昔の大映ドラマと言えば、説明口調のセリフが多くて、くさいのが特徴。そんなこと言う奴いないでしょ、というようなセリフが連発されます。そこまで極端でないにしても、基本的にドラマの脚本はセリフが主体なので、言葉が縦横に入り乱れることになります。手紙に書かれた文章、頭の中で考えていることなど通常は声にならない言葉も、ドラマになるとセリフとして音声化されます。

 

 

日常の生活では、何も話さずにいる時間の方が圧倒的に長いでしょう。あるいは会話にならない会話であったり、何言っているか聞き取れなかったり、聞こえたとしても何が言いたいのか分からないような支離滅裂な発言も多々あります。私のムスコの発言も、その多くは何を言っているのかはすぐには分かりません。そんな時は聞き直すか、さもなければ聞き流すことになるでしょう。

 

 

SNSの発言の多くも、本来はそのようなものではないでしょうか。単なる思いつきや独りよがりの独断。熟考した結果ではなく、反射的に頭にひらめいたもの、どうでもいいようなコメントが、いかにも立派な意見であるかのように取り上げられることがあるのには違和感を覚えます。たまたまそのようなコメントをする人がいただけなのに、あたかも世の中の意見を代表しているかのように扱われることはおかしいと思います。

 

 

特にテレビの生中継の時に、SNSのコメントが画面下などに流されるのが鬱陶しいです。ニコニコ動画ならばそれがウリなのでいいでしょうが、天下のNHKですらそんなことをしているのは、見ていて恥ずかしいです。視聴者とのリアルタイムのコミュニケーションというのは、ある意味重要です。でも、最近のテレビはSNSに頼りすぎな気もします。(ネットの世界の方もテレビをネタにすることが多いですが・・・)

 

 

ツイッターのコメントの多くは、思いついたことを軽い気持ちで書いただけのもの。ハガキ職人といわれるような人が手間暇かけて手書きで書いたものとは、密度や温度が異なります。選ぶ方の本気度もハガキとツイッターとでは異なるでしょう。

 

 

いまやテレビやラジオでハガキ、手紙でしか投稿を受け付けていないのは、私が知っている範囲では「今夜も生でさだまさし」と「山下達郎 Sunday Songbook」の二つぐらいです。そのサンソンも、リモート録音になったため、メールでの投稿を受け付けるようになりました。当然ながら投稿数が一挙に増えて、それらを読むだけで2日がかりだそうです。

 

 

手軽なことはいいのでしょうが、軽はずみな発言は慎まなければいけません。言わなければ伝わらないことは多いですが、だからといって言いたいことをよく考えもせずに口にするのは、大人として恥ずかしいことです。頭の中の考えをこのようにブログで公開することも、よく考えると怖いことだったりします。口は災いのもと。言わぬが仏。自戒の念を込めて、そのように思います。