松無古今色
竹有上下節
梅自発清香
とある知合となった趣味人から
表千家の東京稽古場の門が何故竹なのか?
との疑問を投げ掛けられた。
門の素材を「なんでだろ?」
なぞと感じるところがまさに趣味人たるトコロと感心しきり。
で、冒頭の答えをさしあげた
松に古今の色なし
竹に上下の節あり
梅は自ら発いて清き香りあり
松は四季に左右されず翠であるがそこに古今の差がある
竹は歴然たる節を持ちながら上下の優劣はない
梅は誰からそうせよと云われるまでも無く清香を三千世界へと発つ
区別と差別
これを穿き違えると大変な事になる、、、
いやなってる。
この世に「平等」なんてある訳ぁねぇんだ
それを勘違いして人は平等なんて言い出すから
年嵩の人やら先生やらの(チョイこれはこれで云いたい事も最近あるが)事をバカにしたりしちまうのも出てくる。
「違い」を認めてその上でアイツとオレは大した違いでもないのさ。
と平穏を得る
宜春の太守が慈明和尚にあるお寺の住職になって欲し〜の☆
ってお願いしたんだわ
そしたら和尚は
気に入らねーから(´・д・`)ヤダ
って頑として受け付けない
んも〜しょうがないなぁ…
誰か他の人でもいいかなー
って諦めてたらある日ひょっこりあらわれて住みだしちゃった!?
どしたの?って聞いたら
いや〜、別に?なんか今日は来たくなっちゃったんだよねぇ。意外とチョベリグじゃんこの寺♪
って涼しい顔で言ったんだと
抹香臭い咄でゴメンでしたけど
これが上の言葉の真意なんですね。
全て別々に考えろ。
って事なんです
どうせ全ての事は違っていて同じでもある
同じでもあるけど違ってもある
この真理を理解出来ないからアイツばっかいい思いしやがって、、、
てな事にもなるんです
あの娘とあたし
あいつとおれ
ほんとに違ってますか?