column348 本来の姿
名古屋で忘年会の後、あるバーに入った。
店内には5厘刈の男達が15人ぐらいいるのが目に入り、とっさにヤクザだと思った。
しかし、ヤクザにしては目が優しく、緊張感がない。
ヤクザか僧侶かママに聞いたら、答えは後者。
ヴィトンのバッグにヴィトンの靴。
ほとんど全員がブランドできめている。
金は充分持っていそうだった。
世の中で一番安定した金持ちは、今や国家公務員ではなく僧侶かもしれない。
人に気をつかっているかどうかわからないが、肩で風を切っている。
しかしよく考えてみると、僧侶も人間だ。
贅沢もしたい。女性にモテたい。
仏の 道に仕える者の本来の姿は、喜捨・清貧・求道なのかもしれないが、念仏も説教も講和も金をもらうためのひとつのスキルとして存在しているのだ。
我々と根本的な違いは彼らは宗教法人であるがゆえ、無税なのだ。
税金を払っていないのに庶民より贅沢をするのはいかがなものか…。
なんて考えているうちに、じゃあ自分はどうなんだと考えた。
私利私欲でビジネスをしていないのか?
税金さえ払えば贅沢をしてもかまわないと思っていないのか?
本来職業は社会があって存在する。
社会に貢献するために存在する自分の本来の姿は、自分が僧侶に求めた姿に近いのかもしれない。