前回は
岐阜県中津川市の
苗木城をご紹介しましたが、
今回も同県恵那市の南部に位置する
岩村城をご紹介します。
こちらはJR中央西線の恵那駅です。
JRから乗り換えて明智鉄道線に乗り換えます。
2両編成のディーゼルカーの乗って
城跡がある岩村駅へ出発です。
ディーゼルカー特有の排気ガスの匂い、
エンジン音を響かせながら30分位で岩村駅に到着です。
ちなみに終点の明智駅は、
あの明智光秀の出生の地
と言われる
列車が行った後、自分だけ取り残されような、
時間が止まったような
ローカルムード満点の岩村駅。
ここからは城跡まで歩いて行きます。
駅から城下町だったと思わせるような古い町並みを抜けて
城跡まで向かいます。
途中、岩村の町を見渡せます。
町中を抜けて登城口に到着、
ここからはちょっとした登山コースになります。
岩村城は海抜717mに位置し、
最も高い場所に建てられたお城なんです。
早速登り坂に入り、本丸の手前にある二の丸、
三の丸といった石垣が見えてきます。
いたる所にはっきりとわかる石垣が確認できます。
いよいよ本丸に到着、六段壁の異名を持つ石垣です。
これだけはっきりとしっかりとした石垣を見ると、
どんなお城だったのか想像が尽きません。
さらに登って行きます。
本丸があったと思われる場所に到着です。
駅から約1時間位です。
こんな山中にこんな広い平地があるというのは、
間違いなくここには城があったんだなと思わせます。
岩村城とは付近に霧がよく発生するため
別名霧ヶ城とも呼ばれています。
鎌倉時代の1200年頃に
源頼朝の重臣、加藤景廉の長男の遠山景朝が築き、
子孫に継がれていきました。
一時期は女城主の時代もあった異色の城でもあります。
戦国、安土桃山、江戸時代と城主は変わりながら
居城として存続してましたが、
明治に入ると、廃城令により城は解体されて
石垣のみなったそうです。
城は木造ですから
火事や戦争の空襲により
焼失したなら仕方ありませんが、
本能寺の変の80日前に、
この岩村城に立ち寄ったそうです。
この地に信長が来てたんだと思うと、
約3か月後に
裏切られて死を迎えるなんて
考えて無かったんだろうなとか、
1本列車を見送って
ローカルムード満点の岩村駅のベンチで
のんびりビールでも飲みながら
次の列車を待ちました。
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参加させていただいております
よろしければ
と、おねがいいたします
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