娘の幼稚園最後となる
運動会を観に行ってね。
背の高い娘は一番最後の4人で
障害物競走をスタート。トンネルをくぐって
並んだポールをジグザグに走って
最後の平均台上で
もう降りる直前くらいの所で
娘はバランスを崩して落ちてしまった。
私ならそのまま先へと走るのに
真面目な娘は
また最初から平均台に乗り直して。
もうぶっちぎりなビリが確定でも
最後まで全力で走りきった。
その姿に私
もう視界が滲んでしまって。
娘大丈夫かな…
悔しくて泣いたり
落ち込んでないかな…
気になるのに
帽子を目深に被り
隅っこの方へ移動して涙を拭くしか出来なくて。
終わって退場する娘の様子を
確認出来なかった…
そして運動会終了後
心配しながら娘を迎えに行ったら
娘
「平均台、落っこちちゃった〜えへへ」
屈託なく笑っててね。
また私の涙腺が緩んだよ。
私
「くッ…
最後まで頑張ってて偉かったよぉ!ズビビ……」
夫が娘の頭をいいこいいこしている。
海原雄山
《 私とおまえ 二人の宝物だ 》
昔何かで
『子供は3歳までの可愛さで
一生分の恩を親へ返す』
ってな言葉を聞いた事があってね。
赤ちゃんから3歳までの時期は
目が離せなくて本当に大変だった。
全集中の呼吸、常中のように
ピトーが使う円のように
いつも神経を張り巡らせて
娘に危険がないよう見守ってた。その頃の可愛いさは
なんちゅ〜か別枠だよね。
だから何とかお世話出来ちゃう訳で。
でもね
3歳過ぎた今も娘は可愛いし
これから先大人になっても
私にとってはずっとずっと
可愛いまんまだと思うんだ。
そりゃ面倒だったり
イラッとしたり
これからも大いにあると思うけどさ。
母が私を
義母が夫の事を
もういい歳したオバサン、オッサンなのに今でも可愛いと思っているように
親は子を
いつまでも可愛いと思うものなんだなぁ。
あ、例外はあると思うよ。
私の父がそれだわね。
今回ふと
その言葉を調べてみたら
なんと続きが↓あって。
【 人間は三歳までに
一生分の親孝行をしてますよ。
赤ちゃんの可愛らしさとはそういうものです。
それ以上の期待を
子どもにしちゃあいけませんよ。 】
永六輔氏の言葉だそう。
なるほどね〜
後半部分を伝えたかったのか!
ならば納得で同意だわ〜。そうだね。
何もしてくれなくても
存在してくれてるだけで
ずっと可愛いんだもの。
カルラ・イェーガー
《 だからこの子はもう偉いんです
この世界に生まれて来てくれたんだから 》
2人で分け合うアイスうま〜。
娘と出会えて、私は幸せだ。