2013年度の前期スピリチュアリズム講座も、


昨日無事に終了しました。


そして明日から早速、


後期のスピリチュアリズム講座(東京・大阪)の抽選販売受付です。


せっかく前期が取れていたので後期も取れないと、


年間通して参加できなくなるので、

念ずるのみです。

昨日の講座も日常に落とし込むということで、


悩みがある人が挙手して当てられていましたが、


自分が見えないものなのか、


ただの勉強不足なのか、


考えない人が多いと思いますし、


「でも・だって」が多いですし、


ちゃんと本読めよって人も多いですし、


新しい人が入る度にいつも足踏みで、


基礎は自学自習するので、


早くもっと深いとこに進みたいなぁと思って聞いていました。


「でも・だって」なんて言い訳・甘えなんて要らないから、


本当に学ぶ熱意があるなら、


最低限書籍くらいは読破しとけよと思います。


そこで「でも・だって」をいうくらいなら、


講座に出る価値は無いと思います。

講座の前提として、


書籍を全て読んだ上で、


それ以上をもっと学ぶために講座があるわけだから、

書籍もろくに読まずに参加するなんて、


僕はその神経が考えられないし、


書籍を全て読んで学ぶ意欲はあるけど抽選に外れて参加できなかったって人にも、


また先生にも失礼だと思います。


もっと講座というものの意義を大切にするべきだと思います。


「でも・だって」を使うと、


結局は堂々巡りをするだけで、


事実を受け入れ、

辛くてもやらなければ解決なんてしないと思います。

相手がなになにしてくれないと言って甘えているうちは、


何も始まらない。

変わるべきは自分であり、


自分が自律し自立することが大切だと思います。
今の世の中、


スピリチュアル・ヒーリングをうたったものをあちこちで見かけますが、


スピリチュアル・ヒーリングとはどういうものなのかを知らずに通う人や、


知らずに看板を掲げているケースがほとんどだと思います。


気孔であるとか自分のエネルギーを消費して相手の病気や怪我を癒すヒーリングというのは、


マグネティック・ヒーリングと言い、

スピリチュアル・ヒーリングとは別物である。


スピリチュアル・ヒーリングというのは、


自分はあくまでも道具であり、


治療を施すのは大霊であるから、


気を与えるマグネティック・ヒーリングとは違い疲れないのであり、


また遠隔ヒーリングが出来るのはスピリチュアル・ヒーリングのみである。


だから、


ヒーリングをしたからと言ってヒーリングを施した側が、


相手の気を受けて具合が悪くなったとか言う人がいたら、


それはスピリチュアル・ヒーリングではないのである。


また、


今の日本において、


医療従事者としての国家資格が無い人が、


ヒーリングという名のもとに相手の体に触れたり、


治すとか治療するといった言葉を使ったり、


持っているとエネルギーが入って来るとか言って物を売ったりしてはいけないのである。

もしそういうヒーラーがいたとしたら、


それは偽物であり騙されてはいけない。


そしてまた、


何かのセミナーを受講して認定証をもらったからといって、


ヒーラーになれるものではありません。


ヒーラーとして使えるかを決めるのは霊界であり、


人間ごときが認定してなるというのは傲慢以外のなにものでもないといえる。


今の時代、


いろんな人がセミナーを開いてヒーラーを養成するとかいって、


認定証を与えたりしてるが、


もしそういうのに通っていたり通おうと思ってる人がいたなら、


そんなのでヒーラーになんかなれやしないという現実を知ったほうが良いでしょう。


ヒーリングの本質は人の病気を治すことにあらずです。


ヒーリングの本質は、


その病気になった意味を自分自身で理解し、


生き方を変えなければいけないなら生き方を変えて、

最終的にはその病気に感謝が出来るくらいなることだと思います。


本当はヒーラーなんていらないのです。


自分自身がヒーラーになり自分自身を癒すことができれば、


結果としてヒーラーなんていらないのです。


スピリチュアル・ヒーリングというのは、


自分自身の現状を受け入れ自分自身を内観し、


そして分析し、


自分の未熟なところに気づき克服することで、


運命により自らに原因があり得た病なら回復することにつながるということで、


逆にいくら優秀なヒーラーの力により回復したところで、


自分自身に魂の気付きがなければ繰り返しますし、


ポイントはヒーラー云々ではなく、

自分自身が気付けるかです。


だからヒーリングで病気を取り去ってあげましょうというヒーラーがいたら、


それは霊界からしたら余計なお世話なのです。


病イコール悪ではなく、


病を得ることにより大切なことに気付けたならば、


有り難いことなのです。


病は天からのメッセージであり、


第三者が取り去ることなど出来ないのです。


病が治るとき、


そこに経験と感動そして気付きがあったときだと言えると思います。


だから、


日本にはヒーラーはいませんし、


認定証を得てなったヒーラーはヒーラーではありません。


ヒーラーといえるのはスピリチュアリズムであり、


そのスピリチュアリズムを指針にして実践することで、


自分にとって自分こそが唯一のヒーラーなのだと思います。
占いとスピリチュアリズムと、


よくごっちゃにされているが、


スピリチュアリズムと占いは全く別物である。


占いでは当たる・当たらないに焦点がいくが、


スピリチュアリズムにおいて占いで、


良いことが当たるというのは、


努力を続けていた結果であり、


悪い事が当たるのは努力を怠っていたということである。


つまり、


運命は決まっているのではなく、


努力によりいかようにも変えられるというのがスピリチュアリズムの視点である。


また血液型占いというのはスピリチュアリズムにおいては、


ナンセンスである。


なぜなら、


性格や本質は肉体によるものではなく、


あくまでも肉体を操っているのは魂であり、


肉体という物質を離れた魂というのはエネルギー体であるから、


あくまでも血液は肉体にある物質であり、


魂には血液は無いから、


魂の個性がすなわち性格であり、


魂の個性が先にあり肉体に宿るわけだから、


血液型は関係無いことになる。


スピリチュアリズムにおいて、


良いことも悪いことも、


自分の蒔いた種以上のことは返ってきません。


自分にとってバチだと思えることは過去に自分が悪しきカルマの種を蒔いていたからであり、


自分にとって嬉しいことは過去に蒔いた良きカルマが返ってきたに過ぎない。


またカルマの法則というのはバチではなく、


自分の過ちを気付かせてくれる愛の法則であり、


自分の過ちに気づき反省して成長できたなら、


それも喜ばしいことで、


本当は人生において不幸は無いと言える。


全ては自己責任であり、


何の努力もなく祈っただけで得られるラッキーなど無いわけで、


仮に何の努力もなく物質的なことでラッキーがあったとしたなら、


必ずその後に来るマイナスを覚悟しなければならない。


要するに棚ぼたで得られるラッキーもなければ、


自分の器以上の不幸も無いのである。


この世に生まれて来る理由は、


カルマを清算し魂を成長させることであり、


自分にとって都合の悪い事を経験することで負のカルマを返せるのなら、


どこどこの方角にいってはいけないと言われたりしたら、


あえてその方角に行って負のカルマを返し成長できるのなら、


幸せなことと言える。


スピリチュアリズムにおいて、


行ってはいけない方角など無いのである。


必要以上の苦難は無く、


自分が乗り越えられる苦難しか来ないという事実を知れば、


恐れることはないわけで、


占いなんかを気にしたり、


占いに一喜一憂し振り回されるのは、


バカバカしいことである。


だから、


スピリチュアリズムでは占いなんて不必要という立場である。


スピリチュアリズムは自分自身の力で自律して生きていくための指針であり、


スピリチュアリズムに添って生きると言うことは、


当然自律して生きていけるようになるわけだから必然的に占いは不要ということになるのである。