いやぁ〜、お医者さんから、自信たっぷりに、「大丈夫ですよ」と言われると、やっぱり安心しますよね。
こちらは、よく分からない。
レントゲンを見せられても、どこがどう悪いのか、正直よく分からない。
専門用語で説明されれば、なおさら分からない。
だから最後は、「先生がそう言うなら」となる。
考えてみれば、医療ってちょっと不思議です。
自分の身体のことなのに、自分ではよく分からない。
だから、分かる人にお願いする。
でも、その「分かる人」が本当に大丈夫な人なのかも、こちらにはなかなか分からない。
いやぁ〜、困ったものです。
インプラント、歯列矯正、マウスピース矯正。
今では、ずいぶん身近になりました。
ネットで検索すれば、いろんな医院が出てきます。
料金も分かる、動画もある、口コミもある、症例写真もある。
「格安」「無料相談」「専門医」「症例多数」「口コミ高評価」そんな言葉も、たくさん出てきます。
これだけ情報があれば、昔より選びやすくなった。
たしかに、そういう面はあるのでしょう。
でも、医療には普通の買い物と、ちょっと違うところがあります。
服なら、買ってみて、「似合わんかった」で終わることもあります。
家電なら、壊れたら買い替えられる。
でも、歯は違います。
削った歯は、元には戻らないし、抜いた歯も、戻らない。
骨に手を加えれば、その後にも影響する。
「失敗したから、新品と交換してください」とは、いかないんですよね。
しかも、治療する前の私たちには、その治療が本当に上手なのか、なかなか分からない。
ここが難しい。
「症例数が多い」と書いてある。
なんとなく安心する。
口コミが星4.8。
おお、かなり良さそうだ。
ホームページもきれい。
先生の経歴も、ずらっと書いてある。
料金も高い。
「これだけ高いなら、きっと腕もいいんだろう」なんて思う。
……私なら、たぶん思います。
でも、よく考えれば、広告が上手なことと治療が上手なことは、同じではありません。
口コミが多いことと、トラブルが少ないことも、同じとは限らない。
高いことと上手なことだって、必ず同じではない。
分かってはいるんです。
でも、自分には判断できない。
だから、判断できそうな数字や言葉に頼りたくなる。
そして、自由診療には、もう一つ難しいところがあります。
患者さんに来てもらわなければ、商売として成り立ちません。
高額な治療なら、一人の患者さんに来てもらう意味も大きくなる。
だから、広告を出す、動画を作る、SNSでも発信する、目を引く言葉も使う。
一方で、「この治療には、こういう危険があります」「あなたの場合は、やらない方がいいかもしれません」と丁寧に説明するところは、どうしても地味に見えることがあります。
「絶対大丈夫です」と言う人と、「こういう可能性もあります」と言う人。
不安な時ほど、前者を信じたくなるんですよね。
だって、こちらは安心したいんです。
歯が痛い。
歯並びが、ずっと気になっている。
人前で笑うのが嫌だった。
早く何とかしたい。
そんな時に、「これで全部解決しますよ」と言われたら、そりゃあ心は動きます。
これは、患者が愚かだからではありません。
困っているからです。
苦しい時ほど、人は、はっきりした答えが欲しくなる。
しかも、一度治療を始めると、今度はやめるのも難しくなる。
何十万円も払った、何か月も通った、ここまで治療した。
先生も、「もう少しです」と言っている。
ちょっと違和感はある。
でも、もう少し続けたら良くなるかもしれない。
ここでやめたら、今までのお金も時間も無駄になるような気がする。
そして何より、「あの医院を選んだ自分が、間違っていた」とは、なかなか思いたくない。
いやぁ〜、人間って、始めるのも難しいですが、途中でやめるのもなかなか難しいものです。
これは、医療だけではありません。
投資でも、家でも、教育でも。
専門家から自信満々に説明されると、「この人が言うなら」と思う。
資格がある、実績がある、口コミもいい。
だから、たぶん大丈夫。
私も同じです。
だって、自分には分からないんですから。
仏教では、無明ということを言います。
何も知らない、ということだけではありません。
本当は分からないのに、何か一つ安心できるものを見つけて、「これで分かった」と思いたくなる。
そんなところにも、無明はあるのでしょう。
だから、医療の問題を、「患者もちゃんと勉強しましょう」だけで終わらせるのは、少し違う気がします。
もちろん、調べることは大切です。
説明を聞くことも大切です。
疑問があれば、質問した方がいい。
別の医師に相談することだって、大切でしょう。
でも、最後まで患者には分からないことが残ります。
分からないから、専門家にお願いしているんですから。
それなのに、「ちゃんと見抜けなかった、あなたの責任です」と言われたら、なんとも厳しい話です。
だから必要なのは、患者が何でも見抜けるようになることだけではない。
広告には、広告のルールがある。
資格には、意味がある。
治療前には、きちんと説明する。
必要なら、別の医師にも相談できる。
おかしなことがあれば、第三者が確認できる。
そうやって、患者が少しくらい判断を間違えても、取り返しのつかないところまで簡単には行かない仕組みにしておく。
たぶん、そちらも同じくらい大切なんでしょう。
医療では、どうしても誰かを信じなければならない時があります。
だからこそ、「誰を信じるかは、全部あなたが見抜いてください」ではなく、信じてしまっても、簡単には壊れない。
そんな仕組みが必要なんだと思います。
本当の安心というのは、たまたま、ものすごく良い先生に出会えたことだけではない。
自分が迷った時も、判断を間違えた時も、専門家を信じすぎてしまった時も、それだけで、人生まで壊れてしまわないこと。
いやぁ〜、自分では分からないから、先生に聞いているんですけどね。
その先生を信じていいか、自分で判断してくださいと言われる。
考えてみれば、ずいぶん難しいことを患者は求められているのかもしれません。
南無阿弥陀仏。
