六角堂。
京都市役所や錦市場に近いところにあり、これまで何度も前を通っているはずなのに、不思議と一度も立ち寄ったことがなかった。
石標の「六角堂」という文字が美しい、、、
そう思って眺めていたら、その上の文字に気が付いた。
華道叢祥の地?
その道にはまったくの門外漢であるから特に興味があるわけでもない。
しかし好奇心だけは旺盛なので、「叢祥」の言葉にひっかかって入ってしまった。
古そうな建物だ。
どうも6世紀に聖徳太子が創建したものらしい。
屋根の上には、なにやら金色に光るものが、、、
隣りのビルのエレベーターの中から六角堂を見るように案内があった。
はやく到着した右側のエレベーターに乗ったら、ガラス張りではなかった。
どうやって見るのだろうと思っていたところ、そのビルで働いている人が乗り込んできて、隣のエレベーターでしか見られないことを教えてくれた。
向かって左側のそれに乗ると、正面の壁が透明になっていた。
エレベーターには何の案内もなかったように思ったが、見落としていたのかもしれない。
上から見ると、はっきりと見事な六角形の美しい形状が見られた。
往復14階分だが、時間にすると片道10秒ぐらいに思えるほどの速さだった。
それにしても、これだけのために無料でエレベーターに乗せてくれるとは、本当にありがたい。
さすが聖徳太子や! (なんのこっちゃ )
確かに、下から見上げていたら、六角かどうかさっぱりわからない。
上から眺めてこそ、「お~」となる。
なるほど考えましたねぇ。
エレベーターが無かったころの人は、屋根を見上げながら一周まわって、「お~」って言ったのかなあ。
山門の横の自動販売機。
もうちょっと違う場所に置いてほしかったけど、その代わりに案内表示の役割を担わせているのかなあ。
一石二鳥?
エレベーターに乗らない人は、これを見て「お~」というのだろうね。
そして、右上にさらに情報提供のご親切。
「いけばなの根源 池坊」
「叢祥」とか「根源」とか、わたしの単純脳は拒絶気味。
ずっと昔は池のほとりに六角堂の僧侶の住坊があって、そこに住む僧侶を池坊と呼んでいた。
室町時代になって、この池坊専慶や池坊専応というひとたちが華道を確立していったということらしい。
まあ、難しい話は分からないが、発祥の地ということかと勝手に理解する。
?????
へそ石。。。
石の形がへそに似ている?
そんなわけないな。
調べたら、京都のほぼ中心にあるから、ということらしい。
それだからかどうか分からないけれど、江戸末期まで祇園祭の山鉾巡幸の順番を、この六角堂で決めていたらしい。
この石は、平安遷都の折に六角堂を北に移動させたときに、この場に取り残された礎石だということである。
ということは、1200年以上ここに取り残され大切にされてきたということなのだろうか。
そうであるなら、こういうものまで大切に思い扱ってきた古の人々はすごいと思う。
京都は、やっぱりすごいね。