A wish is becoming one and a sweetfish.

A wish is becoming one and a sweetfish.

創作小説を書いています。

Amebaでブログを始めよう!



土曜日と言うこともあり駅前の人通りは多い。
もうすっかり冷めてしまったコーヒーをすすりながら、目の前の人混みに視線を投げた。

うっすら汗の滲んだ眉間に皺を寄せ、足早に歩いて行くサラリーマンなどはいかにも勤勉な日本人の象徴のようで応援したくなってしまう。
現在の時刻は日も傾いてきた夕方だ。彼らは我が家へ向かっているに違いない。
仕事に向かうわけではないのだから、もう少しゆっくり歩いても良さそうなものを、彼らはまるで当たり前のように家路を急いでいた。
それとは対照的に、短いスカートをひらつかせ歩く女子高生は、進んでいるのか怪しい程のゆっくりとしたスピードで私の前を通りすぎて行く。
しかし携帯を見ながら歩いていたのが悪かったのか、杖をついた老婆にぶつかってしまった。
一見今時の若者は、と年配者に顔をしかめられそうな風貌だが、彼女は直ぐ様老婆に手を貸ししきりに謝っていた。
自分の携帯が落ちたことよりも先に老婆に駆け寄った彼女。見た目こそ派手だが純粋で優しい人間なのだろうと、勝手に想像し温かい気持ちになる。
街行く人々をただ眺めるという行為が、なかなか興味深いということを、私は最近発見したのだ。

土曜日の夕方に、たった一人でカフェに入りひたすら人間観察を楽しむ私は、寂しい人間に見えるだろうか。
そう思われても仕方がない。むしろその通りだ。
そもそも休日というものが苦手なのだ。

私には趣味がない。
連れ立って遊びに行くような友人もいない。否、思い浮かぶ人物が一人だけいるけれど、仕事熱心な彼女は、当然のように休日出勤をしているに違いない。
恋人とは春の始め頃に別れてしまった。
友人も恋人もいないのでは、出掛けようにも出掛けられない。
そんな私に休日がもたらしてくれるものは、ただひたすらに暇な時間。それだけだった。

しかしよく考えると、私がそういう人間であるのは今に始まったことではないはずだ。
では何故今更、休日の過ごし方について行き悩むようになったのか。
いつから悩んでいたのか。
…問いかけておいて何だが、それらの答えは私自身がよく知っている。
時間を持て余すあまりカフェで人間観察を楽しむような寂しい人間になってしまったことの原因は、私が思うに、無趣味であることでも友人が少ないことでも恋人がいないことでもない。
これまでの休日は、そのほとんどを希一と過ごしていた。とくに約束をしていたわけではないが、それが普通だった。
しかし最近はそれがなくなりつつあった。
今年に入ってからというもの希一の様子がおかしいのだ。
避けているとまではいかないが、明らかによそよそしい。
休日を共にすることがなくなったのはもちろん、サークルの飲み会などにも顔を出さなくなった。珍しく顔を見せた先日の花見でも、帰り道に用事があると言い出して私達の家とは反対方向の電車へ乗り込んでしまった。
この生活の変化が、例の休日の悩みに繋がっているのだと思う。
些細なことではあるが、私には重要なことなのだ。

私は恋人と過ごす甘い一時よりも、希一と過ごす何気無い時間が好きだ。
何をするわけでもなく、お互い好きに過ごして、ぽつりぽつりと会話をして、それだけで十分な空間。
そういう時間が、私は大事だった。
まぁ、そうは言っても私とて二十歳だ。自分だけと関わって欲しいなんて、子供じみた独占欲はない。
趣味が出来たのならそれでいいし、新しい友人や恋人が出来たなら、そう話してくれればいい。
ただ、何も言わずに離れていってしまった事が悲しかった。
そして彼が側にいないというだけで深く傷付き思い悩む自分に失望した。


考え出すと止まらない上にネガティブ思考に走りやすい性情故に、あまり深く考えないようにしていたのだが、カフェに一人ぼっちというこの状況でそれは無理な話だったらしい。
夕焼けから藍色に染まりつつある空にハッとして時計を見る。時刻は六時前だった。
物思いに耽っていると、あっという間に時間が経ってしまう。
残りのコーヒーを飲み干し、長居をして申し訳なかったと心中で謝りなが席を立った。
するとたった今、ポケットにしまったばかりの携帯が振動を始めた。
ディスプレイを見て思わず息を飲む。
噂をすれば影がさすとはよく言ったものだ。着信主は、さっきまで私を悩ませていた元凶だった。

出るかどうか迷ったが、振動し続ける携帯をそのままにしておくことは出来なかった。
私は希一に甘いのだ。
思いきって通話ボタンを押し、彼の声を待った。









眠りに落ちている間の十分と起きている時の十分が、全く違うようで同じであることは誰もが知っていることだ。
頭の良くない僕でもそれくらいは分かる。
けれど誰かを待っている間の十分とただ起きているだけの十分が同じだと言うことには、今だに納得できないでいた。
どう考えても長い。
一秒が一分に、一分が十分に感じる。
その待ち人が自分にとって大切であればあるほど、長く思えるのだ。
少女漫画のヒロインにでもなったつもりなのか。
否定したいところだが、胸を張って違うと言えないのが残念だ。
僕が駅前の喫茶店の前で、大切な人がやって来るのを待ちながら、そわそわしていることは確かな事だった。

約束の時刻は六時。
時計の針があと三つ進めばあの人は来るはずだ。
待ち焦がれるとは、こういう気持ちを言うのだとはじめて知った。
今まで恋愛をしてこなかったわけではない。けれど、僕の初恋はこの恋なのだろう。
緊張していることを悟られたら、男のくせに情けない奴だと笑われてしまう。さすがにそれは遠慮したい。

どこまでも少女漫画のヒロイン気取りな僕は、落ち着かない気持ちに耐えられず携帯を取り出した。
少しでも気持ちを落ち着かせようと適当にボタンを弄くってみるが、普段携帯で暇潰しをしたりするタイプではないので何をすれば気が紛れるのかわからなかった。
とりあえず色々なボタンを押しまくる。なんだか楽しくなってきた。
僕は顔をあげて周りを確認しながらポチポチとして遊んだ。
再び顔を上げ辺りを見回す。携帯に視線を戻す。
そんなことを何度か繰り返していると、通話中と表示されたディスプレイが視界に飛び込んできた。
一瞬期待したが、表示されている名前は幼馴染みのものだった。
遊んでいるうちに電話をかけてしまったらしい。
切るわけにも行かないので、とりあえず携帯を耳に寄せた。
「もしもし。」
「…はい。」
「亜柚?」
「うん。」
「…えっと…。」
間違えてかけてしまったんだ、ごめんね。そう言って切るつもりだったのに、言えなかった。
亜柚はもともと無口な女性だけれど、声に元気がない気がした。何か辛い事があったのだろうか。
そう言えば最近話をしていない。だから彼女の近況をあまり知らない。
下手な事を言うのも悪い気がして、
「今何してた?」
と当たり障りないことを聞いてみる。
向こうで彼女が笑った。
「なにそれ。」
「なんで笑うの?」
なにかおかしなことを言っただろうか。
「変なこと聞くなぁって思って。」
「今何してるって変かな。」
「いっちゃんがそんなこと聞くのは珍しいと思うよ。」
くすくす笑いを漏らしながら言う亜柚は、先程とは打って変わって楽しそうだ。
早く切らなければならないことはわかっているのだが、もう少しだけ彼女の声を聞いていたいような気もした。
「…特に用はなかったんだ、だからなんて言ったらいいかわからなくて。」
「ならどうして電話してきたのよ。」
「いや…ちょっと暇だったから…。」
「ふぅん。」
「うん。」
切るタイミングを完全に見失ってしまった。
どうしようかと悩んでいると、亜柚が短く声をあげた。
「どうかした?」
「今、駅前にいる?」
「うん。」
「私も今駅に居てね、路上ライブの歌、同じのが聞こえてきたから。」
「あぁ、たしかに少し聞こえるかも。」
僕が肯定すると、彼女はいつもより数段弾んだ声音ですごい偶然ね、と言った。
さらにもしかしたらすれ違うかも、と付け足す。
たしかに偶然だと思うけれど、僕はその言葉に焦った。
ここで彼女と出くわすわけにはいかない。
「ごめん、切るね。」
「え?」
「これからバイトだからさ。じゃあね、亜柚。」
「あぁ、そう。頑張って。」
暇だからと電話をして、すぐに切る不自然さには我ながら気付いていた。
しかしそんな些細なことを気にしていられる状況ではなかった。

時計の針はすでに六時を過ぎている。
僕は震える手でボタンを押した。
すると背後で甲高いコール音が鳴る。
「…あ。」
振り返った先で、遅れてごめん、と笑うその人は、僕が待ちわびていたひとだった。
「…いえ、全然待ってませんよ。」
「そう?」
自然な動作で僕の頭を撫でる。
「行こうか。」
歩き出す背中を見つめると、幸せすぎて涙が出そうだった。

キイチゴキイチなんて、女の子のようなあだ名でからかわれていた僕は、二十歳になった今も女々しいままだ。
そういう自分のことを、恥ずかしいと思っていた。
亜柚は僕に、もっと強い男になれと言う。勿論僕だって、そうなりたかった。
恋人にさえ上手に甘えることのできない不器用な彼女を、いつも支えてくれる大切な彼女を、守れるような男になるつもりだった。
けれどそれはもう昔のことだ。

最近は、女々しい僕でよかったのではないかとさえ思ってしまう。
大好きなひとが可愛いと言ってくれた、そういう自分を大切にしようと思うのだ。

僕が“同性”しか愛せない男であることを知った時、亜柚はどんな顔をするだろう。
当然驚くだろう。
そして嫌いになるかもしれない。
それで構わないと言えば嘘になるけれど、この恋を諦めることは出来ない。
どう足掻いてもいつかは分かることだった。
お互いが唯一無二の存在である僕らのなかで、隠し通せるはずはないのだ。

彼女がいない世界はきっと、ひどく冷たく哀しいものだろう。
その日を思うと、喉が渇いて張りついたように声がでなくなる。
怖くて、怖くて。
どうしても言い出せなかった。
臆病な僕は、何を選ぶでも捨てるでもなく、ただ逃げ回っているだけだ。

「いっちゃん、」

ガラス扉に映る自分に呼び掛けてみる。
脳内であの優しい声とシンクロする。

そして思い知った。
やはり僕は変わってしまった。
僕はもう、彼女の呼ぶいっちゃんには戻れない。



_