こんにちは。
三姉妹工房+1ふみです。
★★
重たい話になってしまいました。
心が疲れている方が読むとつらくなることもあると思います。
大丈夫だと確信できない方は読まずにそっとページを閉じていただければと思います。
★★
なんとなく最近過去の記憶が薄れつつあって・・
おそらく自分が病気から立ち直りつつあるのか、歳をとって変わっていっているのかわかりませんが・・
なんとなく過去のことも書いておきたい気持ちになっています。
なのでちょっと自分話をしようかなと思っています。
私は複雑性PTSDということで闘病中ですが
自分がいわゆる「病気」「精神疾患」と診断されたのは中学三年生のときになります。
だけどまあそのかなり前から「生きづらさ」みたいなものは大いに感じていた子供だったのでおそらくかなり小さなころからそういう特性のようなものはあったのだろうと思います。
(発達障害や知的障害といった生まれつきの疾患はありません)
ただ小学生になったころには「大人になりたくない」という気持ちが強くて、小学校四年生のころには友人に「20になる前に絶対自殺したい」と漏らしていた記憶があるので幼い私はかなりのひねくれた考えをもっていたのでしょうね。
中学三年生のときに「摂食障害(拒食)」と診断されたのが最初に精神疾患の病名がついたときだったのですが。
きっかけはダイエットではありませんでした。
私は中学校受験に失敗して一般の市立中学校に通っていたのですがあまり学校生活が快適とはいえない状態でした。
過剰なまでの真面目さから、生徒会・運動系部活動など参加はしていたのですがあまりガラの良い生徒の集まる学校ではなく人間関係でつまずきにつまずきまして・・・
高校受験で再度失敗するわけにはいかないという強迫観念に似たプレッシャーに襲われるようになりました。
当時私は学業に関して要領がよく、学校の学年順位では大体2位か3位をキープしていたような気がします。
ただ自分の上をいく1人2人がいることに猛烈な絶望感と焦りがありました。
冷静に考えてみれば、私の成績とテストの実力ではよほど大失敗をしないかぎりは志望校だった高校に受験で失敗するということはなかったのだろうと思います。
ですが私には猛烈な焦りがありました。
いつの間にかその焦りからリストカットが癖になっていきました。
夜中に勉強をして眠くなって寝そうになるとリストカットで覚醒して勉強を再開するという本当に異常といえる努力をしていました。
おそらく限界だったのだと思います。
ある日薬のおいてある棚の頭痛薬や風邪薬をまとめて飲むという行動にでました。
いっても20~30錠程度しか飲まなかったと思いますが、薬剤に関する正確な知識もなかった私にはよくドラマなどである「薬をまとめて飲んで自殺をする」というイメージだけしかなく何錠飲めば・・とかいう感覚はなかったのだと思います。
翌日は吐き気と嘔吐で学校をやすみました。
もちろん命がどうとかなることもなく、親も私が薬をまとめて飲んだとは思わず、風邪かなにかと思ったのでしょう。病院にいくこともありませんでした。
ここで私は悟ることになります。
「食事を摂らずに栄養がなくなれば死ぬ」
そんな考えに支配されました。
私は食事を摂ることをやめました。
親は心配し、食事をまったくとらなくなった3日目には学校に行くことを禁止し休ませるようになったと思います。
それでも私は食事は摂りませんでした。
体重は一日500gから1kgずつくらい減りました。
45kgくらいの体重が40kgをきったころに大きな病院に連れていかれました。
そこで、リストカットの跡がみつかり一週間後くらいに入院が決まったように記憶しています。
小児科での入院でした。
そこで診断書に書かれていたのが
「摂食障害」
でした。
なんとなく「拒食症」じゃないんだなとがっかりした記憶があります。
拒食症や過食症・嘔吐癖など食事に関する問題を抱えた患者の総称として「摂食障害」という病名がつくとおもうのですが、そういうことも知らなかったのですね。
そこから半年くらい入院したと思います。
食事を摂らないので常に点滴でした。
入院中に高校の受験もしました。
結局もともと志望していた市立の進学校は受験せずに、市外にある私立高校を選びました。
その高校を選んだ理由は「中学校の同級生が一人もこないから」
というものでした。
偏差値的にはもともとの志望校よりも高いところだったので自尊心も保つことができましたし、入院中だったのですが市外だったのでホテルに宿泊して受験に挑みました。
小児科の主治医だった女性医師が親切で、本当に応援してくれてホテルまで夜に点滴をもって訪問してきてくれて夜に点滴を打って翌日の受験をしました。
考えてみれば。そのころの私は二日間点滴をしない・・という選択肢がないほどに栄養が足りていなかったんだと思います。
それでも高校には合格しました。
本当にそのときの自分は頑張ったと思います。
そのころの私の体重は30㎏から31㎏くらい。
30kgをきったら、胸の太い血管から栄養をいれるし、もっと減ったら鼻からチューブをいれて栄養をいれるといわれていました。
摂食障害のある患者(特に低体重で栄養失調状態の場合)は心機能が低下します。
私もそのころ、心臓のエコー検査で「僧帽弁閉鎖不全症」と言われています。
即時に命の危険があるわけではない・・
ただし、命が安全とはとても言えない状態だったのだと思います。
生きる気力を失った私に空腹というものはなかったので、食事を摂りたい気持ちというのはゼロでした。
ただひたすら毎日食事(離乳食や流動高栄養の飲料)を決まった時間に目の前に置かれることがいやでイライラしていました。
私が受験した私立高校はプロテスタント系進学校でエスカレーター式の大学もありました。
校舎などもおしゃれでチャペルがあったりして、人気もあったとおもいますし、生徒の雰囲気もとてもよかったです。
その私立高校に合格して、私は食事を少しずつ摂るようになりました。
「死にたい気持ち」というものがなくなっていたわけではありませんでしたが、なんとなく「中学校までの知り合いが一人もいない高校で新しい環境の中生活ができる」ということに強い希望が湧いたのだと思います。
ただここからも摂食障害との闘いは続いていくのですが・・・・
話が長くなるのでまた次に。。
ふみでした!