初めての参詣です。

山門です。

頂いたリーフレットに

この寺は藤原家の北家にあたる日野家の
菩提寺で822年、藤原家宗が慈覚大師円仁より
贈られた伝教大師最澄自刻の薬師如来の小像を
お祀りし
その後1051年、日野資業が
薬師如来像を造り、その小像を胎内に収め
薬師堂を建立して寺とした。
一般には日野薬師、乳薬師として知られる。

と、ありました。


阿弥陀堂です。

寺務所のインターフォンを押すと
住職さんが出てこられました。
拝観料をお支払して
阿弥陀堂へ案内して頂きました。

阿弥陀如来座像を目の前にして正座。

住職さんの説明が始まりました。

暗記したセリフを間違わずに言い終えよう
としているのか多少早口の棒読み状態。
(^o^;)(^_^)v
御苦労様です。

次の拝観者が来られたので、立ち上がり
お堂内をぐるりと回りました。

隅っこに
古い真っ黒な御仏壇があり、中には御位牌
が並べられていました。

住職さんに
日野家の廟所はどこですかって尋ねると
よくわからないとおっしゃるのです。


もう一度阿弥陀如来座像の前に座り
手を合わせましたが

どうも集中できないし、そわそわしてあせる
落ち着かない。

仕方なく外へでました。


阿弥陀堂 正面ですね。

薬師堂です。
もとは伝燈寺(奈良県龍田)の本堂でしたが
明治時代にこちらへ移築されたようです。


画像はお借りしました。

内陣厨子の中に安置されている秘仏
薬師如来の像高は88.8㎝、桜の木による寄木(よせぎ)造り。
手先の美しさとともに、薬師如来の衣には金箔を細く切って貼り付ける「截金(きりかね)」
技法によって細かな紋様が施されています。

胎内に伝教大師、最澄作と伝える胎内仏が
収められているようです。

本尊両側の厨子には、薬師如来を守護する「十二神将像」(鎌倉時代)が収められているようです。






阿弥陀堂の裏

阿弥陀堂の裏手の小高い所へ足を踏み入れると
石碑の近くに🍒のような赤い実。

赤い実のすぐ左手下にある
江戸時代建立の宝篋印塔


最後に
この辺りで祝詞を奏上しました。


小鳥たちのさえずりが、あちこちで聞こえて
木々を飛び渡ります。

急にさわがしい。

カラス?たちも飛び立って。。


蓮池

先にこちらで祝詞を奏上しました。

風が水面を吹き抜けて、枯れた葉っぱが
カサカサと揺れました。


弁天堂
女神様がいらっしゃるかな?と
感じました。



帰宅して調べると
日野御廟所は日野誕生院のすぐ近くに
あるようです。
バスの時間もあり
見つけることはできませんでした。

本当に迷走っていう言葉がぴったりです。
( ´-ω-)

仏教も仏像も詳しくは知りません。
京都へ、また東福寺へ行かなかったら
訪れなかったと思います。

今回、参詣させて頂き
親鸞さまが地上で生きていた姿を
ほんの少しだけ垣間見ることができました。

9歳での得度式に詠まれた歌が
ありましたが、
大人びた歌ですね。
もうすでに、すっかり完成された心根をもち、
新しい人生に向かわれたように思えました。
その後も一途に90歳まで。

親鸞様は上仏界にいらっしゃって
坊さんはやってないと
教えて頂きました。


幼い子供を残して逝ってしまわれた
母、吉光女のことも知ることができました。
その出自はともかくも。




実は、うまく書けそうになかったので
記事はアップしないつもりだったのですが、

その後、白幡神社へお参りした後
背中を押された気がしましてあせる
(;´_ゝ`)
思い過ごしかもしれませんが、、、



令安大神界の神神様の
益々の御繁栄と御活躍を心より
お祈り申し上げます。
m(_ _)m

ありがとうございました。