昔は登山が一つの文化のように考えられていました ブームというよりは何か信仰のような感じさえありました まさに若者の聖域みたいな感じですね 誰もかれも登山登山で休日になると山にでかけたものです アウトドアという言葉もなく他に娯楽もなかったのですね
谷川岳という山があります 世界に例がないほど遭難者が多い山といわれています 東京から故郷に帰るのに上越線に乗りますと 若者が車両内にぎっしりすし詰めに立っています 大きなリュックをもってきてそれにに腰をかけることもできないほどの数の登山の乗客です こんな感じで土曜日まで働いて寝ないで山まで行って興奮して疲労した体を休めることもなく危険な登山をするわけです 遭難が多いのも無理もないと思いますね
それでも なんだか山で遭難すると清らかな人生だった。。。みたいなイメージをもってしまいます そんなものにあこがれるような風潮さえありました 山で救助隊を頼むと家をうらなければならないほどお金がかかるのも有名なことでしたが若者はやめようとしない 家族は心配したものでした 登山の途中 遭難者や遺体を荼毘にするのを見てしまったという話を聞いたものです
大学のサイクリング部の初代の写真を見るとボーイスカウトのような恰好を皆しています ワンゲルから独立したとのことで 山のクラブから多くのサイクリング部が派生していったようです
1年の時に先輩に連れられて神田の好日山荘で 装備を買ったのを覚えています キャンプ用品は登山用のものを使います スプーンのことをブキというように教えられましたが 何語だったのでしょうか 未だに謎ではあります
私は山には全く興味がありませんでした 上越線で帰郷するたびに登山客に席をうばわれていた反感もあったのかもしれません
中野の原さんはかなり山の方もやっておられたようでしたが どことなく精悍な感じでちょっと近づきがたい雰囲気がありました
実はこのちょっと危険な魅力というのが大きな悲劇を生んでいたように思います