宮崎の会 監督を偲んで | 羽前日記

羽前日記

男も女もすなるブログといふものを、われもしてみむとて、するなり。

帰するところ、わが余生を若者応援団として過ごしたい、そのために老化をなるべく遅らせて、との想いが強い。

「山東サッカー宮崎の会」は、平成4年にインターハイに出場して2回戦まで進んだサッカー部の親の会です。

24年間続いている例会も、佐竹俊明監督が去年急逝して、その黙祷から始まりました。

山形「べにばな国体」の年でした。

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山形新幹線が開業して30日目の7月30日に山形駅頭で壮行式をしてもらって東京へ、そして空路宮崎へ向かったのでした。

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「昨日のことみたいだな」、「でも、今や子ども3人の父親だものなあ」と。

「それにしても、宮崎への応援旅行は楽しかったなあ、夜の宴会が」と。

選手たちが泊まったホテルでは、監督と部長(ボク)が、ツイン・ルームでささやかに、冷蔵庫の中ビンで乾杯をしたのでした。

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高齢の部長はいま、FBで、当時の選手たちと「お友達」になっているのが自慢です。

 宝物のTシャツも身につけて自慢しました。

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いい息子を持った親御さんたち。

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お陰でこうして、毎年集まって楽しめるのです。