【私が“言語化”にこだわる理由】
私は人に情報(知識、ノウハウ、思考、経験、発想・・)を伝える仕事をしています。
伝える手段は、主に「視覚」と「言語」と「体感」です。
その中でも特にこだわっていることが「言語化」です。
こだわっている理由は、視覚や体感をないがしろにしているのではなく、言語化は特に意識をしないと忘れてしまうからです。
言語化は「チャンクダウン」と「チャンクアップ」で創ります。
「チャンク」とは塊のことで、簡単に言うと、
チャンクダウンとは「具体的に~」で説明すること
チャンクアップとは「一言で言えば~」で説明すること
たまにみかける講師で、
「言語化しているようでしていない」
人がいます。
たとえば、
「潜在意識に働きかけるんです」
「脳が活性化するんです」
という説明で終わってしまう人。
説明しているようで具体的には何も言っていないのと同じです。
“潜在意識”とは何のことで、どこにあり、“働きかけ”るとは何なのか・・ということを説明できなければそれは「理論」ではなく「受け売り」でしかありません(私は潜在意識を説明できないので使いません)。
“活性化”とは脳の血流が増えることを言うのか、シナプス結合が進むことを言うのか、細胞が賦活化することを言うのか、それとも全く違うことを指すのか・・。
面倒くさいやつだと思いますか?
でもそれが出来ないというのなら、もしくは面倒くさいというのならその人は教育者になってはいけないと思います。
そういう方と話をしていて気付くのは、
・「なぜ?」を自分にぶつけていないから自分の言葉を深堀や吟味をしていない
・広範な知識を自分に取り込もうとしていないから他の情報や言い回しでの説明が出来ない
方だなあということです。
また、チャンクアップできない人は「一言で言いますと~」と言っておきながら、ものすごく長い言葉で説明をしてしまう人などです。
親切丁寧に言語化をしているようで、聴いている側が疲れたり、ますます疑問が湧いてきてしまった結果、「よくわからない」と言われてしまいます。
逆に、
「ここを、こんなふうにこうこうこうして・・・」
という、自分だけが分かっている説明をする「こうこう講師」も多くいます。
作家の村上春樹氏は、文章を書くことを
「自分の内側に深く潜っていくことだ」と書いています。
自分の内側にある思考と向き合い、積み上げてきた経験や情報と組み合わせて、他人との共通言語に変換して自分の思考を出来る限り分かりやすく届ける作業。
それが言語化です。
仏師が一本の丸太を”彫る”のではなく、中に眠る仏様を”見つける”作業であると表現していますが、言語化はそれに近いものがあります。
自分が表面的に使っている言葉は本当に相手に届いているのか?
それを具体的にすると?
それを一言で言うと?
言語化作業とは楽しくて辛くて孤独でありながらみんなでしていくものなのでしょう。
私の言語化の旅は果てしなく続きます。