できないと言わない男 | CEOコラム

できないと言わない男

写真|代表取締役社長(CEO)安里 繁信 スタートはマイナスからだった。親父がバブル時代、銀行からの融資付き土地に手をつけたら翌年値下がりを理由に全額返済を求められた。全国どこでも見られた銀行の貸しはがしだが、彼は必死になって金を貸してくれるところを探した。そんなひたむきな姿を見て沖縄JC幹部が銀行を紹介してくれ破産は免れるが借金だけが残った。シンバホールディングCEO、第58代日本青年会議所会頭安里繁信である。当時運送業をトラック一台で営んでいたが借金を返す為ならなんでも引き受けた。倉庫が必要な仕事なら他社の倉庫の写真を見せできると言い、いざ受注すればその倉庫を借りに行く、クレーンが必要な仕事なら同様に借りてくる、顧客が週休2日になり土日が暇になれば引っ越し業を始めるという具合にニーズとアイデアを金に換えていく。

そして大きな転機が訪れる。引っ越し業のCMソングが全国的に有名になってバカ当たりするのだ。知り合いに紹介してもらったのは当時無名だった KIRORO でCMソングの「長い間」は大反響を呼びついに彼女たちはメジャーデビューを果たす。安里はKIROROを発掘したビジネスマンとして脚光を浴び日本中の若者からデモCDが届いたり企業からCM作成の依頼が来るようになる。できないと言わない彼は広告まで引き受けるようになりやがて後継問題に直面し、業績も芳しくない沖縄一の広告会社から買収してほしいと言われるまでになった。

持ち前のガッツとアイデアで業績を伸ばした安里を銀行が目をつけ次々と買収話を持ちかけられ、今ではグループ15社の代表として君臨する。彼をココまでにしたのは一体何なのか?ベースは幼少期の貧困と無学に対するコンプレックスにあるがそれだけではない。JC活動を通じ「公」に貢献することこそ自らの器をつくりビジネスを拡大していくこと知ったことにある。「たくさんの幸せをつかみたいなら公のニーズを満たし自らリスクを負う。多くのリスクを背負うことこそ人を幸せにし自らも幸せになる唯一の道」こんな言葉を吐く彼はオーラに満ちていた。


この講演を聞き私は自らの原点を考えた。私も広告業創業期口座のない新聞、テレビ、ラジオの仕事をあたかもできるがごとく商談し、やったことがほとんどなかった印刷の仕事を訳も分からず受注した。忘れていたひたむきさこそ、無から有を生む原動力であり、公のニーズを必死に考え試しているうちに道が拓けたことを忘れていた。金や顧客の御膳立てができてから動く今の姿勢からはリスクを背負う気概は消えている。

消えていた炎を思い出させてくれた安里さんに心より感謝するとともに、初心をわすれるな!人に与えよ!というメッセージを下さった日創研さんに感謝したい。