戦後の登山ブームは社会人を中心にした「山岳会」と大学などの「山岳部」がブームをけん引したそうです。谷川岳は人気の山で、当時の写真などを見ると、上越線の土合駅を降りた登山者の行列の長いこと・・・

 そして、ロープウェーが出来て、天神平まで一気に登れるようになると、初級者でも山頂にいけるようになりました。

 ひと昔前までは谷川岳と聞いただけで「魔の山」という代名詞がついたくらいです。その殆どは岩登り、クライマーの遭難事故です。

 資料では1931年~2020年までで818名が遭難死し、6名が行方不明だとか・・ありがたくないギネス認定の世界一です。

 

 

 土合から田尻尾根や西黒尾根、巌剛新道で頂上を目指すのは、若くて元気の頃のこと。

 今は当然、ロープウェーです。ありがたやありがたや。

 

 

 谷川岳で憧れたのは、谷川岳をめぐる山々を一周する縦走路を歩くことです。

 名付けて「馬蹄形縦走路です。
 

 

 土合→谷川岳→一ノ倉岳→武能岳→蓬峠→七ツ小屋山→清水峠→ジャンクション・ピーク→朝日岳→笠ヶ岳→白毛門→土合の周回コースです。

 

 まずは谷川岳へ。

 

 

 なんでこの階段になったとたんにバテるのでしょう。

 でも寺院などの階段よりもずっといいんですけど・・。

 

 

 オキの耳1977メートルとトマの耳1963メートルの双耳峰です。

 

 

 この上信越というか、上越国境の西には「平標山(たいらっぴょう)」があります。

 隣は有名な「苗場山」です。 

 

 

 松手山という山までひたすらの急登、途中にある大きな鉄塔が目標です。この鉄塔、登山道にある鉄塔としては有名かも。

 

 

 

 

 

 登って2時間あまりで・・やっと松手山に到着。

 

 

 ここからは平標山まではこんな尾根道になって、写真でみると快適そう。

 

 

  登りつめた山頂には3時間半くらいです。

 平日だとあまり人とも会わずに一人で静かな山歩きができます。

 

 

 ここから、縦走路を東に向かい、取りあえず、ここらあたりで一番高い、仙ノ倉山までは行きたいものです。

 

 

 ちょっと下って、こんな広い尾根を歩きます。

 今回は快晴で歩きやすかったですが、一度ガスと小雨の時は50メートルくらいしか見えず、いったいどこにいたのやら・・でした。
 

 

 気分がいいと鼻歌ではなくて、大きな声で歌ってしまいます。前にも後にも殆ど誰もいません。 そしてなだらかな道の先に頂上があります。

 主峰の谷川岳より50メートルくらい高い2026メートルです。

 

 

 湯檜曾川を挟んで谷川岳の反対です。

 白毛門と笠ヶ岳です。

 

 

 朝陽がさすとこんな景色も見られます。

 

 

 上越国境、豪雪地帯です。

 登山道の木も逞しく生きています。
 

 

 対岸の谷川岳、一ノ倉沢、幽の沢、マチガ沢・・・

 壮絶な沢、上にはいつもガスがかかっているようです。

 

 

 途中の松ノ木沢の頭からの「ジジ岩」ト「ババ岩」です。


 

 

 とにかく強烈な急登が続きます。ササにつかまりながら登ります。

 

 

 ちょっとしたクサリ場もありますが、なんとか白毛門に到着できました。

 

 

 

 

 ここから先は上信越国境の稜線歩きです。

 笠ヶ岳を目指します。

 

 

 ここらの縦走路にある「カマボコ型の避難小屋」 雷よけ。
 

 

 なんとか笠ヶ岳につきました。

 馬蹄形縦走路では、この先に朝日岳があります。

 

 

 

 帰りに一ノ倉沢などの谷川岳の東壁がバッチリ見えました。

 中央が多くの遭難者、犠牲者を出した一ノ倉沢です。

 

 

 谷川岳の北西に伸びる道には、一ノ倉岳、茂倉岳があります。

  自分のむ体力以上だったコースでした。

  矢場の頭から茂倉岳、 武能岳、蓬峠コース

 

 

 土樽駅ちかくに車を停めてスタート。

 3時間かけて1000メートル登り、まずは「矢場の頭」へ

 

 

 展望のよい矢場の頭までは「試練の登山」です。

 

 

 ここからは展望もよいので、体力はこの先が不安ですが、気分は・・天気次第。

 

 

  ここから茂倉岳まての2時間が勝負です。

 

 

 

 

  茂倉岳避難小屋が見えてくれば、頂上はすぐです。

 

 山頂から一ノ倉岳、谷川岳方面です。

 

 

 午後になってガスが上ってきました。

 ここから武能岳、蓬峠を経て駐車場まで・・陽のある内に着けるか・・・心配になってきます。

 これから先は残雪もかなりありそうです。

 

 

 

 

 なんとかやっと蓬峠に到着、ますます霧も濃くなってきました。

 

 

 そして辺りがうす暗くなったころへとへとになったけど、駐車場に到着しました。

 若い時・・といっても50代ですが・・元気だった。