報国寺のあとに
急遽、お伺いいたしました。

初めての参拝です。

広さに驚きました。

観光客はほとんどいませんでした。


前記事のコメントに嵐雪さんが
分かりやすく例えてくださいました。

~博物館の展示物が「建長寺」なら、

館内の喫茶店は「報国寺」~

(^o^)/


建長寺(けんちょうじ)は、神奈川県鎌倉市山ノ内にある禅宗の寺院で、臨済宗建長寺派の大本山。山号巨福山(こふくさん)と称し、寺号は正式には建長興国禅寺(けんちょうこうこくぜんじ)と称する。

開基(創立者)は鎌倉幕府第5代執権北条時頼開山(初代住職)は南宋禅僧蘭渓道隆

建長寺が所在する山ノ内は、幕府のある鎌倉の中心部からは山一つ隔てた所に位置し、鎌倉の北の出入口の護りに当たる要衝の地であって、北条氏の本拠地でもあった。建長寺の境内が広がる谷(鎌倉では「やつ」と読む)は、元は「地獄ヶ谷」と呼ばれる処刑場で、地蔵菩薩を本尊とする伽羅陀山心平寺という寺が建っていた。建長寺の本尊が禅宗寺院の本尊として一般的な釈迦如来ではなく地蔵菩薩であるのは、こうした因縁によるものである。
~ウィキペディアより抜粋~





午後のお勤めでしょうか、
読経と鐘の音が境内に響いてきました。


梵鐘




そばで見るとかなりの存在感。


仏殿

彩色も剥落しており、傷みも激しい様子

御本尊の地蔵菩薩坐像。

誰も居なかったので
失礼して、声をだして祝詞を奏上させて
頂きました。

気持ちよく唱えられました。
ありがとうございました。
<(_ _)>


仏殿を出ると
蝶がふたつ 蝶々。
つかず離れずで
ヒラヒラと舞うように翔んでいました。
2つの黒い点は揚羽蝶でした。

谷全体が境内になっている建長寺の鎮守
半僧坊へはこの道をずっと行くらしい
です。(向かって右側へ)

ちょうど、娘たちはこのお盆休みには大山へ登り
そのあとには、偶然にも天園ハイキングコースを予定しておりました。
送ってもらった画像に
(半僧坊へ上る石段の途中には)
天狗の像がありました。

どちらも無事に帰ってこれて
ほっとしておりました。

天狗様には、お世話になり
ありがとうございます。


方丈

椅子に座ってしばし休憩
暑い暑い🥵
汗をふきふきしながら
鳥をおっておりました。

この後、再び忘れ物を探して
報国寺へ参りましたチュー



無学祖元禅師は円覚寺と建長寺
を兼住されていたのですね。

元寇の頃、国の一大事に執権北条時宗に
「莫煩悩」と書を与えたり
「驀直去」つまり「前へ向かい、回顧するなかれ」と言う意味の言葉も時宗に伝え、
精神的な支えになっていたとか。

ウィキペディアをざっと読むだけでも
大変な時代だったのだと
感じることができます。

長く続いた平安時代のあとに
武士の台頭によって
変化していった、いや軌道修正されて
いった時代。

今、この時代、世界もまた
軌道修正されている真っ只中なのですね。

そして、教えて頂いたように
それをどう担うかは地上社会、人間の責任
なのだと。

ありがとうございました。