ロボットがロボットを作る時代。

少し前なら、映画の中の話でした。

それが今では、「もうそこまで来ている」なんて話になっています。

すごい時代ですよね。

便利になる、人手不足も助かる、危ない仕事も任せられる。

いいことは、きっとたくさんあります。

でもね。

私が本当に気になるのは、ロボットのことじゃないんです。

私たち人間のことなんです。

AIが考える、ロボットが動く。

そのロボットが、また次のロボットを作る。

そんな話を聞くと、人はすぐ未来を想像します。

仕事がなくなる、人間はいらなくなる、世界が変わる。

たしかに、世界は変わるでしょう。

でも、変わるのは仕事だけじゃありません。

人間の立ち位置そのものが、少しずつ変わっていくんです。

これまでAIは、文章を書いたり、画像を作ったり、相談に乗ったりしていました。

頭の仕事が得意でした。

でも、身体を持つようになると、話は少し変わります。

工場へ行く、倉庫で働く、建設現場へ行く、機械を組み立てる。

人が寝ている間も動き続ける。

疲れたとも言わない、休ませてくださいとも言わない。

……会社から見れば、なんとも優秀な働き手です。

だから、ロボットがロボットを作るようになると、値段は下がる、増える。

もっと使われる、もっと賢くなる。

その流れは、たぶん思った以上に速い。

ここで、人の反応はだいたい二つです。

「すごい未来だ!」と思う人。

「もう仕事がなくなる……」と不安になる人。

どちらの気持ちも、よく分かります。

人間って、新しいものを見ると、まず期待するか、怖がるかなんですよね。

投資する人は未来を見る。

会社は利益を見る。

働く人は、自分の居場所を見る。

国は安全保障を見る。

結局、みんな違うものを見ています。

でも、その奥にあるのは、「失いたくない」という気持ちだったりします。

ここを忘れたくないんです。

私は、AIやロボットの時代は、人間がいらなくなる時代だとは思いません。

むしろ、人間の弱さが、今まで以上によく見える時代なんじゃないでしょうか。

どこまで機械に任せるのか。

どこから自分で責任を持つのか。

便利さのために、何を手放すのか。

そのたびに、私たちは選ばされます。

しかも、技術は待ってくれません。

「ちょっと待って」と言っても、待ってはくれない。

人が迷っている間にも、会社は動く、国も動く、世界も動く。

乗り遅れれば不安、乗ったら乗ったでまた別の不安。

なかなか忙しい時代です。

だから、人はつい、簡単な答えを探します。

AIは善だ、AIは悪だ。

あの人は正しい、この人は間違っている。

そう言い切れたら、少し楽になりますから。

でも、現実はそんなに親切じゃありません。

ロボットは、たぶんこれからも増えていきます。

便利にもなるでしょう。

豊かにもなるでしょう。

その一方で、不安もきっと増えます。

問題は、ロボットじゃありません。

ロボットを使う人間なんです。

もっと儲けたい、もっと勝ちたい、もっと安心したい。

そういう気持ちは、昔から何も変わっていません。

技術が進歩しても、人間の心までは、勝手によくならないんですよね。

私も同じです。

便利なものは好きです。

遅れたくないとも思います。

役に立つなら使いたい。

でも、「自分はいらない」と言われるような未来は、やっぱり少し怖い。

だから、これはロボットの話じゃありません。

私たち自身の話なんです。

仏教では、機械に煩悩があるかどうかは問いません。

問われるのは、煩悩を持った人間が、その機械をどう使うかです。

便利さも、効率も、成長も、それ自体は悪いものじゃありません。

でも、そこへ「もっと」が入り始めると、少し危うくなる。

だから、技術は育ててもいい。

でも、人間まで置いていかないこと。

そこだけは、忘れたくないんです。

ロボットがロボットを作る時代になっても、迷うのは人間です。

欲張るのも人間です。

誰かを大切に思うのも、人間です。

だったら、機械をどこまで賢くするかより、私たちが、どこまで人間らしくいられるか。

その方が、

ずっと大きな宿題なのかもしれません。

南無阿弥陀仏。