column392 私の生きる使命と存在理由 | CEOコラム

column392 私の生きる使命と存在理由

こうしている間にも死は1秒1秒迫っている。
私はなぜ今生きているのか、私はなぜ今こうしてコラムを書いているのか?
誰かに何かを伝えたいと思っているのか、自分を納得させるために書いているのか?
何故仕事をするのか? それでは仕事がなかったら何をするのか?

答えはあるが確信がない。
確信するべきなのか。
しかしこれはするべきと考える。


「喜びあふれた楽しい人生をおくりたい」

誰もがそう思う。
しかし現実はそんな時もあるがそうでないときもある。
なぜそう願っているのにそれが続かないのか?
喜びは相対的であるに違いない。
だが誰もが同じようにうれしいことがある。
それは人から認められる時、さらに賞賛されるときだ。
ひょっとしたらその為だけに生きている人も大勢いるかもしれない。

美味しい食べ物  千差万別
達成感 レベルの差がある
お金 レベルの差がある

お金ほど喜びに差が出るモノも珍しいかもしれない。

10億円持っている人に50万円
1,000万円持っている人に50万円

資産比率からしたら100倍の差がある。
100倍の喜びの差はないにしても、10倍の差はあるだろう。
ではどちらが50万円を大切に扱い、明日に生かすのか?
これはもちろん人により差があるが、おそらく10億持っている人の方が大切にするだろう。
お金はお金を持っている人に吸い寄せられ、大切にされ、そして有効に使われることを望んでいるに違いない。

人との出会いも同じだとすれば、相手を大切にしなければ相手は自分を認めてくれることもない。
結局は人との関わりの中においてしか喜びを見出せないにもかかわらず、関わることに意識が向かないのはなぜだろう。
自らの生きる使命はできるだけ多くの人に関わり、お役に立てることに違いない。
お役の立ち方にもいろいろあるが、自分と対話していなければ自分がシャープに表現できない。
そのバランスがなんとも難しいのだ。