column355 哲学の違い | CEOコラム

column355 哲学の違い

日本人と欧米人の発想の違いはいったい何だろう。
海外に行くといつもこの疑問が頭をよぎる。
農耕民族と狩猟民族の違いに根ざしていることは間違いないが、
農耕=定着=受身=母性
狩猟=移動=攻撃=父性

ここまでは今まで様々な人が似たようなことを言ってきたので考えが及ぶが、その先はイメージだけでシャープな表現で、どうもうまく話せなかった。
そこで何気なく立ち寄った本屋で、「そうコレなんだよ」という文庫本に出会った。

「なぜ勉強するのか」 ソフトバンク新書 鈴木光司著

「リング」「らせん」 で一大ブームになった作家だ。
もともと勉強の為の勉強、すなわち人に強制されて学ぶことが大キライだったのでこのタイトルにひどく関心をもって中を見ないで買った。

答えがありました。
ひとことで言えば、「哲学」の有無。
哲学とは思想全般の中核をなす、思想の真理と思っていたが全く違った。「世界のしくみを知ること」すなわち世の中の本質を知る為に自分が
わからないことすべてが哲学の対象と成りうるのだ。
したがって科学、物理学、地理学、化学など、時代によって解明されていないこの世のしくみすべてが対象となってくる。
日本は古来この島国の中がその対象であって世界全体を知ろうとする発想はそもそも無かった。
この発想に近い人はあえて言えば信長ぐらいか?
はじめから世界を対象にモノごと考える欧米人、140年前の明治維新までは
日本だけを対象にモノごと考えてきた日本人。
世の中がグローバル化すればするほど日本人の存在が小さくなっていくのは
そのせいかもしれない。
海外へ行って白人に気後れするのは彼らの発想の方が視点が高いからだと思う。
我々は今なぜ、キモノ(和服)を着ないで洋服を着るのか、なぜ筆を使わないのか?
当たり前のことに疑問を持つべき時が来たようだ。

哲学とは未知なるモノを探求しようとする学問であり、自分の信条や信念ではないのだ。