この出来事は記事にする事をためらった。

読んだ方には軽蔑されるだろう。

しかし、CDTの旅で忘れられない、忘れてはならない出来事のひとつである。



歩き初めて約3ヶ月半の9月30日。

コロラド州からニューメキシコ州に入り最初の町「チャマ」で、食糧の買い出しをした時の事だ。


州境の看板。


チャマへ下りるトレイルヘッド


旅は終盤に差しかかっていたが、おれは節約に必死だった。円安が酷くて、この頃は1ドル=145円ぐらいだった。


天気の良い昼下がり、スーパーで次の町まで歩くためのギリギリ食糧を買い、店の外でパッキング(荷作り)をしようとしていた。

そこで買い忘れがある事に気づいた。


買った物を店内に持ち込むとややこしいだろうと思い、買い物袋は店外の目立たない所に置いて再び店内に戻った。


5分ぐらいで買い物を済ませ、さっきの買い物袋を取りに戻った。


しかしそこにはさっき買った食糧の袋は無かった。

(あれ?ここじゃなかったっけ??いやいやそんな訳は無い。たった5分前の事だ。)


辺りを探し回ったが見つからない。

ふと駐車場へ目を向けると3人組のホームレスの方たちがダベっていた。

なぜかたまにこっちを見ている。


その様子を見て、おれは思った。


(絶対こいつらだ。こいつら俺の大事な食糧を盗んだに違いない。)


おれはすぐに彼らに歩み寄り、食糧が無くなったんだが知らないかと訪ねた。

歩き旅の最中でとても大事な食糧であることも伝えた。

メキシコ系アメリカ人のようだ。独特なイントネーションで何を喋ってっいるのか良く聞きとれなかった。

とにかく知らないの一点張りで、そそくさとどっかへ行ってしまった。


おれは何としてでも食糧を取り返したい一心で彼らをつけた。

すると彼らは潰れたガソリンスタンドの敷地に入って行った。

隣の建物の影からこっそり様子を観察していると、各自バッグから食糧を出してまたダベりだした。

(よし。おれの食糧が出てきたら、すぐに突撃してやろう!)


しかし張り込む事10分、20分、待てど暮らせどおれのらしき食糧は出てこない。


(ダメだ、そろそろこの町を離れてトレイルに戻らないといけない。もう待ってられん!)


と思い、食糧の奪還はなかば諦めながら彼らの所へ向かった。そして

「あれからいろいろ探しけど、食糧は見つからないよ。あーあ、残念だ」

と、俺は嫌みたらしく言い放った。

そして失った食糧を買い直すべくスーパーに戻った。


店員さんが外で商品を運んでいたので、さっきの出来事を話した。


すると、、、


店員「あれ君のだったんだね。良かった。きっと誰かの忘れ物だろうと思ってサービスカウンターに預けたよ」




なんて事だ。やってしまった。



急いでサービスカウンターへ行き食糧を受け取り、潰れたガソリンスタンドへ戻った。

ホームレスの方たちはまだいた!


食糧が見つかった事を話し、疑ってしまった事を拙い英語で必死に謝罪した。


それに対して彼らは


「おお、良かったじゃないか。では、引き続き旅を楽しんでくれよ。」

笑顔でそう言っただけだった。


もし自分が逆の立場だったらどうしただろう。ふざけるなだろう。

怒鳴りあげていただろう。

七日尋ねて人を疑えとはこの事だ。


これまでお遍路、日本横断、PCTCDTの旅でたくさんの親切に触れ、助けられてきたじゃないか。

おれは何を学んだんだ!何をやってるんだ!


とぼとぼと歩きながら、トレイルヘッド(登山口)に戻るために町はずれでヒッチハイクをしていると日本車が止まってくれた。


これまたメキシコ系アメリカ人の方だった。


日本の事が好きとの事で、トレイルヘッドまでの車内ではいろいろな話しをしてくれた。

そして別れ際には

「大変な旅でしょうけど、必ず目標を達成してね。」

と応援していただき、20ドルもお小遣いまでいただいた。


優しさに触れ、ますます自分の弱さを痛感し、情けなくてやるせない気持ちでいっぱいだった。