子どもの頃、「だるまちゃんとてんぐちゃん」「だるまちゃんとかみなりちゃん」「からすのパン屋さん」どれか一つは皆さん読んだことがあるのではないだろうか。

昭和40〜50年代の絵本でよく見かけた、あの懐かしい絵。
それらの作者、かこさとしさんの自伝である。
かこさとしさん、御年九十余歳。実は東大出身のエンジニアである。

なぜ絵本を描くようになったのか、が書かれている。

戦前、かこさんは帝国空軍に憧れていたという。しかし幸か不幸か、視力のおかげで兵士になることはなかった。
やがて終戦を迎え、自分は19歳で一旦死んだのだと思う。

そして、学生時代から「セツルメント」という活動で、やんちゃ坊主たちに接することになる。
正直な批評を示してくれる子どもたちは、かこさんにとって最高の師なのだという。

心に残ったシーン。

・大きなだるまどんのモデルは、たまにかこさんが何かを欲しがっている時に、妙にきばってかこさんが意図していたのとは違う、無駄に贅沢なおもちゃを買ってくれてかこさんを困惑させることが多々あった実の父親。

・旧制高校で軍需工場に動員された時、友達と集まって歌を歌っていた。憲兵に文句を言わせないために「軍艦マーチ」やドイツ語の歌をボイスパーカッションで歌っていた。

・終戦時、豹変した大人たちを見てすっかりいやになっていた時に、ガンちゃんとあだ名される教授が講義に来るや「諸君。よくぞ生き残ってくれた。どうか体を丈夫にして、これからの世の中を生き延びてくれ」といい、体操を始めた。

・幼稚園の時、なかなか整列しない子どもたちに、園長が「前に並んでいる子の、頭の後ろのちょっとへこんでいる所だけを見て歩け」と言ったら見事にきれいに並んで歩いた。

・絵本は、物事の見取り図を描くつもりで描いている。不変のもの。だからかこさんの絵本は50年経っても読み続けられるんだなと納得!

・かこさんが海外に講師に行った時必ずする挨拶。「実は私は、少年の頃、日本の軍人になろうと思った、そのなれの果てなのです。目が悪かったので、軍人にもなれず、飛行機にも乗れなかったので、皆さんの国に迷惑をかけずに済んだけれど、そのまま進んだら、どんなことをしていたか知れないので、お詫びに参りました」