<ちょっと小難しい話ですが、情報を理解するためには大切なコト。それを自身の治療選択において考慮するかどうかは本人次第です、もちろん。>
①\10,000投資したら、一年後に95%の確率で\10,010になります。
②\10,000投資したら、一年後に95%の確率で\11,000になります。
①、②のどちらとも、
投資によって、一か月後には儲かる可能性がある、
と言って ”間違いではありません”。
ここで、(恣意的に)強調されていることは、
儲かる可能性があるということだけで、
どれくらい儲かるかは問うていません。
① を 選びますか? (笑)
金持ちは選ぶか・・・
論文、もちろんその論文を受けての報道でも、明らかになった現象は「統計学的有意」を前提としています。
細かい説明はばっさりはしょって・・・
(統計学の専門家からはお叱りを受けるでしょうが、話を単純化します)
統計学的有意
⇒ 統計学的に意味があるか? (有意⇒ 意味が有る)
⇒ 事象の確からしさ
⇒ 大体、100回に95回起こる現象 (95%)
医学、生物学の統計的有意水準はほぼ5%に設定され、統計学的評価(検定)が実施されます。
その結果、有意であれば(はずれる確率が5%未満であれば)、それが起る可能性があるとされます。
もうちょっと正確に言うと、立てた仮説が採択されます。
そうすると・・・以下のように報道されます。
△△はがんの増殖を抑制!
すると・・・△△を大人買いして、朝も、昼も、夜も・・・・ということになってしまうかもしれません。
大人買いする前に少し考えたほうがいいかな~ということがあります。
以前は、「統計的有意」さえ認められれば金科玉条の如く扱われてました。それに対し、10年ほど前の抗がん剤治療などは(実効値が僅かでも効果があるとされた事に対し)統計的手続きを含めて「現実的ではない」「実効値はほとんどない」などの批判を受けることも多々ありました。
ところが最近は、上記の統計的有意性に加え、
効果量 effect size が問題とされるようになってきました。
もちろん、効果量の前には統計的有意性があることが前提ですが・・・。
冒頭の例で言えば、投資額に対するリターンの額と言えます。 効果量:①<②
つまり、期待できるものがあったとして、
それがどれほどか?
を明示する必要があるということです。
代替医療的なものも含めた治療選択において、
本来ならば、効果量も検討できるのが望ましいのですが・・・・。
明示されれば、ある方法とそれと対立する方法のどちらかを選択する時、どっちがより期待出来るかを合理的に比較参照することができます。
(ちなみにある集団の介入前後の平均値と標準偏差があれば効果量は事後的に計算可能です)
でも、効果量を出せないものがほとんどです。
つまり、多少の研究デザインが不備であっても、それすら実行しようとしないモノがはびこっているのですね・・・
それを”やろう!”とすればいくらでもやれるのに、やらないのは・・・(以下、自粛)。