。見たのは事故後の私とバイクが転がっているシーンだけだった。

 ウィンカーも出さずに車線変更してきた白い車の運転手は、しれっとした感じで、「いや、突然追突されてびっくりしましたよ」なんて言ってやがる。

 ま、ここで喧嘩をしても始まらない。私は、ありのままを警察に報告し、連絡先を交換し、すぐに保険屋に連絡と、バイク屋(目と鼻の先)に連絡を取り、またもや鉄馬君は工場へ引き取られていった。

 その後も何度かこけたり、倒したりしたが、自分で治せる範囲はもう自分で治し、ホームセンターで黒のつや消し耐熱塗料を大量に購入して、すべてを塗りつぶし、今の姿になったのである。

 その後は、何も無かったように順調に走ってくれている。自分も扱いに慣れてきたせいだろう。目的が違って作られるバイクだ。ワインディングロードを高速で走り抜けるレーサーではない。街中を俊敏に動けるように作られたネイキッドでもない。

 ひたすら何も無い一本道を快適にのんびり走る鉄馬だ。重心や、回転半径、その他足つきなどすべて他車とは違うのだ。慣れるしかない。そして初めて快適なツーリングが楽しめると言うものだ。

 と言うわけで今日のお土産はこれだ。前回と違い「黄葉」である。ちなみに、銀杏は拾ってない。雄の木だったらしい。
宿酔いBlues



 そして、今回の源蔵亭オリジナルカクテルは↓
宿酔いBlues

 いかがであろうか?
 
 ちなみに、運がいいのと、悪運がいいの違いを教えよう。
 運がいいのは、何もない事。
 悪運がいいのは、体は助かったが、お金が無くなっていく事だそうだ。


さっき、冷蔵庫の入っていた麦茶を一気に飲んだら、なんだか酸っぱい。
やばい予感。RPGで毒を食らって、ただいまMP減少中って感じです。
とりあえず、正露丸飲んで、おとなしくしておきます。
宿酔いBlues



 少々涼しくなってきた今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。
 なんて軽い調子で始まっているブログのときは、ヨッパッライか躁状態でイカレている時しかありません。

 今日は、このちょっと肌寒さを感じつつ、愛車のハーレーにまたがり、皮膚科へ。
 どうしたかのかといえば、なんてことは無い。ちょいと耳たぶの補修に行ったわけである。
 鬱で自傷気味の時、昔は手首を切ったりしたこともあったが、最近は、同じ痛さを感じるならピアスか、タトゥでもいいんじゃないか、なんて思っているわけだ。
 自傷は、実際に死にたいと思って手首を切る人はあまりいない訳で、痛さや、流れる血を見て、生きている自分を確認したい。存在している自分を、客観的に目視することで安心を感じる、と、私の場合は考えているのだ。
 最近はそこまで深い鬱に悩まされることも無くなり(これは、このブログを読んでくださり、コメントやペタをしてくださる方が励みになったり、もちろん、病院でのカウンセリング、投薬治療、十分な休養、すべてが私を助けてくださっていると思っています)、あまり無理な自傷をしなくなったことで、そう感じるようになったわけである。

 鬱でひどかった頃は手首を切るだけでなく、へそにピアスを開けようと思っていろいろ試したが、あまりにも固い私の腹の皮にぶち切れ、電動ドリルを持ち出し、洗濯バサミで穴を開ける場所をつまみ、洗濯バサミごと電動ドリルで穴を開けたこともあった。
 もちろん、そんな太いドリルの刃ではないが、確か3ミリだったと思う。
 自分の仕事が建築がらみな為、電動工具はいろいろ揃っているのだ。その中から3ミリのドリルビットを取り出しドリルにはめ、しっかりと固定する。
 武士が切腹することを考えれば、大したことではない、そう思いつつも、ドリルのスイッチを握るまでには微妙な時間があったように思う。
 ドリルを握り締めキーンと機械音が鳴り響き、洗濯バサミのしるしのところへドリルの先端を当てる。プラスティックの洗濯バサミは、多少の焦げの匂いと削りカスを排出し、肉体へドリルの刃が刺さっていく。
 まず、血が噴出し、摩擦熱で焼けるような熱さを感じる。次第に激痛に変わり、一気に貫く。そして一気に抜く。
 血の付いた肉片(というほど大きくは無い。ありんこくらいだ)が飛び散り、ミニチュアのスプラッタ映画のような状況である。
 すかさず、マキロンで血を流し(いいのかそんなもので、と思いつつだったが)開いた穴に(すでに収縮を始めている)抗生物質軟膏を摺りこみ、へそ用ピアスを差し込んだ。
 先日、ドンキホーテで、へそ用のピアッサーを見つけた時は、ショックを隠せずに入られなかった…。
 デザインは、大麻の葉っぱのデザインだった。
 一応、毎日消毒と抗生物質軟膏を塗り、どうやら化膿せずに成功した。そう思った。その時はもう手首を切るとかそんな自傷行為と違った変な達成感と血みどろのティッシュをなるべく見えないように、紙袋に入れて、そして半透明のゴミ袋に入れ、何ぞ、事件でもあったんかいな、などと他のマンション住民に迷惑をかけないようにすることで気が一杯だった。

 しばらくして、それが重大なミステイクであったことが判明したのだ。
 まだ、彼女がいた頃の話だ。当然Hだってする。その時である。彼女がおなかが痛い、と言い出した。食中毒か?それとも月のモノか?
 違った。葉っぱのデザインのへそピアスが彼女のへそに刺さって痛いと言う事だったのだ。
 そんな事まで考えてデザインを選んでいない自分を恨み、ピアスを外した時に、なんとなく敗北感を味わってしまった。
 何だろう、敗北感なのか、侘びしさなのか、Hが終わって取り付けるへそピアスはなんだか哀しいのである。
 結局、別の傷つかないタイプのへそピアスを買い、付け替えたのだが、なんだかその哀しさはいつまでも心に傷として残ってしまった。
 そして、不思議なもので、そんな苦労して取り付けたへそピアスは月日とともに、体を洗って垢を落としていくとともに、私の体から排出されてしまったのである。
 無理に開けた体の穴だ。ケロイド状の傷が残ってしまった。
 しかし、なんとなく、せっかくへそピアスのピアッサーまで見つけた私だが、なぜか、もう一度へそにピアスを開ける気を失ってしまったのは何故だろう。
 今は、鬱も回復に向かっているから、自傷行為としてへそにピアスを開けることはまず考えられないが、もやもやが残るへそピアス事件だった。

 あ、何故今日皮膚科に行ったかというと、耳のピアスのほうが調子悪くなり、耳たぶが腫れてしまったためにその処置として、筋肉をやわらかくする薬を注射するためだ。大体、いつも適当にピアスを開けてしまう為、その時に何か異物が入って、こりこりした肉塊が出来てしまったのだ。

 現在、耳に3つ、左乳首にひとつピアスが付いている。タトゥはポイントであるが、三回入れた。
 そのくらい、痛さを感じないと生きている気がしなかった時期があったということである。苦しかった。存在意義さえ失った。死ぬことも考えなかったわけではない。しかし、それは、引き換えにするものが大きすぎる。両親、知人の心を考えたら、とても死は選べなかった。
 今では笑い話でこんな風に話が出来るが、鬱のひどい時にはひどかったと思う。自分でも覚えていないことがたくさんあるようだ。
 人前では空元気を見せるため、その反動がとても重かった。仕事場ではいつもニコニコ打ち合わせをし、現場では指示をし、事務所ではPCの画面とにらめっこしながらアイディアの浮かばない白い図面を見つめて涙を流した。
 四季の移ろいなど気にも留めていなかった。

 今日バイクに乗って病院にいく途中、紅葉したもみじの木を見つけた。真っ赤だった。本当に真っ赤だった。でも血の赤じゃない。生きている赤だった。デジカメで写真を撮った(あいにく私の携帯に写メなどという小洒落た機能は無いのだ)。
宿酔いBlues
 そして、それをイメージして、源蔵亭オリジナルカクテルを作ってみた。
 もし、そのお酒が家にあるなら、作って呑んでみてほしい。鬱から回復しかけている人間の作ったカクテルだから、味はどうだかわからない。
宿酔いBlues

 しかし、何か一歩前に足を踏み出したような気分で作った。
 ま、少しは創作意欲が戻ってきた前触れと考えよう。

 私は、小学生から中学に入るまで、YAMAHAの音楽教室にいた。中学に上がるときに、推薦されてジュニア・オリジナル・コンサート(JOC)と言うエリートコースに進むことになった。
 そのころは、毎週日曜日の朝、子供が、エレクトーンや、ピアノ、アンサンブルでコンサートをしている番組があったと思うが覚えておいでだろうか。そのクラスに推薦されたと言うわけだ。
 しかし、うちは習い事にそんなに金をかけられる程裕福ではなく、まして、音楽で身を立てようなんてこれっぽっちも思ってなかったわけで、ワンレッスン8000円×月4回。とても無理。
 確かに、講義内容は格段に専門的になってくる。アレンジ、アドリブ、作曲、コード、和声などだ。
 中学一年になった私は、何回かその授業を受けた。ステージにも立った。いわゆる、ヤマハのエリートクラスな訳だ。
 しかし、私にこの音楽教育が必要なのだろうか。この金額を親に負担してもらって、この先私は音楽家になるのだろうか。それ以前に、音楽家とは何ぞや、演奏者なのか、作曲家なのか、指揮者なのか、声楽家なのか、はたまた、それをすべてひっくるめたものが音楽家なのか。そして、それで金を稼げるのか?生活が出来るのか?悩んだことが今でも思い浮かぶ。音楽と言う、物質ではないものを作り上げて、それでお金がもらえる、そういう感覚が全く無かった。

 仕事と言うのは、第一次産業的に、農家で作物を作るとか、漁に出て、魚を採ってくるとか、山に行って、木を切ってくるとか、第二次産業的に、家を作るとか、ダムを作るとか、(ここら辺は、社会科が苦手だったので区別がつかないのだが)、何か、物を作って、それを売って、お金を稼ぐか、売るために営業をするとか、あとは、警察官になって地域を守ったり、自衛隊に入って国を守ったり、お役所で市民サービスなどをすることでお金を稼ぐもの、と言う固定概念が私にはあったのだ。

 音楽と言うなんだかふわふわしたもので、お金を稼ぐ、と言う考えは、まるで無かった。絵画は一応物質であるから、売り買いは出来るだろう。彫刻だって物質だ。でも音楽は物質じゃない。そんなもので金を稼げるなんて思えない。
 そんな理由で、私はエリートコースからドロップアウトしたわけだ。

 ただ、音楽は楽しいことは知っている。だから、その頃目覚めたロック(特にディープ・パープルのジョン・ロード、EL&Pのキース・エマーソン、ゴダイゴのミッキー吉野)に影響され、中学生でバンドを始めた。といっても、今ほど情報も無ければ、楽器も高価。ドラムなんてなかなか買えない。バンドメンバーも色とりどりだった。
 甲斐バンドの曲やんなきゃ俺ギター弾かない、とか、アリスをやるならやってもいいとか、結局いろんな曲を披露することになったバンドは、卒業式とともに解散した。私のパートは当然キーボードであった。
 今の中学生のバンドなんかよりよっぽど程度の低い、聴くのもバカバカしいようなバンドだった。
 しかし、私は、バンド、と言う音楽の道を見つけたのだ。しかし、それは金を稼ぐためのバンドではなく、観客を喜ばせるために演奏するバンド、と言うことである。音楽のベクトルはバラバラだった。しかし、お世辞でも笑顔で拍手してくれるクラスメイトを見て、音楽の楽しみを知ったのである。

 実は、その前に私は母親とある映画を観に行ったのだ。母親は何かの会に入っていて、映画の券が月に何枚かもらえる労音か音協とかそんな団体だったと思うが、母親といった映画がこの映画である↓。
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 当時、中学生の自分にはハードロックのキーボード、JOCのエレクトーン、フォークソング、ニューミュージック、そのくらいの知識しかなかった私に、強烈に黒人音楽を(メンバーはドラム以外は白人だが)潜在意識に叩き込んだ映画だった。
 初めて聴くR&B、R&S、Funk、Blues、Motown、Gospel、当時そんな音楽を誰が教えてくれただろうか…。日本にさえあまりなじみの無い映画だったはずだ。
 今の映画のように、制作費何億ドル、全米ヒットチャート塗り替え、なんてCMもTVでは宣伝していなかった映画だ。
 しかし、私はこの映画で、自分のやりたい音楽を見つけてしまったのである。と言うより、私の音楽の原点を作り出した映画である。

 ストーリーは単純。バンドのリーダーでVoのジェイク・ブルース(ジョン・ベルーシ)が盗みを働いて刑務所から出獄するところから始まる。
 迎えに来たのは、同じ孤児院で兄弟の契りを交わしたエルウッド・ブルース(ダン・エイクロイド)。
 出所したら、孤児院のマザー、ペンギンに会う約束をしていた二人。マザーの部屋に呼ばれて、言われたのは、孤児院の固定資産税、5000ドルが払えないために、孤児院がなくなってしまう、と言う話。
 その話にジェイクは「5000ぽっち軽いぜ、エルウッド行くぞ」と席を立とうとする二人。それを拒否するマザー、ペンギン。
 あなたたちが盗んだお金は受け取れません。ジェイクはじゃぁ勝手にしろ、と吐き捨て出て行く。
 そのとき出会うのがその孤児院で働く用務員、カーティス(キャブ・キャロウェイ)。酒を飲み交わしながら、まずは教会で洗礼を受けて来いと言われるジェイク。そのとき飲み交わした酒がこいつ↓である。
宿酔いBlues

 バーボンと一緒にされることが多いが、実はテネシーウィスキーと言うジャンルに入り、サトウカエデの炭で濾過された呑み易いウィスキーであろう。昔は高価だったが、今は2000円以下で手に入る。昔、スナックなどでボトルキープなどしようものなら1万円は下らなかったウィスキーである。今でも6000円くらいはするかな。

 そして協会に行くと、牧師はあのジェームス・ブラウンである。そしてバックのゴスペルクワイヤには、まだ売り出し前のチャカ・カーンの若き姿も見ることが出来る。この説教によって、バンドで金を稼ごうと二人は心に誓う。

 そして、エルウッドが暮らす安ホテルでひと寝入り(この前にもアクシデントはあるのだが)。このときエルウッドの呑んでいたバーボンが、ラベルが見えないため良くわからないのだが、バーボンタウン・クラブのブラックラベルだと思われる。丸瓶の黒いラベルで白文字と言うのがこれくらいしか見当たらない。もしかしたら、バーボンではなく、カナディアン・クラブの黒ラベル(カナディアン・ウィスキー)かもしれないが、資料が無いため不明。日本に入っていない安酒の可能性もあるため想像である。
宿酔いBlues 宿酔いBlues

 翌朝、またのアクシデントもかいくぐり、以前のメンバーを集め、プロデューサーに、会場の手配を頼む。
 そして、当日ライブは超満員。しかし、またもやアクシデントで肝心の二人がまだ着いていない。そこで、カーティスが前座で一曲披露している間に、何とか間に合いステージで熱唱。

 途中の様々なアクシデントの被害者や警官が会場内外を取り囲み外に出られない。
 バックヤードに戻ると、東部一大きなレコード会社が契約をしたい、と申し込み、手付け料として1万ドルを渡す。
 そこで、二人は孤児院の固定資産税5000ドルだけ受け取り、残りは楽器屋(レイチャールズの店)とバンドメンバーに渡してくれ、と伝え、配線用通路から会場を抜け出し、車でシカゴの納税局へ。
 そして、何とか固定資産税を払い終わったところで、警察に逮捕され、バンドメンバーもろとも刑務所へ。

 ま、簡単な話が、自分の育った孤児院が固定資産税が払えなくなったから、バンドで稼いで、税金を払いに行こう、と言う至極単純な話なのだが、その間に起こるアクシデントの数々がすごいのである。

 この映画は、ミュージシャンのプロダクションの違いや、契約問題でビデオ化するまでに相当の時間が(10年以上)かかっている。

 その間、TVで二度ほど放映されたが、カット部分が多すぎて、話がまとまりきれていない。ちなみに一回目の声優は、せんだみつお、と小野やすし。二回目は、バブルガム・ブラザースがやったが、映画本体がカットでガタガタだったので、お話にならない。

 今は、ビデオ、レーザーディスク、DVDで持っている。昔の私の元気の元はこの映画だったのだ。
 鬱の時は一度も観なかった。存在すら忘れていたといってもいい。
 その間には、主役である、ジョン・ベルーシはアルコールとドラッグで死亡。カーティス役のキャブ・キャロウェイも亡くなった。ジェイク・ブルースを追っていた保護監察官役のジョン・キャンディ(クール・ランニングでボブスレーのコーチ役をやっていたおデブさん)、レイ・チャールズ、ジェームス・ブラウンまで死んでしまった。
 しかし、今この映画を観ても、私は元気付けられるようになった。鬱の絡んだ糸から脱出しようとしているのかもしれない。今はこの映画を観ると元気が出てくる。

 俺の生き方は他の奴らがなんと言おうと、ストレートにただ税金を払うために突っ走ったジェイク・ブルースのように、シンプルに、ストレートに、音楽と仕事をやって死んでいこう、そう考えられるようになってきた。まさに原点回帰である。

 皆様にも是非一度は観ていただきたい名作である。
 また、ジョン・ベルーシ死後、新しい相棒を見つけて活躍する「Blues Brothers 2000」が製作され、これもなかなか楽しいエンターテイメント映画となっている。もし、時間とちょっとのお金があったらレンタルで見ていただきたい。
2000のほうの解説がないのは、お酒が出てこないからである。
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