オウム真理教が、起こした地下鉄サリン事件から、今日で、20年が経ちました。
当時、私は、フジテレビ、午後3時の「タイム3」と云う番組でリポーターをして居ました。
1989年11月 坂本弁護士一家殺害事件
1994年 6月 松本サリン事件
1995年 2月 公証役場事務長 假谷さん拉致事件
1995年 3月 地下鉄サリン事件
これらが、オウム真理教が、起こした主な事件で有る。
これらの事件を思い出すたびに、残念だと思うのは、取材に動いて居た、我々でも、犯人は、絶対にオウムだと、直感で感じたのに、肝心な警察が及び腰で、もたもたして居るうちに、次から次へ、事件が起きてしまった事です。
警察の失態は、あまりに酷いものでした。
そもそも、最初に坂本弁護士一家が、失踪した?と、大騒ぎになった時点で、誰もが、オウムを疑ったし、現場である、坂本家の部屋の中に、襲われた形跡が、有った上に、オウム信者が、部屋に入ったと思われる証拠とも言える、プルシャと呼ばれる、オウム信者が持つ、バッジが、落ちて居たのである。
あの段階で、オウムの施設を、家宅捜索すべきだったのに、行われませんでした。
更に、松本サリン事件が起き、山梨県上九一色村のオウム施設周辺から、サリンの残留物が、発見されても、それでも、すぐに、強制捜査に入らなかったから、あの地下鉄サリン事件を防げず、たくさんの被害者を出してしまったのです。
今更、強制捜査は、考えて居たが、大量のサリンをまかれたら、危険なので、躊躇してしまった!(警察庁)なんて、言われても、納得できるものでは無い。
だれが、どう考えたって、インチキ宗教じゃないですか。
麻原の、空中浮遊なんて、子供が見たって、インチキだと、わかりますよ。
それが証拠に、麻原は、たったの一度も、人前で、空中浮遊を、見せた事は、有りません。
インチキの、合成写真は作れても、人の前で、浮くなんて、出来る訳が無いのです。
私が、初めて、麻原彰晃を、見たのは、河田町時代の、フジテレビの駐車場でした。
目が見えないはずなのに、自分で車の間を、ぶつからずに歩いて居ました。
それを見ただけで、「あっ、こいつ、やっぱり、インチキだ」と思ったものですよ。
初めて上九一色村の、サティアンに、取材に訪れた時の驚きは、今でも覚えて居ます。
夜に着いたため、不気味で、怖くて、1人では、外を歩けませんでした。
映画「マッドマックス」に出て来た砂漠の中のコンビナートみたいに、この世のものとは、思えなかった。
あちこちに、小さな掘立小屋風の、監視BOXが、有り、いかにも中で、悪いことをしてるのが丸出しで、
あの中の第7サティアンで、サリンを作る準備をして居た訳だし、とっくに、警察は、中を調べるべきだった
し、そうして居れば、松本サリン事件も、地下鉄サリン事件も、防ぐことが、出来たはずなんですよ。
それなのに、当時の警察の失態の責任を、誰もとって居ないのは、全く、許せませんよ。
それと、私が忘れられないのは、麻原が逮捕されたXディの1か月半くらい前の事です。
麻原逮捕のXディに備えて、各テレビ局は、1か月前位から、一斉に上九で、張り込み体制に入ったので
すが、実は、フジテレビだけは、2か月前から、張り込みに入って居ました。
ワイドショー班と、、報道班が、協力して、麻原の居る、第6サティアンの、正面側と、裏山側を、24時間体
制での張り込みです。
丁度、私が、裏山側を張る順番で、朝方になりかかった、AM4時頃の事です。
サティアンの方から、こちら、山に向かって風が吹いた時です。
かつて、嗅いだ事が無い様な、獣の死臭の様な、強烈な臭いが、プーンと、して来たのです。
リポーターの私と、Dと、カメラマンと、VEの4人で、「うわぁ、臭い、何だ、この臭いは」
と、話し、私が、「もしかしたら、強制捜査の前に、中で殺された信者らの、遺体を、証拠隠滅のため、
一斉に、燃やすなど、処分を、始めたのでは?」と、言い、東京のデスクと、地元の警察に、連絡を、入れ
たのですが、「臭いだけじゃなぁ~」と、取り合ってくれませんでした。
間違いなく、何人もの、人の体が、腐った様な、もの凄い匂いだったのですが、結局、原因は、判らずじま
いに、なってしまいました。
あれは、一体、何の匂いだったのか、思い出すたびに、気になってしまいます。
今は、「アレフ」と、「光の輪」に、別れて活動をしている、オウム信者たちですが、実は、両方とも、麻原
が、獄中から指示を出して、それに従って活動して居るらしいです。
最近では、それぞれ、資産も貯まって来て居る様なのですが、それを、サリン被害者の為に、出す事は、
せず、また、被害者への、賠償金の支払いも、滞って居ると、聞きます。
やはり、破壊活動防止法により、解散させておくべきだったのでは、ないでしょうか?